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2019年高校野球10大ニュース【6】9月/どこで歯車が狂った? U18W杯、まさかの5位

楊順行スポーツライター
飯塚脩人(習志野)もよく投げたが……(写真は2019年センバツ)(写真:アフロ)

 なかなか強いぞ……と思わせたのは9月1日、アメリカ戦だ。2年に一度のU18ワールドカップ(W杯)。いまだ優勝のない日本は、グループBのアメリカ戦で打線が爆発し、16対7。前身を含めば同大会4連覇中、同じく18連勝中という強敵に大勝したのだ。

 そもそもこの大会は、世界野球ソフトボール連盟(WBSC)の主催により、16歳から18歳の各国・地域代表選手で競われるもの。かつてはAAA世界野球選手権という名称で、第1回大会は1981年、アメリカでの開催だった。当初は毎年行われていたが現在は隔年となり、2015年からWBSC U-18ワールドカップに衣替えしている。夏の甲子園と会期が重なっていたため、日本代表は長らく参加がむずかしかった。82年の第2回、99年の第18回大会には出場したが、地域の選抜選手によるもの。夏の甲子園出場選手を含んだ文字通りの日本代表として出場したのは、04年9月の第21回大会が初めてだった(監督・渡辺元智)。

 06年の第22回大会は再び不参加で、08年、10年は出場権がなく、次の出場は12年(監督・小倉全由)。13年からはプロ野球選手の代表と同じ「侍ジャパン」仕様のユニフォームを着用。史上初めての日本開催だった15年、地元での初優勝を狙ったが、決勝でアメリカに敗れた(監督・西谷浩一)。カナダ開催の17年は、清宮幸太郎(早稲田実、日本ハム)らの出場などで注目されたが、準決勝で韓国に敗れて3位(監督・小枝守)だから、優勝は悲願といえる。そして、今大会。苦戦が予想されたアメリカからの勝利で、チームは勢いづいてもよさそうだった。

甲子園のスターがずらりもいまだ優勝なし

 台湾戦では、一塁走者の挟殺間に得点されたり、内野の送球ミスなど守備の破綻で1対3で大会初黒星(5回降雨コールド)。それでも、Bグルーブは1位突破で、カナダ戦は奥川恭伸が7回18三振と圧巻の投球を見せ、スーパーラウンドも幸先のいいスタートだ。だが……ここからが勝負のはずの韓国戦で、またも守備の乱れが敗戦につながった。8回に石川昂弥のエラーで追いつかれると、タイブレークで2点を奪った10回裏の守りでは、投手の林優樹がバントの処理を焦って悪送球。ここから3点を失い、サヨナラ負けを喫してしまうのだ。さらに翌日のオーストラリア戦も、エラーをきっかけに失った4点が響いて敗れ、最終日を待たずに終戦となった。

「負けたのは監督の責任です」

 とはチームを率いた永田裕治監督。僕はこの大会の取材には行かなかったので、大きなことはいえないが、取材仲間の話によるとちょっとちぐはぐさが目立ったという。たとえば、奥川が好投したカナダ戦。甲子園での疲労から慎重に調整を続けていた奥川は、満を持したこのマウンドで力を発揮したのだが、問題は1試合の投球数105(その時点の打者の打席終了まで投球可能)という上限だ。その球数を超えてしまうと、中4日の休養が義務づけられている(つまり奥川は、残り試合を登板できない)から、試合状況と球数をにらめっこしながらの采配だった。

 日本が5回に1対2と逆転したこの試合、奥川の投球数は7回2死の時点でちょうど100。この回最後の打者を3球で三振に取り、ぎりぎりの103球で収めてはいる。その間、ブルペンでは飯塚脩人と佐々木朗希が肩をつくっていた。結局8回からマウンドに上がった飯塚がカナダ打線をゼロに封じて勝利。ただ、接戦だっただけに、登板のなかった佐々木も何度か熱のこもった投球練習を行ったという。

 大会直前の壮行試合で右手中指にマメのできた佐々木は、奥川同様に慎重な調整を続けて使えるめどが立ち、翌日、決勝へ向けた韓国との大一番に先発の予定だった。であれば、カナダ戦で何度もブルペンに走る必要はあったのか。もちろんカナダ戦も負けられない試合だから登板に備えたのだろうし、ブルペンと実際の打者に対するのでは、疲労度は違うかもしれない。だが、投手のコマは豊富にそろっていたはず。登板間隔の空いていた前佑囲斗や宮城大弥を早い回からつぎ込めば、佐々木を準備させる必要も、奥川の球数に神経質になることもなかったはずだ。むしろそうやって佐々木の消耗を避け、韓国戦に専念させる選択肢はなかったか。

 だから、というわけではないが、韓国戦に先発した佐々木は、初回をゼロに抑えた時点でふたたびマメがつぶれ、1回限りの19球で降板している。前日、ブルペンで費やした球数が影響したかどうかはわからないけれど……。

気になった一塁守備の軽視

 それと、代表メンバーの偏りも気になった。夏の甲子園で優勝した履正社のメンバーが一人もいないことから、履正社・岡田龍生監督と永田監督に確執があるのでは……というのは噂レベルとしても、外野手2人、そして本職の一塁手がいないというのは異例ではないか。その分、身体能力に秀でたショートが多くいるにしても、だ。これがプロ野球の水準なら、ほかの内野手が一塁手を兼ねるのもわかる。プレミア12の浅村栄斗のように、無難にこなすことは可能だろう。ただ高校生にとっては、不慣れなポジションは荷が重くはないか。

 今回、おもに一塁を守ったのは本来ショートの韮沢雄也だったが、「一塁にはなかなか慣れません。一度などは、佐々木のけん制球があまりに速くて、ミットが顔を直撃したことがありました」というのは笑い話にしても、まずはどの範囲の打球まで自分が処理するのか、おもに二塁手との空間認識を共有するにはある程度の時間が必要だ。あまりに自分が出すぎるとベースに戻りきれないし、かといって消極的すぎてもいけない。また、一塁に入るのが遅れれば野手の送球リズムも狂わせる。ほかにもバントシフト、中継プレーなど、たやすく見えても一塁手ならではの技量が要求されるのだ。大会中に守備が不安定だったのは、急造一塁手も要因のひとつかもしれない。

 のちにドラフト指名されるタレントを多くそろえながら、12チーム中5位。優勝は結局台湾で、日本は12年以来のメダルなしに終わってしまった。それと個人的に、大会とはなんの関係もないけれど、ひとつだけ。いかに侍ジャパンとはいえ、高校日本代表に対しては、あの厳格な学生野球憲章も治外法権、というのがなんとなくすっきりしないんですよねぇ。よくテレビ番組であるでしょう、「特別な許可を得て撮影しています」というテロップ。へ〜、あなたたちは特別扱いなの、とカチンとくる違和感にどこか似ているのだ。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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