2度の金メダルのチャンスをフイにした楢﨑智亜。銅メダルに1ポイント及ばず4位【スポーツクライミング】
自らの名がつくワザでまさかのミス。スピード2位が響いた
これがオリンピックに棲む魔物というものだろうーーー。
スポーツクライミング史ではじめて行われた五輪決戦は、これから長きにわたって語り継がれていくであろう熱戦となった。
金メダル獲得を目標にしてきた楢﨑智亜は、東京五輪スポーツクライミング複合の男子決勝で〈スピード2位〉×〈ボルダリング3位〉×〈リード6位〉。複合36ポイントの4位でメダル獲得とはならなかった。
楢﨑にとって悔いを残す結果になったのが、1種目めのスピード。トーナメント形式で行われる1回戦の相手はベストタイムが6秒70のヤコブ・シューベルト(オーストリア)で、楢﨑は力を温存しながら6秒11で勝利した。
「5秒9台の後半から6秒フラットくらいは、いつでも普通に出せる感じですね」
楢﨑は今年6月のコンバインド・ジャパンカップで自身のスピードの現在地をこう明かしていたが、その言葉通り気負いなく駆け上がれば、ベストタイムが6秒台の選手には、安定して勝利できることを実証してみせた。
続く準決勝は、このトーナメントで最大の難敵との対戦。相手のミカエル・マウェム(フランス)はボルダリングを得意にするが、スピードも楢﨑と同レベルの実力者。加えて、兄であるバッサ・マウェム(フランス)が予選を通過したものの、怪我のために複合決勝を棄権したことで、「兄の分まで」という高いモチベーションを持っていた。
それでも楢﨑はミカエルを退けて、複合決勝スピードのファイナルに進出。対戦相手はアルベルト・ヒネスロペス(スペイン)。ベストタイムは6秒29で、楢﨑が”普通”にやれば勝てる相手だった。
しかし、”スピード1位”を目前にして、楢﨑がこれまで何百、何千と繰り返してトレーニングして体に染み込ませた自身の名のつく『トモアスキップ』に乱れが生じて、まさかの敗戦。スピード順位は2位に終わった。
楢﨑のスタート直後の映像を見返すと、それ以前のラウンドに比べるとファイナルのスタートは勢いよく飛び出していた。気がはやったのかもしれないし、知らぬ間にアドレナリンが出ていたのかもしれない。もしかすると日本新記録となる自己ベストを狙いたい色気が出た可能性もあるが、いずれにしろ楢﨑ほど目的のためにブレない選手でさえ、”普通”にやれない状態になる。それがオリンピックの舞台ということなのだろう。
ボルダリングのゴール取りに苦戦して狙っていた順位を逃す
2種目めのボルダリングは、楢﨑の名を世界に知らしめた得意種目。ここで1位を獲得してメダル争いをリードしたかったが、2課題を登ったナサニエル・コールマン(アメリカ)に1位を奪われた。楢﨑は1課題めは完登したものの、2課題めと3課題めはゾーン獲得のみでこの種目3位となった。
「2課題めのゴール取りにハマってしまい完登できなかったのが痛かったですね」(楢﨑)
2種目を終えた時点で楢崎の複合ポイントは6点で、ミカエル・マウェム、ナサニエル・コールマンと並んで暫定1位。メダルの行方は最終種目の順位次第となった。楢﨑はトップバッターでリードに臨んで高度33プラス。後続選手たちが楢崎を上回り、この種目6位となって複合36ポイントで3種目総合成績で4位に終わった。
「反省点がたくさんある大会になってしまい残念でした。本当にどの選手も強かったですし、勉強になりました。スピードとボルダリングで1位を取るつもりだったので、そこがうまくいかなかったですね」
初代金メダリストはスペインのアルベルト・ヒネスロペス
スポーツクライミングで「はじめての」金メダリストになったのは、スピードで1位となったアルベルト・ヒネスロペス。〈スピード1位〉×〈ボルダリング7位〉×〈リード4位〉の複合ポイント28。
銀メダルはボルダリング1位を獲得したナサニエル・コールマン(アメリカ)。〈スピード6位〉×〈ボルダリング1位〉×〈リード5位〉の複合30ポイント。
銅メダルはリードでただひとり完登して最後の最後でクライミングの醍醐味を見せてくれたヤコブ・シューベルト。〈スピード7位〉×〈ボルダリング5位〉×〈リード1位〉の複合35ポイントだった。
”たら”、”れば”を言い出せばキリはないが、楢﨑には金メダルのチャンスは2度あった。1度目がスピードのファイナルで1位をとる。2度目はボルダリングの2課題めを完登して1位か2位になっていたら。2つのチャンスのうち1つをモノにしていたら、表彰台の中央に立てたのだが……。
スポーツクライミングは3年後の2024年パリ五輪でも実施される。次回はスピード単種目と、リード+ボルダリングの複合の2種目が実施される。
これまで楢崎を取材して感じていることのひとつが、彼は敗戦や失敗を真正面から受け止める強さを持ったクライマーだということ。選手のなかには登れない課題があると「出しきれなかった」「メンタルが崩壊した」と、現実から目を背けるケースが少なくない。
だが、楢崎はつねに「なぜ?」と結果に向き合い、分析し、足りない技術を手に入れるための努力を惜しまない。だからこそ、2016年夏にスポーツクライミングの五輪での実施が決まってから、競技シーンの先頭に立って活躍を続けてこられたのだ。
オリンピックでの悔しさを晴らせる舞台はオリンピックにしかないのではないか。そして、その先にこそ楢﨑の目指す「最強クライマー」があるーーー。
【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】