「あしたのネット予報」──炎上やデマなどの発生は予想できるか?
「局地的なデマが発生」
以上はもちろんフィクションの「ネット予報」だ。
一見ただのジョークにしか見えないだろうし、実現していない以上はジョークとして扱われるのも仕方がない。
しかし、本当にこれは実現不可能なのだろうか?
気象予報の応用
インターネットがひとびとの生活を大きく変えたのは、あらためて細かく説明するまでもないだろう。われわれは、それ以前とくらべて情報摂取量が格段に増えた。それは単にニュース記事をたくさん読むようになった、というだけではない。
料理をするときは専門のサイトを見てレシピを確認し、外出すれば地図を見ながら移動する。生活のちょっとしたことまで、スマートフォンでチェックするようになった。一日にやりとりされる情報量は、日に日に増えている。
私が最近ちょっと夢想しているのは、そうした情報量の流れをマクロに捉え、それをネットで生じた出来事と照合していけば、フェイクニュースの伝播や炎上の発生などを科学的に予測することが可能ではないか、ということだ。
もちろんこのヒントは、実際の気象予報にある。専門ではないので中学や高校のときに学校で習ったレベルの知識で説明すれば、たとえば天気図は各地の気圧をマッピングし、それと実際の天気が照合される。そこから過去の例を参照してパターンを導き出し、そして天気や降水確率、気温などを予想する。
それと同じ仕組みだ。
数値化できる客観的なデータ(情報量/気圧)と、その状態で実際に生じた現象(炎上やデマ/晴れや雨)を照合し、その蓄積から予想するのである。
『マイノリティ・リポート』の実現
こうした発想は、もし故・星新一や筒井康隆が若ければSF小説として書いていたかもしれないものだが、ほかにもヒントとなる映画がある。それが2002年に公開された『マイノリティ・リポート』だ。
トム・クルーズ主演のこの映画の原作は、巨匠フィリップ・K・ディックのSF小説だ。西暦2054年を舞台とするこの作品は、3人の超能力者による未来予知によって、犯罪を事前に察知して食い止めるというものだった。
それは「ネット予報」とはもちろん異なるが、未来のひとびとの行動を事前に察知するという点においてよく似ている。「高度に発達した科学と魔術は区別がつかない」と話したのもSF作家の大家アーサー・C・クラークだったが、インターネットを行き交うビッグデータを活用すればそうしたことも可能かもしれない。
実際、工場で働くひとびとにGPSを付け、その行動を客観的に数値化することで生産性を上げるという研究もある。たとえば積極的に寄り道して歩き回るひとは、意外と仕事を多くこなすとか、あるいはある場所に置いてある機械が邪魔になって生産性が落ちているとか、そうしたことを導き出すというものだ。社会心理学の実験のようなことが、すでに試験段階に入りつつあるのだ。
もちろん、こうした研究の応用には常に倫理的な問題が生じる。集積されたビッグデータによって、ひとびとの行動が管理されるからだ。しかも当人は自らが管理されていることにも気づいていない。神ではなく、ビッグデータの見えざる手が働くのである。
「ネット予報」のリスク
「ネット予報」も、もちろん倫理的な問題と無縁ではないだろう。Googleのようなインターネットに強大な影響を与える存在が、行き交う情報にちょっとでも作為を加えた場合、それがネット社会で大きな変化として現れるかもしれない。蝶のはばたきが、遠くの場所の気象を左右する現象──バタフライ・エフェクトのように。
気象においても思い出すのは、人工的に雨を降らせた2008年の北京オリンピックだ。主催する中国政府は、開会式の前に会場から少し離れた場所で、雨を降らせる化学物質を積んだ小型ロケットを発射し、雨雲を消し去った。
「ネット予報」はおそらく将来的に可能になるだろうが、それは実際の気象よりもずっと人為的に変化させることが簡単だ。対象とされるのが自然現象ではなく、人間同士の営みだからだ。