スペイン版もののけ姫、映画『Irati』。自然VS文明のバトルの勝者は?
昨年のシッチェス・ファンタスティック映画祭で観客賞を受賞した『Irati』は、設定が『もののけ姫』に似ている。
●作品名がヒロインの呼び名であること。
●ヒロインが「もののけ」であること。Iratiは人間として生まれたが、後に半獣半人のもののけとなった。
●ヒロインが森に棲むもののけたちに仕える者であること。
●ヒロインが人間と交流し、人ともののけたちのリンク役になること。
●ヒロインとヒーローの間に恋心が芽生えること。
Iratiは自然と自然崇拝を代表する存在である。対するヒーローは人間であり、文明とキリスト教を代表する存在である。
自然VS文明という対立構造の中、ヒロインとヒーローがそれぞれの代表として憎み合ったり、葛藤したり、共通の敵を前にして協調したり、愛し合ったり……というお話である。
世界観も物語も非常にシンプル。血の肉弾戦が出てくるのでU-16の年齢制限があるが、小学校高学年くらいから理解できる、あまり頭を悩まさずに楽しめる正統派ファンタジーだ。
■『もののけ姫』の“あの役”がいない
もっとも、そのシンプルさが『もののけ姫』との決定的な違いだ。
『もののけ姫』は見終わった後にわだかまりが残る。自然VS文明というバトルの勝者が決まらなくてスッキリしない。一方『Irati』はスッキリする。
なぜなら、「エボシ御前」に相当する登場人物がいないからだ。
エボシ御前は、文明の豊かさと民主社会の素晴らしさと同時に、自然を容赦なく破壊する文明の残酷さ、という二面性を代表していた。彼女こそ、“文明って良いよね、でも良くないよね”、という葛藤の源だった。『もののけ姫』鑑賞後にいろいろ考えさせてくれる張本人だった。
『Irati』にはそういう葛藤がない。となると、どうなるかというと、“やっぱり自然は大事だよね”という、お約束のメッセージを発することになってしまうのである。
自然を守りましょう、というのは子供向けメッセージとしては正しい。
『Irati』の舞台はスペイン北部、森の豊かなバスク地方である。乾いたスペインには珍しく、川が流れ、霧がかかり、苔がむし、サンショウウオが這う、まるで日本のような緑の風景の中で物語は展開する。
この美しい自然を私たち人間は破壊している、という自覚を子供たちが持つことで、自然を愛する心と保護する心が生まれるはずだ。
だが、大人はこれだけでは納得しない。
■自然を守れ、と言われても…
なぜなら、自然が大切、なんてわかり切ったことだから。
問題は、自然も大切だが、私たちの文明も大切で、どっちをどこまで優先するか? これの答えはなかなか出ない。
文明は間違いなく自然を破壊している。森を切り拓き、動物の居場所をなくし、川と海と土と空気を汚染し続けている。だが、今さら馬に乗る生活には戻れない。
文明を諦めることは、便利さを諦めることで、どこまで不便さを我慢して自然を守ればいいのか? これの答えはなかなか出ない。
映画という娯楽自体が文明の産物であり、映画のある文化的な生活を享受していると、ふと、自然が懐かしくなる。
だが、この真逆。大自然の脅威の下で不便な生活をしている人間には、自然への郷愁などない。そんな暇も心の余裕もない。
つまり、『Irati』のような映画が生まれることこそが、文明のもたらした豊かさのお陰である、と言える。
今のまま自然を破壊し続ければ、私たちの文明をも破壊される。何かをしないといけない。
だから、自然と文明の共存、という発想になるのだけど、こちらを立てればあちらが立たず。対立する両者をどうやって共存させるのか?――なんてことは『もののけ姫』を見終わった後考えさせられることで、『Irati』を見終わった後に悩むことはないので、安心して子供さんと見てください。
※写真提供はシッチェス映画祭