“しがらみ”から抜け出せない『紅白歌合戦』──中途半端に終わった2020年と今後のありかた
71回目の開催を終えた大晦日の『NHK紅白歌合戦』は、史上初の無観客開催となった。番組もNHKホールを中心としていたが、複数のスタジオに分散させた構成となっていた。もちろん、出演者やスタッフの密集を避けるためだ。
そこでは、無観客だからこその趣向も多く見られた。オープニングでは出演者をCGで紹介し、嵐は活動休止前のラストライブから中継、これまで顔出しをしなかったGReeeeNはARのアバターでの登場、LAのYOSHIKIやディズニーランドでの収録も盛り込まれていた。
なかでも「夜に駆ける」を披露したYOASOBIは、埼玉・所沢の角川武蔵野ミュージアムにある高い本棚に囲まれた空間からプロジェクションマッピングを使った演出で中継され、今回のハイライトとも言うべき存在感を見せた。
その一方で、司会の内村光良などとの掛け合いも少なく、一見ライブかどうか判然しないものも多かった。NHKホールのメインステージも、客席の前方部分をつぶして奥行きを持たせ、可動式の大型液晶パネルや階段を設ける工夫も見られた。
キワモノ要員の演歌勢がダダ滑り
結論から言えば、その内容は非常に中途半端だったと言わざるをえない。
メインステージを生中継する従来の『紅白』は、非常にシンプルな構成だ。多くの工夫はできないが、だからこそ臨場感を生み、出演者が一堂に会することで“お祭り感”や豪華さを醸し出す。だが、会場を分散させ出演者が多く集合することがなかった今回は、端的に言ってスタジオを使った一般的なテレビの音楽番組の方法論と大差なかった。
そこでは、ふたつの異なる方法論がバッティングしてしまっている。一般的な音楽番組の方法論であるにもかかわらず、従来のステージ中継の方法論を踏襲していたからだ。新しいことをやらなければならないのに、過去の記憶に囚われて中途半端になってしまった。
とくにそれを強く感じさせたのは、演歌勢のダダ滑りだ。水森かおりは篠原ともえがデザインした巨大なドレスに身を包み3メートルほどの高さで歌い、それをフワちゃんが自撮りで紹介する。
三山ひろしは、前年に引き続きけん玉リレーでギネス挑戦という趣向だ。90年代に小林幸子の豪華衣装が注目されていたあたりから、一部の演歌勢はキワモノ的な役回りを担ってきた。それは人気低迷する演歌の延命処置であり、観客がいるなかでは賑やかし要員の機能を果たしてきた。
しかし、観客がいない音楽番組のなかでは、水森かおりは異形の存在でしかなく、三山ひろしにいたっては異常なダダ滑り芸人の域を出るものではない。出演者が集まれず観客がいないなかで、会場の「一体感」を出そうとする演出をすれば、寒くなるのは当然だ。
芸能界と公共放送の“しがらみ”
かねてから『紅白』は、ふたつの“しがらみ”に捕われている。
ひとつが、芸能界だ。
50~60年代に右肩上がりの高度経済成長とともに拡大したこの業界は、『紅白』と『日本レコード大賞』を軸に日本の音楽産業の流れを形作ってきた。『レコ大』が業界政治の色を強めて失墜していったのに対し、『紅白』はいまも注目度が高い。
だが、出演者の人選や番組構成は、その積み重なった長い歴史によって生じる“しがらみ”で大きな変化を見せられなくなっている。今回であれば、ジャニーズ事務所のグループが6組も出演し(当初は7組が予定されていた)、ヒットのない演歌歌手も50年連続で出演する。音楽の人気よりも、そこでは芸能界への気配りが優先されている(図1)。
もうひとつの“しがらみ”は、公共放送であることだ。
視聴者からの受信料で経営されているNHKは、老若男女に向けた番組、つまり「公共性」を常に念頭に置いて制作に臨んでいる。この意識は外部からの想像以上に強く、そのバランスの結果がこれまでの『紅白』でもある。音楽が多様化するなかで、子供からお年寄りまで全世代に向けた出演者のバランスに常に気を配っている。
この「公共性」の意識は、芸能界以上に強い“しがらみ”となっている可能性がある。大きな変革をすれば、たとえそれが音楽的に評価されて視聴率の向上につながったとしても、「公共性」の観点からは批判される可能性があるからだ。
加えてこの5年ほど、YouTubeやストリーミングなどインターネットの配信サービスによって音楽受容は大きく変わった。いまCDを買うのは、握手券やトレーディングカードなどの特典を目当てとするアイドルなどの熱心な一部のファンのみだ。
もちろん『紅白』もこうした状況を無視しているわけでもない。今回はCD発売をせずにビルボードチャートで年間1位となったYOASOBIが出演し、オリコン年間CDシングルランキングで2位だったAKB48は落選した(「紅白落選も必然だった…AKB48が急速に「オワコン化」してしまった4つの理由」2020年12月27日『文春オンライン』)。
ただ、こうした音楽環境の変化に『紅白』が対応するスピードは、あまりにも遅い。ふたつの“しがらみ”に捕われることで、日本の多様な音楽状況に適合できなくなっている(図2)。
いまも続く「平成J-POP期」
歴史をさかのぼれば、『紅白』は3つの時代に区分できる。
最初が、戦後の混乱が冷めやらなぬなかラジオで始まった1951年から、高度経済成長の終わりあたりの1972年までの「高度成長期」(21年間)だ。
次が、1973年から会場を完成したばかりのNHKホールに移し、歌謡曲・演歌・アイドルの3本柱で安定した人気を維持していた2部制前まで(1988年)の「昭和安定期」(15年間)だ。
最後が、多様化する音楽に合わせるために2部制となった1989年以降だ。ロックやダンスミュージック、あるいは海外の歌手なども受け入れたその状況は、「平成J-POP期」(31年間)と言える(図3)。
現在の『紅白』は、この3つ目の「平成J-POP期」の延長線上にある。80年代後半、『紅白』の視聴率は急落したが、国内の音楽産業はむしろこの時期から急成長する。その背景にあるのは、レコードからCDになった音楽メディアの変化だ。扱いやすくなったデジタルメディアによって、音楽の多様化も進み、産業的にも活性化する。
J-POPという言葉も、この時期に生まれた。昭和が終わる直前の1988年末にFMラジオ曲・J-WAVEによって生まれたこの呼称は、1989年の平成以降に人口に膾炙した。それは、洋楽でも演歌でもアイドルでも歌謡曲でもニューミュージックでもなく、新たな日本のポピュラー音楽を指す言葉だ。CDによって生じた新たな受容を意味するだけでなく、海外や過去の音楽と差異化をはかるためのイデオロギーでありマーケティングタームだった。
『紅白』もこの「平成J-POP期」に変革を試みたことがある。2部制に舵を切っただけでなく、ロックやダンスミュージック、海外のアーティストを登場させる幅広いものとなった。
しかし、現在はその30年前の状況から大きな変化はない。ベテラン勢の退場など徐々に新陳代謝は生じさせているが、多様な音楽状況を受け止めきれず、しかも先に挙げたふたつの“しがらみ”に捕われている。出演者の年齢も60~70年代と比べるとずいぶんと高い(図4)。変化スピードの遅さが、むしろ従来の構造を強化し続けている。
相対化された地上波テレビ
昨年の大晦日は、『紅白』の裏で活動休止に入る嵐の無観客ライブ配信『This is 嵐 LIVE 2020.12.31』が行われていた。最後のライブということもあり、かなり多くのひとが視聴したと考えられる。嵐のファンクラブ会員だけでも、約300万人と見られるからだ。
従来までの『紅白』のライバルは、80年代なら『忠臣蔵』等の時代劇、90年代ならK-1などの格闘技、00年代以降は『笑ってはいけない』シリーズなど地上波の裏番組だった。しかし今回の嵐のライブ配信は、地上波テレビがインターネットによってすでに相対化された時代であることを端的に意味している。
それに加えて、前述した芸能界や公共放送の“しがらみ”を負う『紅白』は、もはや微調整以上の変化ができない状況になっている。
個人的には、ヒットチャートにより実直に準ずる策が、“しがらみ”に対してももっとも有効だと考えている。ビルボードジャパンの年間Hot100やトップアーティストのランキングはすでに参考にされているものの、今回であれば米津玄師やKing Gnu、Mrs.GREEN APPLE、back number、ヨルシカ、JO1、ONE OK ROCKなどの出演はなかった(「ビルボードジャパン 年間ランキング2020発表~」)。
もちろん、その必要はないとする向きもあるだろう。テレビ朝日の『ミュージックステーション』やTBSの『CDTVライブ』など、年末年始にかけて民放でも大型の音楽番組が放送された。ともに『紅白』よりも長い5~6時間の枠だ。それらと補完し合ったひとつの音楽番組という程度の認識でも良いのかもしれない。
もはやどうにもならないし、もしかしたらどうにかする必要もないのかもしれない──それが『紅白歌合戦』の置かれた現在だ。
【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】
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