川畑泰史座長が語る“多様性”の中の吉本新喜劇
吉本新喜劇生活30周年を迎えた座長の川畑泰史さん(54)。NSC大阪校9期生としてお笑いの道に入り、9月10日にはNSC大阪校9期生の同期「ナインティナイン」らも出演する記念公演を大阪・なんばグランド花月で開催します。池乃めだかさんの身長や辻本茂雄さんのアゴなど身体的特徴を定番ネタとして盛り込んできた新喜劇でもありますが、多様性が求められる昨今、どのような思いで舞台を作っているのか。日々最前線で舞台に立つ川畑さんが語りました。
「王・長嶋の野球」
新喜劇に入って、もう30年ですか。こうやって取材で言われると、改めて「そんなに長いことやってたんやなぁ…」と再認識する感じです。
新喜劇が世の中に出てきてから今で62~63年経っているわけですけど、僕が実際に座員として経験した30年の中でも大きな変化がいろいろとありました。
僕が入った頃は今田耕司さん、東野幸治さん、「130R」さん、木村祐一さんらが中心になって新しい新喜劇を作っていこうとしていた時期でした。昔と比べると、スタイルが大きく変わっている最中でした。
内場(勝則)さんの言葉を借りると、それ以前の新喜劇は「王・長嶋の野球」だったと。花紀京さん、岡八郎さんという圧倒的な中軸がいらっしゃって、笑いというホームランを打つのはこのお二人。他のメンバーはそのために送りバントをしたり、ランナーをためたりする。
そこから、全員野球というか、みんながあらゆる方法でどこからでも点を取るスタイルの野球に変わっていったという感じやと思います。
これは新喜劇の中の変化もあったとは思いますけど、時代の変化がそうさせたという部分も大きかったと思っています。
昔はお二人が笑いを取る形でお客さんも満足してくださっていたのが、意外性の笑いだったり、引きの笑いだったり、新しい笑いのパターンが出てきて、それだけでは物足りなくもなってきた。
いろいろな特性を持った座員がそれぞれの強みを生かして、いろいろな笑いを盛り込む。時代がそういうものを求める以上、軸は残しつつも、そこに合わせて変わっていく。それが新喜劇でもあると思うんです。
多様性の中の新喜劇
そもそも、笑いは時代とともに変化していくものなんですけど、近年さらに多様性を大切にすることが求められるというか、一つの例を挙げると、人の容姿をイジらないという風潮も強くなってきました。
新喜劇で言うと「池乃めだかさんは小さい」ということをイジったりもします。だけど、僕ら内側の感覚で言うと、めだかさんが小さいということはめだかさんを構成する一部であって、役者としてのめだかさん、芸人としてのめだかさんが持ってらっしゃる要素はその何倍もあるし、正直な話、僕らはそこまでめだかさん=小さいということだけに固執している意識はないんです。
確かに、客観的に見たらめだかさんは背が低い。これは事実です。ただ、それだけでここまで来られたわけではなく、それ以外の能力値が高いからこそ、多くの人に知られる存在になったと思いますし、僕らはそれを肌で感じてもいます。
むしろ、小さいということで笑えるくらい、芸人・役者としての力があるとも言える。小さいということを妙なコンプレックスではなく、研ぎ澄ました武器にする。
それはとても前向きなベクトルだと僕は思いますし、こんなことをあからさまに言うのはナニな話ですけど、もちろん僕らがめだかさんを小さいということでバカにしたりする思いなんかがあるわけはありません。
…ただ、今の話は全部、こっち側の論理です。あくまでも、作っている側が、身内が、考えていることです。
こっちがいくら何を言おうとも、実際にそれで気分を害される方がたくさんいらっしゃるんだったら、これは笑いの材料として成立しない。むしろ、適さないものになる。
僕が道を歩いていて「新喜劇でめだかさんがイジられることで、ウチの息子がいじめられているんです」とお母さんから訴えられたりしたら、それは僕の胸に深く気刺さるし、考えさせられることにもちろんなります。
ただ、これはもしかしたら僕の感度が低いからなのかもしれませんけど、今のところ、それを感じることはない。実は、ここに新喜劇の“ならでは”の部分が良くも悪くもあると思っているんです。
“ごまめ”への思い
すごく感覚的なことにもなるんですけど、新喜劇に対する「しゃあないか」という感覚というのかな。いろいろなことがあっても「新喜劇だから仕方がない」。そう思ってもらっている部分があるのかなと。
関西弁で言うところの“ごまめ”というか、一般的な言葉なら“特別枠”というか「ま、新喜劇だから…」という見てもらい方。
ここには親しみもあるし、愛情があるのも間違いないとは思うんですけど、裏を返せば「ちゃんと真正面から見てもらっていない」という部分もあるのかなと。
新喜劇はテレビ放送のことも考えて、45分の中で物語を完結させないといけない。しかも、喜劇なのでそこにたくさん笑いも入れてストーリーを作るということを毎週やらないといけない。常に突貫工事というか、かなり負荷のかかることをずっとやり続けてもいるんです。
もちろん、お客さまにお金を払って見ていただくものですから物語が破綻したりする部分はないようにしています。ただ、そうやって短時間でこれでもかと笑いを入れて起承転結を作るので、つじつまがあわないというか、ある種のひずみみたいなものがあるところもあるのかもしれない。
そこに対して「新喜劇やから」と笑って見てもらえる部分がありがたくもありますし、一方で「そこは芝居として、ガンガンつっこんでもらった方が真っ当だ」という考えもあります。
親愛の情で「新喜劇やから」と思ってもらえるのはありがたいことなんですけど、多少つじつまが合ってなくても「新喜劇やから」と流してもらうのは、実は、僕らからしたら悔しいことでもあるんです。何とも難しい表裏一体です。
めだかさんの身長のネタなどに関しても、この「新喜劇やから」というものが影響している部分もあるかとは思いますし、この何とも微妙な空気はありがたくもあるし、課題でもある。そこは僕らが常に意識しておかないといけないところやと強く思っています。
引き際
また、今は新型コロナという要素がそこに加わってきました。漫才や落語に比べて、一番やりにくいのが新喜劇だと思います。密がダメ。接触がダメ。そうなると、かなりの動きが封じられます。
ただ、その中でもソーシャルディスタンスを逆手に取って話を作ったり、リモートでしかけいこができないという設定からのドタバタを作ったり、制約がある中だからこそ生まれるものも今回の中で感じています。
どんな形にせよ、時代に即して存在していくのが新喜劇だと思いますし、100周年の時には今とは全く違うスタイルになっているかもしれません。ただ、皆さんから求められる存在であり続ける。ここは何とか願っているところです。
個人的には、10年後に座長をやってることはもちろんないと思いますけど、なんとか新喜劇は続けられていたらなとは思っています。定年がない世界ですから引き際が難しいですけど、続けておきたいと。
究極を言えば「川畑さん、いくつになっても衰えへんなぁ」と思ってもらうのが理想ですけど、ま、そうはいかないでしょうからね。
「オッサン、セリフ全然覚えへんやん…。でも、まぁ、川畑さんやし、エエか」と思ってもらえる存在になれるよう、引き続き、地道な積み重ねをしていこうと思います(笑)。
(撮影・中西正男)
■川畑泰史(かわばた・やすし)
1967年6月22日生まれ。京都市出身。京都府立桃山高校卒業後、複数の職を経て、大阪NSCに9期生として入学。同期は「ナインティナイン」、宮川大輔、「矢野・兵動」ら。91年、吉本新喜劇に入団。お笑いコンビ「ビリジアン」解散後、新喜劇入りした小籔千豊とともに次代のリーダーとして頭角を現す。2006年に小籔が、川畑が07年に座長に就任する。9月10日には大阪・なんばグランド花月で「川畑泰史新喜劇生活30周年記念公演」を開催。同イベントには「ナインティナイン」、「博多華丸・大吉」、宮川大輔、小籔千豊らが出演する。