ベルギー戦に酔いしれる。全てのエンタメを 超えた「考えうる最高の敗戦」
W杯はサッカーの万国博覧会。出場各国が披露するサッカーを、世界中のファンが品評しあう舞台だ。勝ち負けを競う舞台でもあるが、優勝チームは32カ国中1チームだけ。たいていのチームは敗者として大会を後にする。勝ち上がる姿以上に、敗れ去る姿が問われている。
その国のサッカーの色は、そこにこそ映し出されるというのが、長い間、W杯を観戦してきた実感だ。勝ち方より負け方なのだ。
「敗れるときは美しく」。これは、ヨハン・クライフが語った名言だが、決勝トーナメントが行なわれているW杯の現場にいると、それは説得力のある言葉として迫ってくる。
当初32を数えた出場国は、グループリーグ終了とともに半減。その多くが敗退の瞬間を万人に確認されることなく、ひっそりW杯の舞台から去っていく。寂しい終わり方をするのだが、決勝トーナメント進出チームは違う。
行なわれるのは1日2試合。スポットライトを浴びやすい。敗者の記憶もその分、残りやすい。
日本は2002年と2010年、過去に2度、ベスト16に進出している。日本サッカーを世界に宣伝する絶好の機会に恵まれた。しかしトルシエジャパン、岡田ジャパンはいずれも地味な戦いに終始。消化不良のような敗れ方をした。
今回は3度目の正直だった。幸いなことに、西野朗監督にもその認識はあったようだ。このベスト16の戦いにかけていたとさえ言いたくなる。11人中6人を入れ替えて臨んだグループリーグ第3戦、ポーランド戦のスタメンを見てそう思った。
敗れればその瞬間、グループリーグ敗退の可能性があったにもかかわらず、先の戦いを見据えた選手起用をする冒険に出た。そして、フェアプレーポイント差で2位に滑り込むという劇的ストーリーのおまけ付きで、賭けに成功した。
ベルギー戦は試合前から、日本は過去2回にはない好ムードに包まれていた。けっして攻撃的ではない(5バックになりやすい)3-4-3で戦うベルギーとの相性もよさそうだった。日本自慢のパスワークが、高い位置で引っかけられる危険性が低いことは、あらかじめ予想されていた。
スタメンは1、2戦目と同じ。つまり、4試合連続でスタメンを飾った選手は5人(川島永嗣、吉田麻也、酒井宏樹、長友佑都、柴崎岳)。大迫勇也、乾貴士、長谷部誠は3戦目に途中出場したが、フィールドプレーヤーは10人中6人が、ある程度休むことができていた。その余裕が、この試合を名勝負に導いた要因だ。
日本選手は俊敏でテクニカルなだけではなかった。動きがキレていた。開始10分で接戦を予感させるほどだった。ロスタイムの最後のワンプレーが、雌雄を決するプレーになろうとは、もちろんそのとき想像することはできなかった。
名勝負だった。考えられる範囲において最高の敗戦だ。悲劇には違いないが、満足度は高い。サッカーはエンターテインメント。格闘性も高いが、それをはるかに上回る芸術性がある。結果至上主義、勝利至上主義が似つかわしくない競技の最右翼と言っていい。その本質が表出した試合。サッカーの魅力が全開になった試合と言ってもいい。W杯という舞台で日本代表は、それに当事者として関わった。
ロスタイムにナセル・シャドリの決勝ゴールが決まり、ほどなくして頭をよぎったのは、25年前に日本が、カタールのドーハで浴びたオムラム・サムラン(イラク)のヘディングシュートだ。ドーハの悲劇。そのとき現場で観戦していた僕は、正直言って、少しも悲しくなかった。その現場に居合わせた歓びのほうが断然、勝っていた。いいものを目撃することになった感激に酔いしれていた。
今回も同じだ。涙なんて溢れそうな気配さえなかった。悲劇にもかかわらず、ウエット度ゼロ。この現場に立ち会ったこと、衝撃的なシーンをこの目で目撃した快感が、それを完全に超えていた。
ベルギーが後半ロスタイムの土壇場で見せた、鬼気迫るカウンター。記者席まで足音まで聞こえてきそうな怒濤の集団的全力疾走について、ロベルト・マルティネス監督は「ペナルティボックスからペナルティボックスまで5秒ほどしかかかっていない」と、試合後の会見で胸を張った。
まさに恐怖映像として、試合後、数時間経ったいまも、脳裏に焼き付いたままだ。最後の最後に、日本はその襲来を受けた。まさかの展開である。それで試合が終わってしまうとは。スポーツは筋書きのないドラマというけれど、このストーリーを考えることができた人は、誰ひとりいないはずだ。
そのほんの少し前。日本は相手ゴール前で、直接FKのチャンスを掴んでいた。キッカーは本田圭佑。8年前、南アフリカW杯で日本をベスト16入りに導いた選手だ。圧倒的に押されていたグループリーグ第3戦、対デンマーク戦で直接FKをブレ球で決めたシーンが脳裏に蘇った。
今回はさすがに入らないだろうと悲観的に眺めていたところ、199センチの相手GKティボー・クルトワは、宙を泳いだ。すかさず、スタジアムのモニタースクリーンに大写しになった再生画像に目をやれば、かなり惜しい一撃だったことに気付かされる。
そしてその足で、コーナーキックマークに、ボールをセットする本田。観戦するこちら側も、緊張感は欠けていた。正直、8年前を半分、懐かしがる自分がいた。
本田のキックをクルトワがキャッチ。その足で加速しながら前進し、ケビン・デブライネの足元に滑らせるように転がしたボールが、その5秒と少し後、大逆転ゴールに繋がる第一歩になったのだが、何を隠そう観戦する側にも、その準備は欠けていた。被弾した選手たちを責めるわけにはいかない。
逆転弾をぶち込まれた瞬間、何を思ったか?
外国人記者に試合後の会見で問われた西野監督は「2-0をひっくり返されたことは、原因があるとすれば、選手ではなくそれをコントロールする立場にある自分。その采配に対してどうだったのか、と問うた」と述べた。
交代枠は2人しか使っていなかった。柴崎岳に代え山口蛍、先制点をゲットした原口元気に代え本田を、81分に投入したに過ぎなかった。
そのときスコアは2-2。2-1のときに1人目を代えておきたかったというのが、こちらの思いになる。そしてロスタイムに入るか入らないかのタイミングで3人目を入れるべきではなかったか。相手の焦りを誘う、半ば時間稼ぎ的な交代だ。
厳しくいえば、問題は1度目の交代を遅い時間に2人同時で行ない、そして3人目のカードを切らなかったことにある。さらに言えば、交替で出場した、山口、本田も“はまり役”とは言えなかった。場内アナウンスが彼ら2人の名前を告げても、正直、期待を抱くことはできなかった。
西野監督が3戦目のポーランド戦でスタメンを6人入れ替えて戦ったことを筆者は称賛したが、4戦目のベルギー戦では、当初の11人に回帰した。つまり、西野監督の頭の中にはレギュラーとサブが明確に区分けされていたのだ。
4試合戦うなかで、西野監督はサブの中に有効なコマを見つけ出すことができなかった。交代選手に切り札を用意できなかった。バラエティもなかった。そして、メンバー交代枠である3人を、使い切らずに敗れた点は、監督として悔いるべきではないだろうか。2−0が2−3になった原因はここにある。
とはいえ、このベルギー戦の日本代表は、これまで観戦したなかで最高の試合を演じたことは確かだ。この試合の観戦を経て、サッカーという競技を、さらに好きになった気がする。サッカーの名勝負は、世の中に存在するあらゆるエンタメを凌駕する力がある。当たるとデカい、サッカーが持つ潜在的な魅力を再認識した試合だった。
いまは、日本スポーツ史に燦然(さんぜん)と輝く敗退劇を目撃した衝撃に身を委ねている状態だ。
「敗れるときは美しく」。史上、最も美しい敗戦。ドーハの悲劇も、日本サッカー界の発展に寄与する美しい敗退劇ながら、レベル的にはB級だった。ロシアW杯で起きた「ロストフナドヌーの悲劇」には適わない。
(集英社 webSporiva 7月3日掲載原稿 杉山氏、酔いしれる。全てのエンタメを超えた「考えうる最高の敗戦」に加筆訂正)