【深掘り「どうする家康」】「海老すくい」をしていた酒井忠次は、「徳川四天王」の一人で功臣だった
1月8日からNHK大河ドラマ「どうする家康」がはじまった。今回は「徳川四天王」の一人で大森南朋さん演じる酒井忠次について、詳しく解説することにしたい。
大森南朋さん演じる酒井忠次は、何となくコミカルで親しみやすい印象を受ける。しかし、忠次は「徳川四天王(ほかの3人は本多忠勝、榊原康政、井伊直政)」の1人で「徳川十六神将」でもあった。何より、家康にとって第一の功臣である。
酒井氏の先祖をたどると、松平氏にたどり着くといわれている。また、忠次の妻は広忠の異母妹だったので、重用されたのは当然といえば当然のことだろう。
大永7年(1527)、忠次は松平氏の家臣で井田城(愛知県岡崎市)の城主・忠親の子として誕生した。忠次は元服を済ませると、家康の父・広忠に仕えた。しかし、その広忠は、家臣に殺害されるという非業の死を遂げたのである。
天文16年(1547)、まだ6歳の家康は、今川氏の人質として駿府に向かった。広忠亡き後、弱体化した松平家を立て直すには、今川義元の助力が必要だったのである。忠次はほかの三河武士とともに家康に随行し、苦労をともにしたといわれている。
ドラマの中では、「海老すくい」という踊りが行われていた。忠次は「海老すくい」が得意であり、酒宴などで披露しては大いに場を盛り上げたという。意外な一面である。
弘治2年(1556)、忠次の居城の福谷城(愛知県みよし市)が織田氏配下の柴田勝家に攻められた。織田信長は、たびたび尾張から三河に侵攻し、征服を目論んでいた。しかし、忠次は見事な戦いぶりで、勝家の軍勢を撃退したと伝わっている。
忠次の武功が優れていたのは、現在に伝わった刀や槍などでも確認できる。忠次の愛刀「猪切」は、家康の狩りに同行した際に下賜されたものである。作刀したのは、村正の高弟・正真である。また、愛用した槍の「甕通槍」の名称は、甕を突き破って敵を討ったことにちなんでいる。
ともあれ、忠次は家康の股肱の臣として、以後の幾多の戦いでも大活躍した。その点については、追々取り上げることにしたいと思う。