史上初!! 投手出身監督が日本一に輝く【第44回社会人野球日本選手権大会は三菱重工名古屋が初優勝】
優勝の大阪ガスをはじめ、今夏の都市対抗でベスト8以上に進出したチームが、ひとつも準々決勝に勝ち残らない。戦国時代を象徴する展開となった第44回社会人野球日本選手権大会は、新日鐵住金鹿島、JFE西日本、三菱重工名古屋、東芝がベスト4入りする。
準決勝では、打線が好調のJFE西日本は新日鐵住金鹿島に4-2で競り勝ち、三菱重工名古屋は東芝のミスにもつけ込んで5-0で快勝。ともに都市対抗出場を逃し、悔しい夏を過ごしたチームだけに、決勝は開始直後から白熱する。
JFE西日本の先発を任された河野竜生は、一回戦で宮崎梅田学園、準々決勝では日本生命を完封し、来年のドラフトでは有力候補と目される20歳の左腕。決勝の舞台でも落ち着いたマウンドさばきで、1回表を3者凡退で立ち上がる。
すると、その裏に一死から二番の岡 将吾がライトへソロ本塁打を放ち、5試合続けて先制点を挙げる。だが、2試合に逆転勝ちしてきた三菱重工名古屋も、3回表二死一、二塁から秋利雄佑の中前安打で、河野から21イニング目に初得点を奪って同点に追いつく。
その後は、JFE西日本が再三チャンスを作るが、6回裏二死一、三塁のピンチは服部拳児、8回裏一死二塁では、前日の準決勝で149球の完封勝利をマークした勝野昌慶を投入し、三菱重工名古屋も譲らない。
そして、延長試合数の新記録を作った大会の締め括りも、7試合目の延長に突入する。今度は、三菱重工名古屋が10、12回に先頭打者が安打を放ち、犠打で二塁に進めるなど好機を作り始める。果たして、4時間を超えて迎えた13回表二死一、三塁から山田敬介が三遊間にゴロを放つと、一塁走者の脇山 渉が送球より一瞬早く二塁に到達。三菱重工名古屋が1点を勝ち越し、その裏を四番手の萩原大起が凌ぐ。1953年に創部された三菱重工名古屋が、65年目で日本一を勝ち取った。
指名打者制導入後の投手出身監督が初の優勝
社会人野球は1988年の日本選手権から指名打者制を採用したが、その後に入社した投手出身の監督は、これまでひとりも日本一になっていなかった。現在では、東京六大学などを除けば、大学も指名打者制を採用しており、大半の投手は高校時代までしか打席に入らない。つまり、自身のキャリアで攻撃に参加した経験に乏しく、それが攻撃を組み立てる感性にも影響しているのではないかという見方もあった。
それだけに、三菱重工名古屋の佐伯 功監督、JFE西日本の山下敬之監督と、ともに指名打者制導入後に入社した投手出身の監督が対戦した決勝は、どちらかの監督が初の日本一に輝くという面でも大きな関心を集めた。佐伯監督が長く続いたジンクスをようやく破ったことで、これからの社会人野球では、投手出身の指揮官がどんな戦いを見せてくれるのかも興味深い。
最後に、2-1という僅差の戦いで勝敗を分けたものは何か。そのヒントは、三菱重工名古屋の安田亮太主将が、優勝インタビューで発した言葉にあった。
安田は抑え気味のトーンで、JFE西日本が陣取るベンチとスタンドを向き、選手と応援団への感謝を述べた。そうして、「これからも、ともに社会人野球を盛り上げていきましょう」と結び、それから自分たちのことを話し始めた。
たった今、悲願の日本一を手にしたのだ。多くの選手がヒーローインタビューでするように、チームメイトや応援スタンドに向けて興奮気味に「最高で~す」と絶叫しても不思議ではない。だが、努めて冷静に口にした言葉は、安田がどんな気持ちで社会人野球に取り組み、チームをどう鼓舞し、対戦相手をリスペクトしているのかがよくわかった。
そんな姿勢や統率力は、日本一に最も相応しかったのではないだろうか。12日間で史上最多17万9500人の観客を集めた大会は、そうして幕を閉じた。三菱重工名古屋は、ユニフォームの左袖にダイヤモンドのエムブレムを着けて2019年のシーズンを戦う。