『映画 太陽の子』で三浦春馬扮する息子を母親役の田中裕子はなぜ抱きしめずに耳を触ったのか
8月6日、広島原爆の日に公開
8月6日が公開日という深い意味に当日になって気が付いたが、『映画 太陽の子』がその日、公開された。柳楽優弥、有村架純、三浦春馬のメインキャスト3人のほかに、田中裕子、國村隼らベテラン勢を揃えた豪華出演者。主題歌を福山雅治が歌い、音楽などをハリウッドのスタッフが担うというように日米合作で作られている。
太平洋戦争が終結に向かう時期、日本でも密かに原子の力を利用した新型爆弾の研究が進められていた。その研究を進める科学者らを描いたものだが、研究途中に広島と長崎に原爆が落とされる。広島を訪れた主人公は悲惨な状況を見て、これが自分たちの目指していたものなのかと、愕然とする。そういう科学者の葛藤や、科学技術の進歩がもたらすのはいったい何なのかといった深くて重いテーマが描かれた作品だ。
脚本と演出を手掛けた黒崎博監督はNHKの制作者で、朝ドラ「ひよっこ」や放送中の大河ドラマ「青天を衝け」などを作ってきた。その監督のインタビューを発売中の月刊『創』(つくる)9月号に掲載している。
インタビューしたのは私と、ライターの空羽ファティマさんだが、試写をメモを取りながら観たらしい彼女の質問がなかなかいいところに突っ込んでいた。例えば、特攻隊に所属する三浦春馬扮する息子を母親役の田中裕子が、今生の別れとなる場面で、なぜ抱きしめようとしながらそうせずに彼の耳を触ったのか。
あるいはその息子の遺書が、今回の映画と、昨年NHKで放送されたドラマとでなぜ違っていたのか。
監督はそういう質問に丁寧に答えてくれたのだが、その答えがなかなか深い。
映画の大ヒットを祈って、発売中の『創』のインタビューを公開直後の今、ヤフーニュースで公開することにした。
実際にあったことをベースに描いた
――監督が資料に接してこの映画を構想し、NHKとしても大きなプロジェクトとして取り組んだのだと思いますが、その経緯をお話しいただけますか?
黒崎 発端は13年ほど前、僕が広島にいた時、図書館をあてもなく歩いていたんですけど、そこである科学者が書いた日記の断片を見つけたんですね。
彼は京都帝国大学で原子物理学を研究していたのですが、1945年8月広島に新型爆弾が落ちたらしいというニュースを聞いて、京都から夜行列車で広島にたどり着いて現状調査をしたとあったんです。
ウランが核分裂の連鎖反応を起こすらしいという事実が世界で発見されていたんですけど、それを実験を重ねて実現した科学者はまだいなかったんですね。京都のチームは、それを実現したいと研究していたところ、海軍から、あなたたちの研究で新兵器が作れないか、と依頼される。そのことで学生たちの運命がガラッと変わっていったというのです。
ほとんど一般には知られていないし、文献も限られたものしか残っていなかったので取材は難航しましたが、一人また一人と当時のことを知っている人を訪ね歩く取材を何年か、仕事の合間にやっていました。やっと全貌が見えてきて、どうしてもこれを物語にしたいと脚本を書き始めたのは10年ほど前でしょうか。
そのあと東日本大震災と原発事故があり、日本も原子爆弾を研究していたんだという企画の受け止められ方が刻々と変わっていったような気がします。制作者の中からも当初から強いアレルギーを感じました。脚本を書き上げたとはいえ、これでお金が集まって映画が1本撮れるという状況ではありませんでした。特に原発事故の影響で、この作品が撮れる環境はかなり悪化したと思います。
その中でNHKの土屋、浜野両プロデューサーを通じて、ロサンゼルスの森コウさんという映画プロデューサーと出会って、やっと資金集めも含め本格的に企画が動き出しました。撮影に至るまでに山あり谷ありでしたね。
昨年、ドラマバージョンを放送しましたが、意外にもというか、ストレートに青春ドラマと受け取ってくれる方もいて、隠された知る人ぞ知る事実を受け止めていただいています。試写も各地で重ねていますが、この10年でこの企画が受け止められる土壌ができてきたから今公開される。そういう運命というか、巡り合わせみたいなものも感じています。
映画は実際にあったことをベースに描いているのですが、もちろんフィクションを織り交ぜているし、彼らが何を喋ったかはわからないので、その部分は創作です。ただ、そういうチームがあったという史実には基づいています。
答えのない問いを続けていたのか
――京都から広島に行った学生というのは、映画では柳楽さんが扮した主人公の石村修だと思いますが、実際に資料に書かれていた人なんですか?
黒崎 そうなんです。ドキュメンタリーのように書かれていました。8月6日に広島に落ちた新型爆弾のことは各地に伝わらなくて、8日になってやっと京都にいる彼らが知ったんですね。そこで9日の夜に夜行列車に乗って広島へ向かう。駅は壊れているのに線路は繋がっていたみたいです。
――史実に基づきながらもテーマについては監督の意向が反映されています。科学的な研究が軍事利用されることへの科学者の葛藤も描かれていますね。
黒崎 自分たちの研究が軍事利用されることへの葛藤もあるでしょうし、一方で当時の日本軍は兵隊を飛行機に乗せて敵艦に突っ込む戦法をとっていたくらい戦況は不利だったので、命に代えても何か国のためにしなくてはいけないという使命感も持っていたと思います。
やはり人間は一面では描き切れないですし、当時の日本を取り巻く社会状況や、世界における日本の立ち位置などがわかっている人ほど国のために何かやらなければという使命感も強かった。もちろん一方で、こんな戦争を続けていてどんな意味があるんだろうという思いも強かったと思います。その中で自分にできることは何かという、答えのない問いを続けていたのかなと想像しながら脚本を書きました。
――映画にも出てきますが、新型爆弾を研究している科学者たちには、これで戦争を終わらせるという、自分たちを納得させるための大義名分もあったわけですね。
黒崎 そうですね。そこが難しいところで、技術的に言うと、自分たちのやっている研究を進めたところで、実際に原子爆弾が数カ月や1年でできるわけがないとわかってはいたんじゃないかと思います。これは推測なんですけれど、リーダーである教授は、太平洋戦争をやっている間には絶対に完成しないだろうと思っていたのではないかと思います。でも、学問のためにも将来の日本のためにも研究を進めることには大きな意義があると思っていたことは確かだと思います。
この企画にゴーサインが出る前は、あまりにもテーマ性が強すぎるのでテレビドラマで作るのは無理だと私自身も思っていましたし、NHKの中でもそういう声が大半でした。ただ、先ほど話した森プロデューサーと一本の映画にしようと動いていく中で、NHK内にも企画の趣旨に賛同する声が聞こえ始め、共同制作という形で途中から変わっていきました。
――去年ドラマを放送したのは8月の戦争について考える企画のうちのひとつということだったのですね。
黒崎 結果的にはそうなりました。放送時期を相談して探りましたけど、夏の時期に他の番組も含めて戦争を特集していく中で、よりたくさんの人に見てもらえるんじゃないかと思いました。
戦争に対する思いが三者三様の人生に投影
――テーマには、戦争に対する監督なりの思いもあったと思いますが、有村架純さん扮する世津が、戦争が終わった後のことを考えるセリフを発したり、三浦春馬さん扮する裕之は出征してしまう。それぞれの配役に戦争への思いを投影したのでしょうね。
黒崎 おっしゃる通りです。主人公は科学者の卵ということで、学徒動員の時期でしたけれど、あのような科学研究をやっている学生は徴兵が免除されるシステムでした。なかなか進まない研究にもがきながらも戦場に出ることはなく、命を危険にさらさずに大学で研究が続けられる。一方で石村裕之という弟は自ら志願して、軍人として戦地に赴いて、自分の命をかけて国のために何かをする。それが当たり前の時代でもあった。その対比がこの物語に必要だなと思いました。
世津も含めた3人はそれぞれ違う人生を生きていきます。戦争のあとも違う運命を生きていく。3人の誰が欠けても、当時の若者の生き様の大事な要素が欠けてしまうという思いがありました。三者三様の人生を合わせて描いてこそ伝わるものがあるんじゃないかと考えました。脚本を書いている中で、この3人は必要だと自分の中に持った上で進めました。台本を書き上げる前に3人のキャストの顔は浮かんでいました。
――柳楽さんは風変わりで複雑なキャラクターの主人公ですね。キャスティングについては、監督として3人の役者を見ていて、この人が向いていると判断されたのでしょうか。
黒崎 確かに主人公は、風変わりなヒーローだと思います。劇中では実験バカと呼ばれていますけど、科学オタクだし、それをどう表現したらいいのか。何より僕が難しい、大事だなと思ったのは、どこかで狂気をはらんでいることです。どこまで正しくてどこまで間違っているのかはわからないけれど狂気をはらんでいて、自分が何かを見つけたいという思いの果てにはどこかで誰かを傷つけても構わないと思っているような傲慢な科学者の狂気。誰かを殴るとか暴力的な表現ではなくて、静かに自分の内面でだけ燃えさかる青白い炎、アカデミックな狂気を演技で表現するとどうなるのかは脚本を書いていながら、それを託せる俳優は柳楽くんしかいないなと思いました。
――広島、長崎に続いて、次に京都に原爆が落とされるという噂があって、主人公は、それを自分の目で見たいと言うわけですが、そのへんも今おっしゃった科学者のある種の狂気ということですね。
黒崎 そうですね。元々京都に3発目が落とされる噂は実際にあったみたいです。なので町の多くの人がそのことを知っていたと思います。あと、これはどこまで探っても事実かはわからないですが、荒勝文策という教授がチームのみんなに、京都に落とされるんだとしたら比叡山に登ってそれを観察しようじゃないかと発言したという記録があります。僕はこれをたとえフィクションだとしても、ぜひストーリーに取り込みたいと思いました。
作品を見届けることができなかった悔しさ
――映画がようやく完成して公開を迎えますね。
黒崎 そうですね。その話を避けては通れないのですが、やはり今やっと完成して公開だという時に大事な仲間の一人が作品を見届けることができないというのは、正直とても悔しいです。胸をかきむしられるような、僕自身も、柳楽くんや有村さんも、どう言葉で表したらいいか難しいですね。
ただ改めてお伝えしたいというか、自分で噛み締めるのは、現場での春馬くんの振る舞い、演じる時の姿勢、彼自身があの役に込めようと思ったものは、きっと悲しみじゃなくて、前を向いて生きるということだったと思います。演じる前や最中にもたくさん話し合いましたけど、前を向いて生きることをどういう風に伝えたいかを熱く語ってくれました。常に全身全霊で、1テイク1テイクに全てをかけている姿勢に、僕は心を打たれたし、それが柳楽くんや有村さんに伝播して、これこそ裕之という役だなとみんな感じながら進めたように思います。そのエネルギーを作品を見て感じていただけたら、彼が伝えたいと思っているであろう大事なことの一端が伝わるんじゃないかなと思います。
――テレビと映画とで最後のシーンが少し違うのですけれど、これはどう考えられたのですか。
黒崎 順番としては、一本の映画を作ろうということで集結していましたので、まず映画を完成させました。そこから、再編集をして、別角度から物語を描いたのがテレビ版でした。だから今回公開する映画こそが本来の形ということになります。
――この映画は「映画 太陽の子」、英語版では「Gift of Fire」となっていますが、このタイトルにはどんな思いを込められたのですか?
黒崎 最初に脚本を書いた時のタイトルは「神の火」としていました。彼らが扱っているのは、人間が手にしたことのない種類のエネルギーで、それを象徴するのは火だと思うので、神の領域に近いのではないかと思っています。
ただ脚本を何度も書き直しをして完成する間際に、柳楽くん、有村さん、春馬くんたちキャストの顔を思い浮かべながらどんな映画にしたいのか改めて考えた時、この映画は科学者の罪というテーマもありますが、一番伝えたいのは若者がそれぞれまっすぐに生きようとしているということだと思ったんです。その時はまだ企画のゴーサインが決まっていなかったんですけど、キャストの「やりたいです」という声が背中を押してくれました。
その時自然と「太陽」という言葉が浮かんできて、彼らは太陽の子供たちだと直感的に思いました。いまから付け加えるなら、太陽も核融合でエネルギーを出すものだし、原子爆弾が落とされた直後のトルーマン大統領の「これは太陽のエネルギーなんだ、未だかつて人間が手にしたことのない太陽のエネルギーが極東の日本に向けられて放たれたのだ」という演説が残っています。ポジティブな意味もネガティブな意味も含んだ、人間のギリギリ手の届かないところにあるエネルギーという意味を含んだ言葉が「太陽」だと思います。
また「Gift of Fire」というタイトルは、日本語で脚本を書いた時から、英訳する時にいつも一緒にやってくれているアメリカ人の翻訳家がいまして、その人が日本の能の大ファンなんです。日本人の死生観をとても大事に考えて言葉を選んでくれるんですけど、その人が原稿を訳してくれた時に、自然と「Gift of Fire」という言葉が浮かんできたそうです。的確なタイトルだと思ったので、これを世界に発信する時はこのタイトルでいこうとなりました。
giftという言葉には、恵みという意味もあるだろうし、才能という意味もあるだろうし、人間の誰かから誰かへの気持ちの贈り物という意味もある。そんなニュアンスを、見た人がそれぞれくみ取ってくれたらいいなと思って、タイトルにしました。
抱きしめる代わりに耳を触った
――三浦さん扮する裕之が再び戦地に赴く時に、母親役の田中裕子さんが抱きしめようと思いながらやめるシーンがありますね。あそこは田中さんのアドリブだったのですか、それとも最初から脚本にあったのですか?
黒崎 リハーサルをやっている時に田中裕子さんが僕に提案してくれたのです。「抱きしめる代わりに耳を触ってみようと思います。どう思われますか」と。とてもいいと思うのでリハーサルで試してみようと、あのようになりました。
色々なシーンを積み重ねていく中で、自然と僕たちの中で最後の別れとしてはこれが一番いいんだ、お母さんらしい、息子らしいというコンセンサスができたと思います。母親の深い愛情を積み重ねてきたし、一方で、どれほど強い決意でここを去ろうとしているのかという春馬くんの演技の芯みたいなものが生まれていたから、それを無理やり、抱きしめて、揺さぶるということはできないと裕子さんも思ったんでしょうね。だからこそあの仕草になったんだと思います。
――テレビドラマの裕之の遺書には「ありがとう。さようなら」とあったのに、映画では「ありがとう」がカットされていたのはどうしてでしょうか。
黒崎 深く読まれていますね。編集段階でその場の直感でやっているのですが、裕之の揺るがない思いを、映画の編集の時にはより強く意識しました。その言葉は言わずもがなだし、言葉を減らしていくことによって思いが伝わるんじゃかと考えて、そこはカットしました。
――母親がおにぎりを握るシーンも印象的ですね。
黒崎 おにぎりを含めて、この映画で食事をするシーンはとても大事です。母親が息子や家族に対してできることはとても限られている。食材も少ないし、不自由な毎日を生きる中で、食べることをちゃんとしてあげたい、戦地へ旅立っていく息子に万感の思いを込めて食べるものを持たせてあげるというのは、切実な思いがこもっているシーンだと思います。
フードコーディネイターの宮田さんはそれを最初から汲んでいただいていて、ちらし寿司をどうやって作るのかとか、お米と玄米の分量とか、リアリティとして白米をどこまで使っていいのかとか、お芝居の中で箸でつまんだ時にどれくらいぼろぼろになるかとか、お米と玄米の分量を何パターンも実際に自分で炊いて試して、その結果この比率がいいから監督に勧めたいというようなやり取りをしました。ずいぶん話し合いをしました。とても熱く、食べ物が表現する意味を僕以上に深く深く考えて読み解いて作ってくれました。
その宮田さんも突然いなくなってしまって、最終形の映画を見ていただくことができないのはとても残念だと思っています。主人公がおにぎりを食べる場面はこの作品の重要シーンですが、宮田さんはどうしても自分の手で握ったおにぎりを柳楽くんに持たせたい、と撮影の前日から京都入りし、料亭の厨房を借りて米を炊き、おにぎりを握ってくれました。そんなスタッフやキャストの思いがたくさんこもった作品なんです。
「映画 太陽の子」の公式ホームページは下記
(C)2021ELEVEN ARTS STUDIOS/太陽の子フィルムパートナーズ
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