ノンフィクション落語で注目の笑福亭鉄瓶を衝き動かす師匠・鶴瓶への言葉
ノンフィクション落語「生きた先に」が話題となっている落語家・笑福亭鉄瓶さん(43)。奈良県在住の西畑保さんの半生をモチーフにした噺で、読み書きができなかった西畑さんが夜間中学に20年間通って妻にラブレターを送った実話を落語化しました。噺に込めた思い、そして師匠・笑福亭鶴瓶さんへの思いをストレートに語りました。
当たり前は当たり前ではない
ありがたいことに「生きた先に」を新聞やテレビなどで取り上げていただき、そこから全国の教育委員会などにも広まっている。現在の状況でいうと、そんな感じにはなっております。
最初のきっかけはネットサーフィンやったんです。晩に全然眠れなくて、いろいろな記事を見ていたら、パッと目に止まったのが西畑さんの記事だったんです。
日本の識字率が99%と言われる中で、今実際に生きてらっしゃる今の時代の方のお話ですからね。純粋にすごい話やし、心が震える話やと思ったんです。
西畑さんは小学2年から学校に行ってないということだったんですけど、ウチの息子がちょうど小学2年なんですよ。まだ鉛筆が長く残ってんのに新しいポケモンの鉛筆を削って使ってみたり、2ページほどしか使っていないのにノートをほったらかしにしたり。
そんな感じで息子は勉強しているけど、当たり前みたいに思っていることは決して当たり前ではない。父親として、教育として、何かできることはないだろうか。僕は落語家で落語しかできないので、落語という形でなんとか伝えられないか。そう思ったんです。それが去年の6月のことでした。
そこから西畑さんが通っていた中学に手紙を書いて、ご本人とコンタクトを取り、今秋の落語会で披露させてもらったという流れです。
鶴瓶一門の色
「生きた先に」を作ったのは、もちろん西畑さんのお話がすごいと思ったのが原点なんですけど、落語への恩返しになったらという思いもあったと思います。
実際にあった話を落語にする。そういう流れの中で落語自体に新たに興味を持っていただく方がいらっしゃったら。その思いもありました。
僕が笑福亭鶴瓶に弟子入りしたのは「鶴瓶上岡パペポTV」(読売テレビ)を見て、テレビでしゃべっている鶴瓶に憧れてのことでした。
なので、入門してからもしばらくは落語ではなくて、一人しゃべりのネタをやってましたし、落語に取り組んだのは入門から4年ほど経ってからでした。
もともと、落語がやりたくて仕方がないと思っての入門ではなかったけれども、師匠が落語家であり、落語という昔からの共有財産を使わせてもらうことによって、今家族を養えている。落語にものすごく助けられているわけです。
だったら、何かしら落語に恩返しをしないといけない。その思いがずっとあって、それも今回の噺が生まれた要因の一つだったとは思います。
東京でも大阪でも自分の落語会をさせてもらっているんですけど、そこには僕のことを好いてくださっている方々が来てくださっている。これはこれで本当にありがたいことではあるんですけど、ご新規さんを増やしていかないとこの先がないのも事実なんです。
正直な話、鶴瓶一門というのは、ゴリゴリの“落語ルール”で育ってないので、正統派というかきちんと落語を真っすぐにやっていくという流れとは少し色が違う。
ただ、せっかく鶴瓶という師匠についたんだから、なんとか上方落語自体のパイを広げる。分母を増やす。なんとかここを頑張るのが師匠への、そして落語への一番の恩返しになると思っているんです。そして、それは結局は自分のためでもあるので、大変だとも思いませんし、それをやるしかない。そう考えています。
なんというのか、新たな領域につながるトンネルを掘る一人にはならないといけない。掘られたトンネルを通っていくのではなく、トンネル自体を掘る人間にならないといけない。その意識は非常に強いですね。
師匠の言葉
恐らく、師匠は言うたことも忘れたはるやろと思いますけど、僕の中にずっと残っている言葉がありまして。僕の座右の銘にもなっているんですけど、それが「一生懸命やってたら、一生懸命やってる人が見てくれてる」ということなんです。
入門して4年目くらいから落語をやり始めた。でも、先ほどお話をしたような鶴瓶一門ならではの色ゆえ、周りの落語家さんからの目や声を気にする自分もいる。そこに悩んでいた入門6年目あたりのことだったと思います。
師匠の車を運転している時に、車内で師匠にそういう悩み、迷いを話してみたんです。そこで師匠がおっしゃったんです。
「そんなん気にせんでエエ。お前、その人たちに飯を食わしてもらってるんか?もらってないやろ。そんなん気にせんでエエねん。オレがお前を弟子に取ったんや。ほんで、破門にもしてない。ということはヨシということなんやから、それでエエやないか。ほんで、一生懸命やってたら一生懸命やってる人が見てくれてる。そういうことや」
その言葉で霧が晴れました。線が引けたというか、踏ん切りがついたというか。もちろん、それ以降もいろいろなことを指摘されることもありましたけど、そこでたてつくようなことはもちろんしないですけど、アタマの中で「しょうがないやん、そんなんウチでは習ってないんやから」と処理するようになりました(笑)。
あと、落語家になりたくて入門した他の落語家よりも先にオレが若手の賞を取ってやる。その思いもしっかりと定まりました。それがなにわ芸術祭新人賞にもつながったと思いますし、師匠の言葉からあらゆるものがあらゆる迷いを取り払ってくれましたね。
最近やっと師匠と二人でご飯も食べられるようになりましたし、自分がラジオ番組とかいろいろなメディアの仕事もさせていただく中で師匠と仕事の話もできるようになった。そういう流れは本当にうれしいばかりです。
ただ、一つ心残りというか…。僕は12人の中でも3本の指に入るくらい、師匠から怒られてない弟子でもあるんです。これをと自分で言うのもナニですけど、多分、変に繊細やから気が回ってたんですかね。
せやから、僕は師匠のトークイベント「鶴瓶噺」には名前が出てこない弟子なんです。アホな失敗をした弟子の話なんかが一つのテーマになっている中、僕はそこに全く出てこない。
弟子としてはきちんと務められたのかもしれませんけど、なんで一つくらいアホみたいな失敗をやっとかへんかったんやと…。それはね、取り返しのつかないしくじりですわ(笑)。
(撮影・中西正男)
■笑福亭鉄瓶(しょうふくてい・てっぺい)
1978年8月14日生まれ。奈良県出身。本名・天野幸多郎。2001年に笑福亭鶴瓶に入門。なにわ芸術祭新人賞、文化庁芸術祭大衆芸能部門新人賞などを受賞。MBSラジオ「こんちわコンちゃんお昼ですょ!」、ラジオ大阪「hanashikaの時間。」などに出演中。ノンフィクション落語「生きた先に」が話題となる。