朝日新聞記事が大炎上「紛争地が心配なら現地行け」「自分の幸せと周囲の人に感謝しろ」―同業からの処方箋
「解約する」「ゴミのような記事」…正に非難轟々(ごうごう)。朝日新聞デジタルの連載「(悩みのるつぼ)」の記事に批判が相次いでいます。この連載は、読者からの相談に学者やタレントが回答するもので、5月18日に掲載された記事は、「報道で見るガザ攻撃やウクライナ侵攻等に憤りと絶望を感じ、心の平穏を保てない」と悩む男性からの相談への回答でした。この相談にタレントの野沢直子さんが「そんなに心配なら実際に戦場に出向いて戦ってくればいいのに」「そんなことを嘆く前に自分が幸せなことに感謝して自分の周りの人たちを大切にしよう」との趣旨の回答をしたのです。さらに野沢さんの回答のみならず、同記事への編集委員のコメントも批判され、その編集委員が謝罪しました。
(悩みのるつぼ)世界の不正義に怒る男性 野沢直子さんが抱く違和感「あなたは今…」
https://digital.asahi.com/articles/ASS5K30WGS5KUCVL02MM.html
〇朝日新聞への憤りのSNS投稿相次ぐ
男性から寄せられた相談は「新聞を読まなければいいのだろうが、社会問題から目を背けるようで気が引ける」「自分の生活を平穏に送ることだけ考えればよいのだろうが割り切れない」との趣旨で、真面目で誠実な人柄を感じさせるものでした。それだけに「人間は無いものねだりで、あなたは幸せだから『心配の種』が欲しいのではないか」という野沢さんの回答は、この記事を目にした読者達の強い反発を招いたのでした。SNS上では、
「朝日新聞がこれを載せてることに驚愕してる」
「紙とデジタルの両方の購読者だが、解約を考えるほど酷い」
「ゴミの様な文章を垂れ流すのいい加減にして欲しいな」
「いろんなことに目を瞑り、耳を塞ぎ、平穏な日常が永遠に続くと信じさせることがこの新聞の役割なのかなぁ…」
「世の中に無関心でいる事=平和を保つ事だとは思わない。それは単なる保身」
等と、野沢さんの回答だけでなく、それを掲載した朝日新聞に憤る投稿が相次いでおり、「炎上状態」となっています。私も朝日新聞デジタルを購読しており、記事全文を読んだのですが、確かにこれは酷いですね。私自身、ジャーナリストであり、ウクライナもガザも取材してきたので、やはり口を出したくなってきます。
〇現場に行っても葛藤は消えない
まず、紛争地の現場で取材してきた経験から言えば、現場に行けば葛藤が消え、心の平穏が得られるという訳では決してないかと思います。むしろ、現地の人々と交流して親しくなり、悲惨な戦争の実態を自らの目で直接見れば、世の不条理さへの憤り、そして自分の非力さという葛藤は、より強くなります。
ただ、私はそうした葛藤や憤りを感じることは悪いとは思いません。なぜなら、それが自分の原動力になるからです。私の場合、ジャーナリストなので(自己満足かもしれないし、それで問題が劇的に解決する訳ではないにせよ)、自らの仕事で憤りや葛藤を昇華*させています。
*ただし、ジャーナリストなので、当然ながら、自身の感情優先ではなく、あくまで事実に沿った発信を心がけています。自身の主義主張に凝り固まるよりも、現場で見たこと、聞いたことから考え続ける姿勢は、やはり大切です。
〇市民として何ができるかをメディアは報じるべき
そもそも、紛争地に実際に行くことは、メディア関係者であってもハードルが高いのであって、それをしろというのは無茶な話なのですが(それは野沢さんも上述の記事で書かれています)、自身の仕事として、葛藤や憤りを昇華させる場や機会がなくても、市民として行動することはできるかと思います。
例えば、国際刑事裁判所(ICC)を支持するデモに参加するという行動もあるでしょう。ICCの検察官らは、ガザ攻撃に関して、意図的に一般市民の犠牲を大きくし、また援助物資の搬入を妨害し飢餓を招いているとして、イスラエルのネタニヤフ首相らに対する逮捕状を請求しました。ICCが逮捕状を出して、実際にネタニヤフ首相らが逮捕されるかは別としても、イスラエルにとっては外交上の大打撃であり、またイスラエル寄りの欧米諸国にとっても、同国への軍事支援を行い難くなります。
こうしたICCの動きを日本政府も支持するよう求める行動が、つい先日22日に「ICC(国際刑事裁判所)の逮捕状請求への支持とイスラエル制裁を求める官邸前緊急行動」として首相官邸前で行われました。
また住んでいる場所が東京から遠い等、官邸前に行けなくても、署名に賛同するという方法もあります。
無論、こうした行動に参加したからといって、葛藤や憤りが完全に無くなるわけではないでしょうし、すぐに全てが変わるわけでもないのでしょうが、それでも潮目は変わりつつあると言えます(関連記事)。
〇絶望ではなく希望のための報道を
今回の朝日新聞の記事の最も酷いところは、メディアの役割を自ら全否定しているところでしょう。同記事の中で、野沢さんは
と書いています。これは国際報道なんかいらないとも受け取れますし、そのような主張を報道機関である朝日新聞が掲載することは「メディアの自殺行為」であると言わざるを得ません。
他方、毎日のようにメディアが世の理不尽かつ悲惨な状況のみを伝えるのでは、今回の朝日新聞記事の相談者のように、精神的な疲弊を感じる読者・視聴者が出てきても不思議なことではありません。だからこそ、上述したように理不尽かつ悲惨な状況に抗おう、変えていこうという動きを、メディアは取り上げるべきでしょう。メディアの第一義的な役割はあくまで情報の発信ですが、報道の在り方として、ただ人々を絶望させ、世界の出来事から目を背けさせることが目的ではないはずです。むしろ、より良い社会・世界をつくるために貢献することこそが、求められる役割でしょう。
今回は、朝日新聞の記事を批判的に取り上げましたが、これは単なる「朝日叩き」ではなく、本稿で指摘した問題は、日本のメディア全体が抱えている課題であるからこそ、筆を取りました。メディア関係者の皆さんには何のためにメディアがあるのか、よく考えてもらいたい。紛争地の現場を取材する者として、そう、強く願っています。
(了)