【幕末こぼれ話】幕末の英雄・坂本龍馬を暗殺したのは、この男だ!
慶応3年(1867)11月15日、幕末の英雄・坂本龍馬が何者かに暗殺された。
龍馬の暗殺については、誰が手を下したかについて諸説あり、幕末の大きな謎とされている。しかし状況を冷静に見つめれば、犯人が誰であったかを突き止めるのは、実はさほど難しいことではないのである。
今回は、謎につつまれた暗殺犯の名を明らかにしたい。龍馬を殺したのは、この男だ――。
事件から2年後に逮捕された犯人
土佐浪士・坂本龍馬は、大政奉還が行われた直後の慶応3年11月15日夜、京都河原町の醤油商・近江屋に潜伏していたところを襲撃されて落命した。誰の仕業かはわかっていなかったが、明治2年(1869)に容疑者として捕縛された元新選組の大石鍬次郎が、政府の兵部省でこう自白した。
「土州藩坂本龍馬、石川清之助(中岡慎太郎)両人を暗殺したのは、私どもの仕業ではありません。見廻組海野某、高橋某、今井信郎ほか一人が暗殺したと、近藤勇より確かに聞きました」
この供述により、新たな容疑者として「京都見廻組」が浮上した。京都見廻組は京都の治安維持のための組織で、同じ任務につく新選組の局長近藤勇が、龍馬暗殺は見廻組によるものだと語っていたというのだ。
海野某と高橋某については政府も詳細をつかめなかったようだが、今井信郎(のぶお)は箱館戦争の降伏人のなかに含まれていたので、ただちに身柄を拘束して訊問が行われた。今井が兵部省で自供した内容は次のとおりである。
「坂本龍馬を殺害したのは、見廻組与頭・佐々木只三郎の指図です。龍馬は謀反を企てたので、先般召し捕りに向かいましたが取り逃がしました。そのため今度は必ず召し捕る、もし手に余った時は討ち果たしてもよいという達しがありました。(略)佐々木只三郎が先に立ち、渡辺吉太郎、高橋安次郎、桂早之助、土肥仲蔵、桜井大三郎、私の計七人にて河原町三条下ルの龍馬旅宿へ参りました」
そして龍馬と、同席していた中岡慎太郎を殺害して退散したのだという。龍馬暗殺の下手人は事件から2年後、この自供により初めて判明したことになる。
なぜ龍馬暗殺は謎とされたのか
では今井信郎の自供があったにもかかわらず、龍馬暗殺はなぜ謎といわれているのか。
それは一つには、今井の自供には不自然な部分があり、全幅の信頼を置けないからだ。続いて行われた刑部省での供述では、「渡辺吉太郎、高橋安次郎、桂早之助は二階へ踏み込み、私ならびに土肥仲蔵、桜井大三郎は台所辺で見張りをし――」とあり、今井自身は見張り役に過ぎなかったと申し立てている。
実行犯ではなく見張り役だったというのは、普通に考えれば罪を逃れるための方便のようにも思われるが、そうした偽証により他のメンバーから苦情が入る可能性はなかったのか。実はその可能性はゼロであることを、今井は知っていた。
今井以外の6人は、事件から2か月もたたない慶応4年(1868)1月に起きた鳥羽伏見の戦いで、全員戦死していたのだ。
1月4日戦死 桂早之助
1月5日戦死 渡辺吉太郎
1月5日戦死 高橋安次郎
1月5日戦死 桜井大三郎
1月5日戦死 土肥仲蔵
1月8日戦死 佐々木只三郎
(死亡日は一部推定)
自分以外の襲撃メンバーが事件直後に全員死んでいるというのは、どうにもできすぎているといわざるをえない。もちろん今井は見廻組の一員として鳥羽伏見の戦いに参戦しているから、6人が戦死したことは間近で見て知っている。
それをいいことに自分以外のメンバーを全員死者で構成して、政府の追及をかわし、自分は見張り役に過ぎなかったとの主張を通そうとしたのではないか。
そうまでして今井が偽証し、隠したかったもの――。それは、自分が本当は見張り役などではなく、龍馬を斬った実行犯であったという事実だったに違いない。
この自供はそのまま刑部省に認められ、今井には静岡藩に身柄引き渡しのうえ禁固という軽い判決が下された。死人に口なしとは、まさにこのことだろう。
30年後の告白
これで龍馬暗殺事件は解決したが、人々の記憶も薄れた30年後になって、状況が大きく動いた。雑誌「近畿評論」の取材を受けた今井が、龍馬暗殺の実行犯は自分であると突然告白したのである。
明治33年(1900)5月号の同誌には、今井の証言による暗殺の状況が詳細に綴られている。
「機転をきかして、やあ坂本さんしばらくといいますと、入口に座っていたほうの人が、どなたでしたねえと答えたのです。そこでソレといいさま、手早く抜いて斬りつけました。最初横鬢を一つたたいておいて、体をすくめる拍子、横に左の腹を斬って、それから踏み込んで右からまた一つ腹を斬りました。この二太刀でさすがの坂本もウンといって倒れてしまいました」
やはり実行犯は今井だった――。この証言が売名行為でもない限り、龍馬を斬ったのは確かに今井ということになる。
このとき今井は60歳。これまでかたくなに隠してきた事件の真相を話す気になったのは、心にずっと重くのしかかっていた真実を、自分が死ぬ前にすべて明らかにして、重荷から解放されたいということだったのかもしれない。