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【戦国こぼれ話】日本人奴隷は世界を駆け回っていた!?あまりに無慈悲な奴隷正当化の論理!

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
鎖につながれた奴隷。(写真:ペイレスイメージズ/アフロイメージマート)

■許されない奴隷制

 現在、奴隷制度を公然と許している国は、ほぼないはずである(非合法的に行っているところはあるかもしれないが)。しかし、かつては当たり前のことだった。

 日本の戦国時代には、日本人奴隷が海外に連行されることがあった。その背景を探ることにしよう。

■日本人奴隷を生んだ南蛮貿易

 キリスト教の布教と同時に活発になったのが、南蛮貿易である。天文12年(1543)にポルトガル商人から種子島へ火縄銃がもたらされて以降(年代は諸説あり)、日本はポルトガルやスペインとの貿易を活発化させた。

 ポルトガルから日本へは、火縄銃をはじめ生糸など多くの物資がもたらされた。逆に日本からは、銀を中心に輸出を行った。こうして日本は、キリスト教や貿易を通して海外の物資や文物を知ることになる。

 これより以前、ヨーロッパでは奴隷制度が影を潜めていたが、15世紀半ばを境にして、奴隷を海外から調達するようになった。そのきっかけになったのが、1442年にポルトガル人がアフリカの大西洋岸を探検し、ムーア人を捕らえたことであった。

 ムーア人とは現在のモロッコやモーリタニアに居住するイスラム教徒のことである。その後、ムーア人は現地に送還されたが、その際に砂金と黒人奴隷10人を受け取った。

 このことをきっかけにして、ポルトガルは積極的にアフリカに侵攻し、黒人を捕らえて奴隷とした。同時に砂金をも略奪した。

■奴隷制は宗教的に問題がなかったのか

 これまで法律上などから鳴りを潜めていた奴隷制度であったが、海外――主にアフリカ――から調達することにより、復活を遂げることになったのである。奴隷制度は、宗教的に問題はなかったのだろうか。

 1454年、アフリカら奴隷を強制連行していたポルトガルは、ローマ教皇のニコラス五世からこの問題に関する勅書を得た。その内容は、次のとおりである(牧英正『日本法史における人身売買の研究』引用史料より)。

神の恩寵により、もしこの状態が続くならば、その国民はカトリックの信仰に入るであろうし、いずれにしても彼らの中の多くの塊はキリストの利益になるであろう。

 文中の「その国民」と「彼らは」とは、アフリカから連行された奴隷たちである。彼らの多くは、イスラム教徒であった。つまり、彼らアフリカ人がポルトガルに連行されたのは「神の恩寵」であるとし、ポルトガルに長くいればキリスト教に改宗するであろうとしている。

 そして、彼らの魂はキリストの利益になると曲解し、アフリカ人を連行し奴隷とすることを正当化したのである。キリシタンにとって、イスラム教徒などの異教徒を改宗させることは、至上の命題だったのだろう。それゆえに正当化されたのである。

■伸びる魔の手

 当初、アフリカがヨーロッパに近かったという理由から、日本人は奴隷になるという被害を免れていた。しかし、その魔の手は着々と伸びていたのである。

 この問題に関しては、岡本良知氏の名著『十六世紀日欧交通史の研究』に詳しいので、以下、同書により考えてみたい。

 日本でイエズス会が布教以後、すでにポルトガル商人による日本人奴隷の売買が問題となっていた。1570年3月12日、イエズス会の要請を受けたポルトガル国王は、日本人奴隷の取引禁止令を発布した。その骨子は、次のとおりである。

(1)ポルトガル人は日本人を捕らえたり、買ったりしてはならない。

(2)買い取った日本人奴隷を解放すること。

(3)禁止令に違反した場合は、全財産を没収する。

 当時、ポルトガルは、マラッカやインドのゴアなどに多くの植民地を有していた。まさしく大航海時代の賜物であった。

■無視された命令

 安価な労働力を海外に求めたのは、先にアフリカの例で見たとおりである。ところが、この命令はことごとく無視された。その理由は、おおむね2つに集約することができよう。

 1つ目の理由は、日本人奴隷のほとんどが、ポルトガルではなくアジアの諸国のポルトガル植民地で使役させられていたという事実である。

 植民地では手足となる、労働に従事する奴隷が必要であり、それを日本から調達していたのであった。理由は、安価だからであった。植民地に住むポルトガルの人々は、人界の法則、正義、神の掟にも違反しないと主張し、王の命令を無視したのである。

 もう1つの理由は、イエズス会とポルトガル商人に関わるものであるが、こちらは機会を改めて論じることにしよう。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『蔦屋重三郎と江戸メディア史』星海社新書『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房など多数。

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