ルメール騎手も大きく頷く、武豊騎手の語る2万3000回の騎乗より大変な事とは?
JRA通算2万3000回騎乗を達成
8月7日の函館競馬場。第3レースでミニマリズムに騎乗した武豊騎手は、これがJRA通算2万3000回目の騎乗となった。
「メモリアル騎乗だったのはレース後に聞かされたので、あまり感慨深いという感じはしませんでした」
苦笑いをしながらそう語る。レース前に知っていたら違う感覚になりましたか?と問うと「う~ん」という表情を見せた後、改めて口を開いた。
「まぁ、確かにレース前に聞いていてもその事によってレース中に感慨深くなるとか、そういった事はないでしょうね」
レース中は一瞬一瞬で咄嗟の判断が求められる。余計な事を考えている暇はないのだろう。続く言葉にそう感じさせた。
「レースへ行けば勝つためにどうするかを考えるだけですからね。ある意味、アッと言う間です」
実際、ほとんどのレースは1~2分の範囲で完結する。だから武豊自身「2万3000レース乗った事自体には周囲の皆さんが言われるほど『凄いなぁ……』とは感じません」と言う。しかし、その後に、興味深い言葉を続けた。
「ただ、2万3000レース乗ったという事は2万3000回の返し馬をして、ゲート裏で2万3000回の輪乗りをしたという事ですよね。それに関しては我ながら良く乗ったと思います」
返し馬や輪乗りはレース前にパートナーと行う最後の共同作業。いわば準備の仕上げであり、ここで振るうタクトを誤れば、画竜点睛を欠く事になりかねない。
「レースそのものより時間をかけるというのもそうですが、やはり勝つための準備は大切なので、色々な事を考えて行います。それを2万3000回やってきたのだな、と思うと、この点に関してはよくやったと思うのです」
この話を伝えたところ、大きく頷いたのがクリストフ・ルメール騎手だ。
「そうそう。レース直前の返し馬や輪乗りはある意味、レースそのものより大事と言える面があります。それを2万3000回もやってきたユタカさんは本当に凄いです」
ある日の輪乗りでのエピソード
2万3000回の騎乗を終えた翌週の14日には、小倉競馬場で騎乗した。この日の小倉はおりからの台風の影響もあってバケツをひっくり返したような大雨に見舞われた。そんな中、あるレースでは次のような逸話があったと語る。
「輪乗りをする待避所には雨除けの屋根があるのですが、そのレースで僕が乗ったのは気性的な問題で他の馬と一緒に行動させられない馬でした。だから皆が回っている屋根の下に入れる事が出来ず、1人、大雨の中でずっと輪乗りをしました」
勝負服も馬具も雨を吸い込み、レース後の検量ではなんと2キロも重くなっていたという(雨による不可抗力なのでもちろん制裁対象にはならない)。このような例は稀有ではあるが、返し馬から先はいかなるアクシデントに襲われても鞍上が挙措を失うわけにはいかないのは疑いようのない事実。だからこそ、それを2万3000回も繰り返して来たのは褒められて然るべき偉業なのである。いや、もっと言えばこれはあくまでもJRAだけでの話。地方競馬や海外での騎乗もカウントすれば、もっともっと多くの下準備を彼はしてきたのである。
難しい馬に騎乗の今週末にも注目
さて、そんな日本のトップジョッキーは今週末の日曜日、札幌競馬場で騎乗。メインのキーンランドC(GⅢ)ではメイケイエール(牝3歳、栗東・武秀智厩舎)の手綱を取る。同馬には過去4回騎乗。前々走のチューリップ賞(GⅡ)は同着で1着になったものの、道中は激しく掛かってしまった。
更に、横山典弘騎手が騎乗した前走の桜花賞(GⅠ)では序盤は後方だったにもかかわらず、馬群の中に入ってもブレーキが利かず突進。他馬を弾き飛ばすようにして先頭に立った挙句、最後は失速して最下位18着に沈んだ。武豊に横山典弘といえばいずれも名手の中の名手。そんな彼らをして手を焼く走りをした3歳牝馬は、前走の所作がハミ受け不良とみなされ、この中間、調教再審査を課せられた。その再審査に騎乗するため19日の朝は札幌競馬場にいた武豊。騎乗を終えてから次のように語った。
「全く問題なくスムーズに走ってくれました」
レースでもそう出来るように、最後の仕上げをするのが当日の返し馬であり、輪乗りとなる。2万3000回の経験を元に、天才騎手がどんな仕上げをするのか。レース同様、レース前にも注目したい。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)