「まだ見たい!山本翔也の10秒」―阪神を去る左腕に惜別と感謝を込めて
8年ぶりにウエスタン・リーグを制した阪神タイガースが、ファーム日本選手権の開催地である宮崎へ移動した10月4日のこと。鳴尾浜球場では、出発前の選手たちに挨拶をする山本翔也投手(この時は29歳、10月12日で30歳)の姿があったそうです。私は球団広報からのメールで夕方5時にようやく、戦力外通告の第1弾があったこと、それが山本投手だったことを知りました。
法政大学時代は、のちにプロ入りした投手陣がひしめき合うチーム事情もあり、リーグ戦未勝利(公式戦登板も3試合のみ)に終わった山本投手。もう野球はあきらめようか…と悩んでいた時に参加した社会人チーム・王子の練習で、その投げっぷりが評価されて入社すると、2013年のドラフト3位で阪神へ。お父さんが熱烈な阪神ファンで、それはそれは喜んでおられたことを思い出します。
2年目の2015年7月4日、横浜スタジアムで行われたDeNA戦でプロ初先発。5回6安打2失点で初勝利を挙げました。観戦されたご両親の前でヒーローインタビューも受けた山本投手ですが、その前年のフェニックス・リーグで先発して、高く評価されていたんですよね。そして翌年、1軍初先発を決めたファームの試合がありました。2つの懐かしい記事をどうぞ。
なお今季の1軍登板は5月11日の広島戦(マツダスタジアム)1試合のみ。1軍での通算成績は22試合に投げ1勝0敗0S、防御率6.31でした。
合同トライアウトは三振締め!
11月13日、タマスタ筑後で行われた『12球団合同トライアウト』に参加。登板は9番目で、巨人・河野捕手が球を受けています。カウントは1-1からのスタートで計11球、最速は135キロ、★が結果です。
【巨人・青山】
ボール(134キロ)
ボール(127キロ)
空振り(計測エラー)
ファウル(132キロ)
★四球(117キロ)
【ソフトバンク・森山】
ボール(132キロ)
ファウル(133キロ)
ボール(117キロ)
★二飛(131キロ)
【元ロッテ・菅原】
空振り(134キロ)
★見逃し三振(135キロ)
「受けてよかった」と笑顔も
汗を拭きながら引き揚げてきた山本投手は、すぐに立ち止まって話をしてくれました。投げ終わっての感想を聞かれ「右バッターのインコースに、真っすぐだけじゃなくスライダーも使ったら、幅が広げられるかなと思って試していたんです。戦力外を言われてから。きょうは悪くなかったんですけど、ちょっと狙いすぎました」と苦笑い。
1球勝負なのは難しい?「僕の場合はシュートを使っていて1球で結果をと思っているので、1-1でも関係ないです」。納得のいく内容?「もっとできた部分はありますが、シーズン中いろいろ考えながら投げていたので、きょうは思い切って投げようと。今までとは違う感じでした。もうちょっとシュートを投げられたらよかったですけどね」
トライアウトを受けるかどうかは「いろんな道がありますし、少し悩みました」と山本投手。「でも30まで野球をやってきて、大学の時も諦めないで必死で続けてきて今があるので。最後の最後まで可能性があるなら、やらないと。いろんな人が、もっと見たいと言ってくれたのが嬉しかったです」と続けました。
その結果について「野球人生をNPBで終わりたかった。NPBじゃなければどうか…。(話が)あった時にまたどうなるか」と考えるところはあるようですが、トライアウトに関しては「悔いのないようにしようと思って投げたので、結果どうこうより受けたことはよかった」とのこと。すっきりした表情だったと思います。
阪神に入れたことが一番の親孝行
2日後の15日、鳴尾浜へ荷物整理にやってきた山本投手。ここで改めて、戦力外を通告された10月4日にさかのぼって心境を聞いてみました。
「覚悟はしていたし、そうだろうなとわかっていたので。ずっと続けてきた野球ができなくなるっていう寂しさはありましたね。大学でやめることを一度考えて、その中で社会人野球をやってプロにまで行かせてもらい、30歳まで野球ができたというのは、すごくよかったです。感謝しています」
一番印象に残っているのは、やはり1軍で先発して勝った試合?「勝ちはしたんですけど、親は阪神に入ったことと阪神のユニホーム姿を見られることが一番嬉しかったと思う。それが1軍でも、たとえファームであっても親は嬉しかったと思います。僕は阪神ファンじゃないですけど、ただ自分自身より親が喜んでくれるってのが嬉しかった。そういう意味でも、阪神に入れたことが一番の親孝行だったのかなと思いますね。勝ったことよりも」
「あす球団事務所へ」と連絡が入った日、ご両親にも伝えたそうです。「ことしで野球は終わると思うから、また次のことを考えるわ、というのは前もって言っていた。去年のうちにもう覚悟はしていました。その時点で親には伝えていたから、もう1年やらせてもらったという思いですね。自分の中では」。ただし今回の連絡は、お父さんには直接でなく、お母さん経由でした。そのあたりはのちほど書かせていただきます。
“自分の仕事”に誇りが持てた瞬間
トライアウト受験は「もちろんNPBでやれるならやりたいですけど。いろんな人に支えられながらやってきて、その人たちに『もう一度ユニホーム姿で投げるところを見たい』、『可能性があるなら野球を続けてほしい』とも言われましたし、自分自身もそのつもりだったので。大学時代あきらめなかったように、今回もやっぱり最後までやりきるのが自分のすべきことかなと思って」決めた山本投手。
当日も言っていたように、受けてよかったですか?「よかったですね。すごく緊張しましたし、すごく楽しかったので。やっぱり野球って楽しいなとトライアウトで思えたのは、自分の中でもすごく大きい。受けてよかったなって思います」
連絡を待つことに関して「ガチガチで待っているというよりも、次のことを見据えてはいるので、30という年齢的にもなかなか電話はかかってこないでしょうから。でも受けてよかったと思えるし、本当にいい意味でも前へ進める準備はできたかなと思うので、そんなに待っていない…かな?」とも。では、区切りという言い方でいいですか?
「区切りではあります。自分にとって。でも区切り以上に、受けてよかったなと思う。最後に、野球がやっぱりすごく楽しいなって感じましたし。クビになった時、野球しんどいなと思う1年で辛かったですけど、トライアウト受けて投げたのがすごく楽しかったし、自分のやってきた仕事に誇りが持てるというか、やってきたことが間違いじゃなかったなというふうに、その一瞬で感じられた」
追い続けて22年、終わりが来るとは…
トライアウト当日、山本投手本人が「来ていますよ」と教えてくれたので、スタンドで父・龍朗さんを探しました。春季キャンプやファームの試合、特に福井で行われるBCリーグとの交流試合では必ず声をかけてくださるお父さん。福井フェニックススタジアムには毎回ものすごい量の差し入れを持ってこられ、私もお相伴にあずかります。あのお菓子が本当においしいんですよ~!ことしも頂戴しました。ありがとうございます。
そんな時のお父さんは、いつもお元気で笑顔しか浮かばないほど。ところが、トライアウトの日は超満員のスタンドで小さくなって座っておられる姿が、ものすごく寂しげで…。おひとりだったせいかなと思ったけれど、休憩時間に外でお会いした時もやっぱり元気がありません。なので当日は話を伺わず、改めて電話をさせていただきました。
戦力外通告について「覚悟はしていましたけど…。私が少年野球の監督をしていた時から、ずっと翔也の野球を追っかけて22年です。小学3年生、8歳の時から見てきたので。22年は長くて、重かった。私だけでなく家族みんな同じでしたね。野球一筋、翔也一色。それが終わるわけで。いつか来るとは思っていたけど、実感した時はきつかったですね」とお父さん。
「今でもまだ、もしかしたらと思っています。やっぱり、どこかで。ケガをしているならしょうがないけど、まだやれるのに。まだ野球が見られるのにと思って…。未練ですね。寂しいです」。本音があふれました。
甲子園で投げる以上のことはない
在籍中の思い出を山本投手に聞いたら、親孝行できたことが一番だと言っていますね。「そりゃもう大好きなタイガースに入って、キャンプも毎年行けて。本人はタイガースファンじゃなかったのに、私が喜ぶと思ってくれていたみたいで。でも何かあっても、いつも控えめに言うんですよ。私が期待しすぎてしまうので」。たとえば1軍に昇格するかもしれないとか、そういうことでしょう。「お母さんには話していたみたいですけど。私に言うと、浮かれてしまうし、人にしゃべるし(笑)」
そういえば、入団発表会の時にも「背番号を親父には伝えていないんです。きょうの発表の前に、あちこち言ってしまうから」と笑っていましたっけ。でも、“期待を持たせすぎたら、うまくいかなかった時に申し訳ない”という配慮があったと思いますよ。
お父さんにとっての思い出は?「ドラフトにかかった時や、1軍の初先発はもちろんですね。ウイニングボールももらったし。それと最初に沖縄キャンプへ行った時。もう私にとっては夢の世界で。入団発表も嬉しかったですけど、キャンプはものすごく嬉しかった!タイガースってマスコミもそうですが、こんなに人が集まるところなんだと思って」
そして「本人はもう悔いがないようですよ。『甲子園で投げる以上のことはないから』って、私に言いました。東京ドームは社会人で経験しているけど、甲子園はやっぱり違うんでしょうね。とはいっても、私たちはまだ翔也の野球を見たいです」とお父さん。山本投手の気持ちも、お父さんの気持ちも、よくわかります。
「今から、これから」とお母さん
続いて、母・佐智子さん。「シーズン中に本人が、ことしは終わるやろうから、と言っていたんです。年齢や成績を考えても、って。だから10月に入って(戦力外通告を受けたと)聞いた時、僕はさっぱりしているからと言っていました。ただ父親には“お母さんから言うといて”と。自分で言いづらかったんでしょう」
お母さんの思い出を尋ねたところ「キャンプに行った時、(息子は)こういう世界に入ったんだなと実感しました。テレビでしか見たことのない人がいっぱいで。金本さんや、歴代監督の岡田さん、中村さん、それにメッセンジャー投手や藤浪投手が目の前を通っていくのを見ると、違う世界だなあと。そういう方々と一緒にご飯を食べたり、しゃべったりしている息子を見て、違うところに来たなあと思ったものです」と振り返られました。
山本投手が投げる試合はご覧になったんですか?「私は2軍しか見ていないんです。1軍の試合は怖くて、とても見られなかった。小さい頃からそうでしたね。息子が出る試合は緊張するので、その自分自身の心配が伝わってもいけないと思って見に行かなかったんです」。トライアウトもお父さんひとりでしたね。「父親として、ケジメをつけたかったのかなと思います」
そのあと、お母さんは「こうなってから、息子とよく話をしてきました。それで私は『翔也の人生はこれからなんだから。どんどん幸せが来るし、これは1つの区切り。今からやよ、これからやよ。これからの人生の方が長いんだから、頑張りなさいよ』と言ったんです」とおっしゃいました。
「本人は、さっぱりしています。やれることはやったと。社会人のままでいたらよかったのに、という声もありましたが『自分はプロに行って何の悔いもない』と本人が言っていますから。1つの経験だったでしょう。これからの人生に活きていくと思います」。お母さんの言葉で、私たちも前向きな気持ちになれます。
真夏の鳴尾浜で見せた“10秒”
では最後に再び、山本投手自身の話を書いておきましょう。プロでの5年間を振り返って「新しい人、いろんな人に出会えた。自分より遥かに野球のうまい人ばかりで、すごくいい経験をさせてもらいました。今までテレビで見ていた人と対戦して抑えた喜びもあります。野球をやれていることが楽しかった」と話しています。
ファンの皆さんへのメッセージをどうぞ。
「5年間、応援ありがとうございました。自分のインスタにも書いたんですけど、タイガースファンは厳しいと言われる中で、自分はほとんどの時間をファームで過ごしたにもかかわらず、毎日あたたかく応援してくれて、つらい時も励ましてもらったり。自分にとって阪神ファンはすごくあたたかい存在だったので、感謝しかないです」
トライアウトから1週間が過ぎ、まだ進路は未定とのこと。どんな道を選択しようと、もし野球から離れたとしても、私たちは山本翔也という投手を忘れません。お母さんが言われたように、どんどん幸せがやってくる人生を送ってください!応援しています。
締めくくりは、ことし矢野監督の発案で始まったヒーロースピーチを山本投手が担当した日の記事です。わずか1球でピンチをしのいだ自身のピッチングが10秒だったと言い、そのあと「僕の10秒を見に来てください!」とスタンドに語りかけました。先発にも負けない魂の10秒、しびれる仕事ですよね。→<中堅どころがビシッと抑えて完封リレー!浜地投手は今季初勝利>
併せて、ちょっと懐かしい2014年と2015年の記事もこちらからどうぞ。
https://news.yahoo.co.jp/byline/okamotoikuko/20140123-00031884/<阪神の最年長ルーキー・山本翔也投手が制球力アピール!>
https://news.yahoo.co.jp/byline/okamotoikuko/20150105-00041969/<阪神タイガース・山本翔也投手「ことしはずっと1軍で!」>
<掲載写真は筆者撮影>