北朝鮮が対日批判を再開! 呼び方も「岸田首相」から「首相岸田」に変わる!
北朝鮮は昨年までは外務省傘下の日本研究所研究員による記事や朝鮮中央通信の論評、あるいは労働新聞などを通じて対日批判を展開していた。多い時はひと月に6~8本もあった。
昨年も11月から12月にかけて福島原発処理水の海洋放流や佐渡金山の世界遺産登録、日独の物品、役務相互提供協定(ACSA)の締結、さらには経済産業省が北朝鮮を「大量殺傷兵器開発憂慮国」に指定したことなどについて日本を非難していたが、その数はそれで月3本に減少していた。日朝がシンガポールなど第3国で6月頃から接触を重ねていたことと無縁ではなさそうだ。
そして、年が明けた今年1月5日、金正恩(キム・ジョンウン)総書記が岸田文雄首相に能登半島震災関連のお見舞い電を唐突に送ってきた。北朝鮮の最高指導者が日本国総理宛てにこの種のお見舞い電を送るのは極めて異例な出来事であった。それも、丁重にも「日本国総理大臣岸田文雄閣下」と呼称していた。
さらに、2月15日には金総書記の代理人でもある妹の与正(ヨ・ジョン)党副部長が珍しく、岸田首相の「北朝鮮との関係を構築することが非常に重要である」との衆議院予算委員会(2月9日)での発言を評価し、「首相が平壌を訪問する日もあり得るであろう」との談話を発表した。
米朝首脳会談(2018年6月)以降、安倍晋三元総理、菅義偉前総理、そして岸田総理と3代続いて北朝鮮に対話を呼び掛け続けていたが、実質的No.2と言われている金与正副部長が日本に反応したのはこれが初めてだった。
しかし、その後、金与正氏は「前提条件なしの首脳会談を言いながら、拉致と核・ミサイル問題を持ち出している」とクレームをつけ、3月26日に「日本側とのいかなる接触も、交渉も拒否する」との談話を発表し、開こうとしていた扉を再び閉ざしてしまった。
それでも金与正氏は2月15日の談話でも日本との交渉を拒否した26日の談話でも「岸田首相」と、敬称を込めて呼んでいた。
ところが、日本の憲法改正の動きを批判した一昨日(11日)の朝鮮中央通信社の論評では「岸田首相」ではなく、「日本首相岸田」になっていた。肩書は付けていたものの呼び捨てに等しい。
折しも、この日は岸田首相が全拉致被害者の即時一括帰国を求める国民大集会に出席し、「日朝ハイレベル協議、首脳会談に向け働きかけを一層強めていく」と決意表明していた日でもある。
金与正氏は先月24日、米国を非難する談話で「米国は日本、韓国傀儡と共に我々を狙ってほとんど毎週、休まず各種軍事演習を強行し、地域の情勢を火のついた導爆線のように緊張状態に追いやっている」と述べ、米国と行動を共にする日本を間接的に批判していた。
金与正氏だけでなく、その後、李龍男(リ・リョンナム)中国駐在朝鮮大使や崔善姫(チェ・ソンヒ)外相までが立て続けに談話を発表し、「我々は日本のいかなる接触の試みに対しても許さない」と公言している状況下で岸田政権が北朝鮮の開かずの扉をこじあけるのは容易なことではない。岸田首相の決意とは裏腹に在任中の日朝首脳会談は実現不可能かもしれない。