お金の貯め方改革と生き方改革
今、国策として働き方改革が推進されていますが、企業の立場からする雇い方改革ではなく、働く人の立場からする改革であることが注目されます。同時に、金融行政においては、老後生活のための資産形成が重点施策にとりあげられていますが、こうした政策に一貫するものは、働きつつ貯める国民の自律的な生き方改革なのです。
消費と所得の一致
生きることは、経済的現実においては、消費すること、即ち、お金を使うことです。消費するためには、その原資としての所得が必要ですから、生きることは、経済的現実を反対側からみるときは、働くこと、即ち、お金を稼ぐことです。そこで、経済の要請として、遺産がないとしたときには、生涯における消費総額と所得総額は一致しなければなりません。
さて、人生は、働くことへの意味付与です。働くことが消費するために稼ぐことならば、自己実現は消費においてなされると考えるほかなく、そこに伝統的な労働観の基礎があるわけです。しかし、消費の大きさが自己実現の尺度なら、より高度な自己実現への欲求は所得の積極的な増大を目指すことにつながり、働くことは、受動的な労働を超えて、能動的な挑戦へと意味を変えていくはずです。
そして、その先には、働くことは、それ自体において自己実現であるとする立場がみえてきます。お金以前の問題として、働くこと自体に意味があるのであって、それが同時に社会的意義も有することなら当然に社会の正当な評価を得る、即ち、お金がついてくる、そのような信念に基づいて働き、その信念が裏切られないことは、ひとつの理想的な生き方でしょう。
働き方改革
他方で、人生は有限ですから、経済の均衡に加えて、働く時間と消費する時間の均衡も重要です。人生が働くことへの意味付与であるならば、逆からみるとき、それは同時に余暇への意味付与です。休むために働くのか、働くために休むのか、まさに生き方の選択そのものです。また、人生の避け難き矛盾は、消費する時間のあるときに、消費できる資金がなく、消費する資金のあるときには、消費できる時間がないことです。
いずれにしても、消費は余暇においてなされます。そして、個人消費は経済成長の動因ですから、余暇の増大が消費の増大につながると仮定するときは、経済政策として余暇の増大が志向される、ここに、アベノミクスにおける働き方改革の目的があるわけです。
生産性改革
しかし、余暇の増大は、同時に所得の増大を伴わない限り、消費の増大にはつながりません。そこに、働き方改革の要諦があります。つまり、働く時間を短くしても、所得は増大する、少なくとも決して減少しないという条件を充足しない限り、働き方改革は経済政策として機能し得ないわけですから、それは同時に生産性改革でなければならないということです。
しかも、重要なことは、働き方改革の実質が生産性改革であるにもかかわらず、企業主体の雇い方改革、働かせ方改革ではなくて、働く人が主体の働き方改革とされていることです。これは単なる表現の問題ではなくて、真の生産性改革は働く人の主体的行動によってのみ実現されるという思想に立脚したものに違いないのです。
働く意味の回復
企業の立場からするときは、従業員を働かせている意味は、少なくとも経済の問題としては、明瞭でしょうし、明瞭でなければなりませんが、各従業員の立場からするときは、生きた意味を失った労働、即ち、生活資金を得るための労働にすぎなくなっている場合もあります。また、働く人は、働く主体性を喪失して、働かされる客体としてしか自己を自覚できなくなっているかもしれない、つまり働く前提としての生きる意味を失っているかもしれないのです。
働く意味を失い、働く喜びを失うなかでは、自発的な創意工夫による効率化など生じるはずもなく、働く時間の長さは働いたことの成果の増大につながりにくいわけですから、労働時間が長くて成果が少ないという結果になり、生産性の低さを招来しているわけです。故に、働き方改革の本質は、働く意味の回復を通じた生産性の向上と、その裏にあるはずの余暇を楽しむ意味の回復を通じた消費の拡大、この二点になければならないのです。
もちろん、働く意味の回復は、働く側だけの問題ではありませんから、働かせる企業の側における責任が重大なのですが、それは、あくまでも、働く人の立場での改革でなければならないわけで、プレミアムフライデーの導入のような表層的なことでは全く意味がないのです。
金融の意味
話を経済の均衡に戻しましょう。所得と消費が一致するとしても、日々一致するわけではないので、時間差の調整が必要だという論点です。
所得額と消費額の一致は、生涯全体での一致ですから、人生の途中経過においては、所得が消費を下回る時期もあれば、逆に上回る時期もある、ここに資金需給の時間的な不一致を調整する必要が生じます。こうして金融が発生するわけですが、お金の出入りの時間差を埋める金融の社会的機能は、法人についても、個人についても、全く同じように求められます。
例えば、法人について、設備投資資金の借入は、設備完成後に、当該設備を稼働し得られる売上金を弁済原資に予定したものですし、運転資金の借入は、先行的な在庫取得のためになされて、事後的な販売による回収資金を弁済原資に予定したものです。
同様に、個人について、資産形成とは、就労中の所得が消費を上回る時期になされ、退職後の所得が消費を下回る時期にとり崩されることを予定したものですし、学資ローンとは、就労前の所得がない時期になされ、就労後の所得のうち消費を上回る部分を弁済原資として予定したものです。
資産形成
経済政策の面で重要なのは就労中の資産形成です。その成果の良し悪しが退職後の消費の大きさを左右するからです。故に、金融庁にとって、国民の資産形成は非常に重要な施策となっているのです。しかも、金融庁の行政手法の優れているところは、働き方改革の主旨に矛盾なく、金融機関の視点ではなくて、国民の視点で資産形成をとらえていることです。金融庁のいう資産形成は、働きつつ賢く貯める国民の視点での資産形成なのです。
資産形成は老後の消費の原資ですから、国民の視点にたつ限り、それは金融の技術的問題である以前に、老後生活の設計の問題です。形成された資産の力が消費を支えるにしても、消費が人生だとしたときには、資産形成が人生を規定するのは本末転倒であって、消費が資産形成を規定するのでなくてはなりません。
故に、一定の収益率の仮定のもとに、計画的な資産形成がなされたときは、老後の人生のために、その計画を予定通りに達成することは極めて重要なことなのです。少なくとも、老後生活が人生の課題であり、故に資産形成が人生の課題なら、資産形成の成果がどうなろうとも、納得できること、後悔しないことは必須の要件でしょう。
つまり、資産形成においては、運用成果の良し悪しは、もちろん良いほうがいいに決まっていますが、生活の原資であることが重要なのであって、その生活のあり方、即ち、生き方が運用のあり方を規定するのでなくてはならないのです。故に、運用の方法に関する教育が必要だとしても、それは、金融の技術的な解説である以前に、主体的な生き方改革のすすめでなければならないでしょう。
働く主体性
弁護士のような士業、芸術家、自営業者、中小企業経営者などは、主体的に働いているのであって、定年退職がありませんから、一生涯、働き続ける気ならば、老後生活原資としての資産形成は必ずしも重要な人生の課題ではなくなります。むしろ、お金の余剰があるのなら、よりよく、より長く働けるように有効に消費する、いいかえれば自分自身に投資するほうがいいでしょう。
資産形成は、公的年金や企業年金等とともに、被用者の老後生活保障の一翼を担うものであり、故に、働き方改革と密接に結びつくのですが、自営業者等にならずに被用者の道を選択することは、実は、ひとつの生き方であって、その生き方を選択した以上は、不可避のこととして定年がくる、故に、資産形成を自分の人生の問題として自覚しなければならないのです。
つまり、被用者といえども、退職後の人生の設計においては主体的でなければならないのであって、その人生の課題を経済の問題として具体化したのが資産形成であるとすれば、それは公的年金、企業年金、確定拠出、積立NISA、その他の課税される任意な投資などを全て含んだものとして理解されなくてはならないのです。
働く企業との距離
働き方改革には、勤め先企業との関係の再構築も含まれています。企業に定年まで勤めることは、もはや少しも自明の前提ではないのです。例えば、起業すること、あるいは生涯働ける税理士等の資格を取得することなどを目標にして会社勤めをしているのならば、資産形成の課題は全く異なるものになるのであって、その目的は目標実現のための原資の形成になるはずです。
そうして、仮に老後生活のために形成された資産を別の目的に使ってしまったとしても、それは消費ではなくて自分自身への投資なのですから、後に事業からの所得として戻ってくるはずで、しかも、定年のない環境で働くことになるわけですから、老後生活の原資について全く別の解を得たことになるのです。
余暇の活用や副業などは、勤務先企業だけが働く場でないこと、自己実現の場でないことをいっているのですが、勤続中において既に企業との間に一定の距離を確保しておくことは、主体的生き方への訓練であり、定年という節目を人生の断絶的変化とすることなく、段階的移行を図るのに有効なのでしょう。
定年の意味
企業にとって、制度としての定年を廃止するのは少し勇気のいることかもしれませんが、定年後の再雇用は拡大していくのでしょう。背景としては、就労人口の減少もあるでしょうが、より大きな課題は、技能や経験知の継承だと思われます。だとすると、継承されるべき技能や経験知をもつ人、即ち自分の価値をあげるべく自分自身へ投資をしてきた人は、定年後の雇用機会を確保できるわけですから、老後の経済の設計も変わってきます。より長く働くことができれば、老後生活資金を形成する必要は小さくなっていくからです。
つまり、人材価値を高くする自分自身への投資は、企業の中でなされるにしろ、企業の外でなされるにしろ、主体的な生き方の問題として、働く誰もが取り組まねばならないことなのです。貯めることには、常に稼ぐことが先行します。賢く貯める資産形成は、賢く働き、賢く稼ぎ、賢く消費することの結果として、自動的に導かれてくるはずなのです。
働くこと、即ち稼ぐことを、使うこと、貯めることとの間で自律的に均衡させることこそ、真に生きることです。真の働き方改革は、同時に生き方改革なのです。