映画『美食家ダリのレストラン』公開記念/サルヴァドール・ダリとロックの関係【アーカイヴ記事】
2024年8月16日(金)、映画『美食家ダリのレストラン』(原題:Esperando a Dali/ダヴィッド・プジョル監督)が全国公開される。
スペインのカダケスを舞台に、天才画家サルヴァドール・ダリを我がレストラン“シュルレアル”に招いてディナーをしてもらおう!と奮闘するオーナー、ジュールズと仲間たちを描く本作。美術やグルメのみならず、1974年、フランコ政権末期のスペインを生きる人間たちのドラマであり、海辺のバカンス地であるカダケスの美しい景色にも見惚れるばかりだ。
映画の公開を記念して、ダリとロック音楽の関係について記した記事を復刻公開したい。この記事は2013年にヤマハのウェブサイトに初掲載されたが、アーカイヴ化されていなかったもの。映画の作中では1974年当時まだスペインでライヴを行ったことがなかったザ・ローリング・ストーンズやデヴィッド・ボウイへの言及もあり、ダリとロックの共時性を知る一助となるだろう。
<ダリとロック・カルチャーの遭遇>
2004年から2005年にかけてスペインのマドリッド、アメリカのセントピーターズバーグ、オランダのロッテルダムで開催された『サルヴァドール・ダリとマス・カルチャー展』。20世紀を代表する芸術家の一人であるサルヴァドール・ダリ(1904-1989)と映画、広告、ファッションなどマス・カルチャーとの関わりに焦点を絞ったこの美術展は残念ながら日本では開催されることがなかったが、筆者(山﨑)はマドリッドのソフィア王妃芸術センターでの展覧会を訪れることが出来た。
ダリとディズニーの合作映画『デスティノ』(現在では『ファンタジア』ブルーレイの特典映像として見ることが可能)、マルクス兄弟やアルフレッド・ヒッチコックとのコンセプト・ドローイング、数々のファッション・デザイン画などが展示され、実に素晴らしい展覧会だったが、惜しむらくは、彼とポピュラー音楽の関わりについて触れるセクションがなかったこと。本稿では、ダリとポピュラー音楽、特にロック・ミュージックとの豊潤な交流について記してみたい。
エルヴィス・プレスリーがデビューした1954年、ダリは既に50歳であり、積極的にリスナーとしてロックンロールを聴き込むことはなかったようだ。ただ、彼はロックンロールの派手で過剰なイメージを気に入り、エルヴィスを高く評価していたという。1957年、彼はマルケ社のパフューム「ロックンロール」の広告を手がけたが、真っ赤な背景の中を3つのシュルレアリスティックな物体がぶつかり合うさまが、彼の中にあるロックンロールのイメージだったのだろう。
1960年代に入るとダリは若い芸術家や単なるヒッピー達を集めた、一種のサロンを開いていたが、彼らを経由して、ロック・カルチャーにも触れるようになった。
タンジェリン・ドリームを結成する前、ザ・ワンズというバンドで活動していたエドガー・フローゼは1967年、ダリの別荘に招かれ、即興演奏を披露している。ダリが彼らにどんな印象を持ったかは明らかになっていないが、1枚の写真に収まっており、フローゼは後にダリの世界観に触発されたアルバム『Dalinetopia』(2004)も発表した。
<ダリとビートルズ、ストーンズとの交流>
1967年、彼はパリでザ・ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズ、そしてモデルのアマンダ・リアと初めて会っている。ブライアンは恋人だったアニタ・パレンバーグをキース・リチャーズに略奪愛されて、心の傷を癒すためにパリを訪れたところだった。一方、アマンダはロンドンでさまざまなミュージシャンと交流を持っており、デヴィッド・ボウイと交際していたこともあった(ボウイは当時アンジー・ボウイと結婚していたが、公認の不倫関係だったらしい)。1973年2月、ダリは彼女に連れられてニューヨークのレディオ・シティ・ミュージック・ホールでのボウイ公演を見ているが、あまり気に入らなかったらしく、最後まで見ずに帰ったという。
(出典:『サルバドール・ダリが愛した二人の女』アマンダ・リア著/西村書店)
アマンダはロキシー・ミュージックのブライアン・フェリーとも恋愛関係にあり、『フォー・ユア・プレジャー』(1973)、『カントリー・ライフ』(1974)のジャケットに写っているのも彼女だ。また、ブライアン・イーノをダリに紹介したのも彼女だった。
ところでアマンダが元々男性で、性転換したという噂があるが、そんなデマを広めることを彼女に勧めたのもダリだった。自らの経験から、スキャンダルが売り物になることを熟知していたダリらしい提案だったといえる。
1969年、ダリはジョン・レノンとオノ・ヨーコと会っている。ザ・ビートルズの「ジョンとヨーコのバラード」は「セーヌ河畔でハネムーン〜」という一節で始まるが、この歌詞で歌われているパリ滞在時の3月24日、ジョンとヨーコはダリと昼食を共にした。この翌日、25日にジョンとヨーコはオランダに向かい、26日にアムステルダム・ヒルトンで”ベッドイン”を行うが、”平和のためにベッドで寝る”という一種シュールなコンセプトをダリと結びつけるのは、穿ちすぎだろうか。
ザ・ビートルズの元メンバーでは、ジョージ・ハリソンが1973年にクリッシー・ウッド(現ザ・ローリング・ストーンズのロニー・ウッドの当時の奥方)と共にスペイン・カダケス近郊のダリ宅を訪れている。当時まだジョージの奥方だったパティによると、この時ジョージとクリッシーはデキてしまったのだそうだが、その頃パティ自身もロニーと不倫関係にあり、さらにエリック・クラプトンから求愛されるなど、何とも賑やかな時代だった。
ダリはアメリカ人ミュージシャン達とも盛んに交流していた。1969年、ジェファーソン・エアプレインのカリフォルニア州イングルウッド・フォーラムでのハロウィン・コンサートでは、ステージ上でグレース・スリックの愛車アストン・マーティンにダリがペインティングするというパフォーマンスが行われている。
また、1969年12月にはニューヨークで、ダリはジョニー・ウィンターと会っている。ダリはアルビノであるジョニーを見て「神の生まれ変わりだ!」と興奮、”白サイが人間の女性とセックスしている写真”を手渡したという。ジョニーの来日時に筆者がこの逸話が事実であるか確認してみると、「本当だよ。彼の絵を見たかったのに、見せてもらったのは白サイがセックスしている写真だけだった」と苦笑していた。
ロックンロールのショーアップされた側面を好んでいたダリが特に気に入っていたのは、アリス・クーパーだった。彼は1973年にニューヨークで初めてアリスのコンサートを見ており、その後プライベートな交友を深めている。スペイン・フィゲラスのダリ美術館には、アリスを3Dホログラム・アート化した作品が展示されている。
なお、アリスのアルバム『DADA』(1983)ジャケットはダリの作品『ヴォルテールの見えない胸像が出現する奴隷市場』の一部を使ったものだ。
それ以外にも、ダリはロック界からリスペクトされてきた。元バウハウスのピーター・マーフィーと元ジャパンのミック・カーンによるプロジェクトが、かつてアル・カポネが乗っていた車をオブジェ化した”ダリズ・カー”にちなんで名付けられているし、アメリカのプログレッシヴ・メタル・バンド、ソート・インダストリーも2枚連続してダリの油絵をジャケット・アートに使っている。
トンプソン・ツインズは『ビッグ・トラッシュ』(1989)に「サルヴァドール・ダリズ・カー」という曲を収録しているし、2012年11月に来日公演を行ったゴッドフレッシュがステージ背後で、ダリとルイス・ブニュエル制作による映画『アンダルシアの犬』を流していたのも記憶に新しい。
アメリカのヘヴィ・ロック・バンド、スリープの『ヴォリューム・ワン』(1991)のジャケット・アートもダリの『柔らかい自画像』を使ったものだ。
なおアメリカには“ダリ・レコーズ”というインディーズ・レーベルがあり(レーベル・ロゴはダリを思わせる口ヒゲ)、ヘヴィ・ロック・バンドのカイアスなどの作品をリリースしていた。
ただ、ダリがロック・ミュージシャン達から常に愛されてきたわけではない。彼はその作品と同じぐらいシュールで、想像を超えた攻撃を受けてきたこともある。
元イエスのキーボード奏者であるリック・ウェイクマンはストローブズに在籍していた1971年、パリ公演で、パフォーマンスとしてステージに上がってきたダリを酔っぱらいと勘違いして突き飛ばし、転落させている。「ソロを弾いていたら、変なヒゲの男が出てきて、ピアノに肘をついたりするから、突き飛ばしたんだ。彼はステージ下からえらい剣幕で怒鳴りながら、警備員に連れていかれた」と、リックは語っている。
ディープ・パープル〜レインボーのリッチー・ブラックモアは1976年、初めての奥方だったバーベル(バブス)と離婚するにあたって、彼女が複数の男性と関係を持っていたと告訴している。その内訳にあったのがジェフ・ベック、トミー・ボーリン、キース・ムーン、ダリ、そして12人のローディーというものだった。当時ダリは既に70歳を超えていたため、本当に関係があったのかは不明だ。いくらブラック・ジョーク好きで知られるリッチーとはいえ、冗談でダリの名前を出すとは思えないのだが...。
ダリが詩人ポール・エリュアールの奥方だったガラを略奪愛、自らのミューズ(芸術を司る女神)として敬愛していたことは有名だが、彼女の若いツバメだったのが、ジェフ・フェンホルトだ。1970年代初め、ニューヨークでミュージカル『ジーザス・クライスト・スーパースター』に出演していたフェンホルトはガラと出会い、不倫関係となったのだという。1894年生まれのガラだから当時もう70歳を過ぎていた筈だが、ダリ同様、老いてなおお盛んといったところだろうか。フェンホルトは1980年代に入ってヘヴィ・メタル・シンガーとなり、速弾きギタリスト、ヨシュア・ペラヒア率いるヨシュアの『サレンダー』(1985)で歌い、その直後にブラック・サバスのオーディションも受けている。結局加入には至らず、デモ・テープを制作したのに止まった彼だが、近年ではTV伝道師に転向。「サタニストの集まりであるブラック・サバスに加入してしまった。しかしある日、神に目覚めたんだ!」と説法している。
ダリは決して熱心な音楽リスナーではなかったという。だが、彼の絵画からは、見る人ごとに異なった音楽があふれ出る。その作品は、多くのミュージシャンにとってインスピレーションの源となってきた。サルヴァドール・ダリは、楽器を持たないロック・スターだったのだ。
【作品概要】
『美食家ダリのレストラン』
2023/スペイン/スペイン語、フランス語/カラー/115分
提供:コムストック・グループ/ファインフィルムズ 配給:ファインフィルムズ/コムストック・グループ
原題:Esperando a Dali 映倫:G 後援:スペイン大使館 Embajada de España / インスティトゥト・セルバンテス東京
(c)ESPERANDO A DALÍ A.I.E. 2022
https://dali-restaurant.com/
2024年8月16日(金)より新宿武蔵野館、シネスイッチ銀座、シネ・リーブル池袋他にて全国ロードショー