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『舞いあがれ!』の不可思議なラスト 令和の朝ドラが「未来で終わる」その哀しい理由

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:アフロ)

朝ドラ『舞いあがれ!』の最後の舞台は2027年

(『舞いあがれ!』のネタバレしています)

朝ドラ『舞いあがれ!』は最後、未来になって終わった。

125話(最終話ひとつ前)、2020年の「コロナ禍」が舞台であった。空飛ぶクルマ作りに向けて現場が一体となっていた。

125話の後半で、いきなり時代が飛んだ。

2027年とテロップで出る。

放送されているのは2023年3月30日なので、4年先に飛んだ。

長崎で実用化された空飛ぶクルマ

2027年に空飛ぶクルマが実用化される。その最初の実用飛行が描かれた。

パイロットはヒロイン舞である。

長崎の離島に向かって飛ぶ。

ヒロインの母の故郷であり、ヒロインも小学校時代にしばらく過ごした土地でもある。

離島や灯台の上を飛び、同時にいままでの日々をいろいろとおもいだす。

なかなか素敵な最終話であった。

未来に飛んで最終話となった。

ここのところの朝ドラは、最終話で未来世界になることが多い。

この『舞いあがれ!』ではわかりやすく2027年と明記されていた。令和でいえば9年である。放送している時点を越えて未来が舞台になっている。

『舞いあがれ!』が朝ドラ107作目。

前作『ちむどんどん』の最後は202X年

前の朝ドラ『ちむどんどん』(106作目)では、沖縄のやんばるで食堂を始めたヒロインの物語は、最終話でやはりいきなり飛んで「202X年」になっていた。

登場人物はみな老人になって、昔を懐古していた。

いろんな意味でのおかしみに溢れていた。

最終回だから何をやってもいいんだ、というような空気さえ感じられる。そういうアナーキーさが『ちむどんどん』のおもしろさでもあった。

放送されたのは2022年の9月。

最終話の前半は1985年が舞台であった。昭和60年だ。

それから40年ほど飛んで、202X年となったわけだ。2020年代の「比嘉家の人たち」を描いて終わった。

202X年は、未来だと確定したわけではないが、でも「未来の可能性もある2020年代」として描かれた。

いきなり時間を飛ばし、懐古談になって、かなりの時間経過と、あらためて、いろいろ確信的に破綻していたことをおもいだした。いまとなってはなかなか懐かしい。

『カムカムエヴリバディ』の最終話は2025年であった

その前の朝ドラは『カムカムエヴリバディ』(105作目)で、ヒロイン三代記。

最後のヒロインは川栄李奈が演じる大月ひなたであった。

このドラマは最初から100年の物語と銘打たれて、始まりが1925年のラジオ放送開始、およびヒロイン安子の誕生だった。

そこから100年、大正14年から、令和7年までの物語となっていた。

ラストシーンは2025年の京都の映画村である。

そこを歩いていたヒロインが小学校のときに憧れていたアメリカの少年に気づく、というところで終わった。

放送されたのは2022年の4月。

最終話の舞台は、3年未来であった。

『おかえりモネ』の最終話もコロナ収束後の世界であった

最近の朝ドラは、すべて、最終話で、未来に進んでしまう。

前の前の前、104作目2021年春の『おかえりモネ』も最終話は、未来であった。

最後は、コロナ禍で大変だった状況が収束して、モネがスガナミ先生と再会して手をつないで歩き出すというシーンで終わった。

カレンダーなどでこれは「2022年夏以降」を舞台にしていたことがわかる。

2021年の放送で、最終話は2022年であった。

ここ4作連続、未来(放送時点より先)で終わっている(『ちむどんどん』は微妙ではあるが)。

それ以前の、103作目『おちょやん』や、102作目『エール』は実在の人物をモデルにしているので、最後に未来に飛んではいない。明治生まれの人たちの物語だったので、そこから2020年代を越えることはまず無理である。

1996年『ふたりっ子』は最終話舞台は2005年

朝ドラで、最終話で、お話がいきなり進むというのはときどきある。

ただ、それが放送している時間を越えるのは、あまりなかった。

ずいぶん昔から朝ドラを見続けているが、最終話が未来に飛んで驚いたのは、1996年の『ふたりっ子』である。

最終話が放送されたのは1997年4月であるが、ラストで、いきなり「2005年名人戦第7局」へと飛んだので驚いた。

しかも、ヒロイン香子(岩崎ひろみ)は羽生善治名人(本人出演)と名人位をかけての最終局を戦っていた。

第7局だから、香子ちゃんと名人は3勝3敗なのだろう。

いよいよ女性棋士が名人を獲得するか、というところで終わったのだ。

ちなみに実際の2005年の名人戦は森内俊之が羽生善治をくだしている。

このときはかなり驚いた。1997年ごろは、「2000年代の未来」を描かれると、かなり新鮮なおもいで見たものであった。とても印象深かった。

2002年『まんてん』も未来へ飛んだ

もうひとつは2002年放送67作目の『まんてん』であった。

ヒロインまんてん(宮地真緒)は最後宇宙に飛び出して、つまり宇宙飛行士となっている。

ラストは、7年先の2009年時点でのお話が展開した。ヒロインは宇宙から皆既月食を伝えるシーンを見せた。

これはこれでなかなか不思議な朝ドラであった。

このラストの宇宙空間からの報告は、これまた強く印象に残っている。

「これまでの日常が続く」というのが朝ドラ基本パターン

ふつうの朝ドラは、そこまで未来に飛ばない。

昭和のころの型でいえば、ヒロインの人生、いろいろあったが、それまでどおりの日常がこれからも続く、というふうに終わるのが、ふつうのパターンであった。

さほど劇的なことばかりではない人生において、ヒロインは前向きに、これまでどおり、まじめに生きていく、というので、ドラマがおさまったのだ。

昭和のころは、日常を生きよ、というメッセージで長丁場のドラマを終えることもできたということだ。

でも21世紀になると、それはあまり説得力を持たないのかもしれない。

昭和のころは、おそらく「いまのまま続くということは、それは少しずつでも成長することだ」という合意があったようにおもう。

コロナ禍の朝ドラは未来に期待してしまう

令和期にはそういう空気がない。

現状を維持したままでは将来が不安である、というのがふつうのように感じる。

昭和と令和はずいぶんと違う。

また、コロナ禍に入って、朝ドラはもう6本も制作されている。

この時期のドラマが「コロナの後の未来」にいろんなものを託すのは当然かもしれない。

朝ドラのラストを未来に飛ばしていたのは「息苦しいコロナの世界」のせいだったのだろう。

コロナ禍が朝ドラの最後を「未来」に託す形を作ってしまったようだ。

朝ドラは、描かれている時代とは別に、制作時期の気分をけっこう反映しているようにおもう。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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