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最強挑戦者、豊島将之竜王・名人(30歳)千日手指し直しで合計228手の激闘を制して叡王戦第1局勝利

松本博文将棋ライター
(記事中の画像作成:筆者)

 6月21日。静岡県賀茂郡河津町「伊豆今井浜温泉 今井荘」において叡王戦第1局千日手指し直し局▲豊島将之竜王・名人(30歳)-△永瀬拓矢叡王(27歳)戦がおこなわれました。棋譜は公式ページをご覧ください。

 20時50分に始まった対局は23時13分に終局。結果は115手で豊島挑戦者の勝ちとなりました。千日手局は113手。合わせて228手の激闘でした。

 第2局は7月5日、兵庫県豊岡市城崎町「城崎温泉 西村屋本館」でおこなわれます。七番勝負は「一局完結方式」で、規定により第2局は豊島挑戦者の先手となります。

千日手は是か非か

 千日手局は序中盤の進行がハイペースでした。

「これは早く終わるのではないか?」

 そうした声もちらほらと聞こえました。しかし筆者がこれまで見てきたところ、大きな舞台の対局で「早く終わりそう」という予想は、ほぼはずれるように思われます。

 夜戦に入って、千日手が成立する直前の局面は、どちらかといえば永瀬叡王が指せるのではないかと見られていました。

 ただし、対局者自身が自信を持てなければ、千日手にするのは戦略として有効です。無理して打開して負けては、元も子もありません。

 永瀬叡王は千日手をいとわない棋士として知られ、それに関する語録も多くあります。

 以下は2015年、叡王戦に臨む前に永瀬六段(当時)が千日手に関して語った言葉です。

永瀬「千日手は負けにはならない。負けなければいいと思っています。負けない、ということは、勝つことにもつながる。もう一回指し直しても、手には困りませんので。以前は(先後があまり気にならない)振り飛車党でしたし。先後で勝負が決まる、ということも現在ではまだ解明されていません」

永瀬「相手が強いと思えば、千日手、持将棋を選べばいいだけです。別に引き分けでもいいんですよ、相手が強ければ。先手番ならば将棋の性質上、千日手にしやすい。自分より相手が強いと思ったら、優る部分が多いと思ったら、いろいろな方法があるわけですよ。千日手は現実的だと思います。五分というのは、立派なことだと思います」

出典:松本博文『ドキュメント コンピュータ将棋』2015年刊

 一方の豊島挑戦者の側からすれば、もし非勢を千日手で許してくれるのであれば、それは歓迎すべきところです。残り時間は多く、また指し直し局は先手番でわずかに有利となります。

指し直し局も千日手?

 持ち時間は最初は5時間でした。千日手が成立した際、残り時間は永瀬叡王27分。豊島挑戦者45分。

 指し直し局の持ち時間は、残りが少ない方が1時間となるように、双方に同じ時間を足します。

 本局では双方に33分を足して、指し直し局の持ち時間は、永瀬叡王1時間、豊島挑戦者1時間18分となります。

 千日手局から先後を入れ替えて、指し直し局は豊島挑戦者が先手です。

 30分の休憩の後、20時50分。

「定刻になりましたので、豊島挑戦者の先手番で始めてください」

 立会人の青野照市九段が告げて、指し直し局が始まりました。

 先後は替わったものの、戦型は先ほどと同じく角換わりとなります。そこで後手番の永瀬叡王は右玉に構えました。

 右玉は自陣をスキなくバランスよく構え、徹底的に待つのが基本的な方針です。後手番で右玉で待つ。これはもう「また千日手でいっこうに構いません」という姿勢を高らかに宣言しています。

 そしてまた現実的に、千日手になってもまったくおかしくない局面に進みました。

 コンピュータ将棋ソフトはしばしば「1」「0」「-1」などの評価値を示します。これは千日手が最善ではないか、ということを示しています。

 叡王戦では21時30分を超えて千日手が成立した場合には、後日指し直しとなるそうです。永瀬叡王、豊島挑戦者ともに、タイトなスケジュールの中での対局が続いています。そこにまた後日指し直しとなれば、日程的にも大変なことになりそうです。(もちろん対局者だけではなく、運営側も大変です)

最強の挑戦者、打開から制勝

 千日手に至るやや複雑な手順も見える中、65手目、豊島挑戦者は5分考えて、千日手模様を打開しました。

 21時半頃、豊島挑戦者は永瀬陣に角を打ち込みます。解説の屋敷伸之九段、中村太地七段が恐れ入ったという調子で声をあげます。

中村「はあー。打ち込んでくんですか」

屋敷「すさまじい強襲ですね」

中村「なんかもう、怒ってませんか? 竜王・名人は」

屋敷「ですねえ。もう、えいやあえいやあ、という感じで。これすごい一手ですよね」

 すぐに生け捕りにされてしまいそうなだけに、ここは挑戦者、決断の一手でした。もし挑戦者が熱くなって冷静さをかいたとすれば、それは叡王の戦略勝ちということになりそうです。

 ただしそこはやはり最強の挑戦者、豊島竜王・名人。ここは成算あっての決断だったようです。進んでみると、豊島挑戦者のパンチが急所をとらえはじめ、形勢は次第に挑戦者よしに傾いていきます。一般的に右玉は一度包囲網が破れてしまうと薄く、ともすればあっという間に陣形が崩壊してしまいます。

 苦しくなった永瀬叡王。何しろ銀2枚が取られそうになっていて、処置なしにも見えます。しかし永瀬叡王の非勢からの粘り腰は天下一品。桂であたりになっている1枚の銀を、相手の歩の上に引くという鬼手で応じます。そして盤上中央に銀2枚が歩頭に並ぶ異形が生じました。

 92手目。永瀬叡王は馬(成り角)を銀と刺し違えて切り捨てます。

中村「おお、行った行った!」

屋敷「直線勝負になりましたね、突然」

 非勢ながらも、永瀬叡王は豊島玉に迫る形を作って勝負に持ち込みます。そして屋敷九段は、互いに銀を打ち合う千日手になる順も示します。

 永瀬叡王はその順を選びませんでした。おそらくは、豊島挑戦者は千日手にはしなかったでしょう。

 101手目。豊島挑戦者は自玉近くに桂を打ちます。盤上中央で銀4枚が入り組み合い、豊島陣に桂3枚が配されました。この局面だけを見ても、そこに至るまでにすさまじい熱闘があったことを感じさせます。

 流れは混戦になりつつあったかのようにも見えました。豊島玉にも王手がかかり、最後は一手違いとなります。しかし豊島挑戦者は時間が切迫する中、しっかりとリードを保っていました。

 ずいぶん前に決断とともに永瀬陣に打ち込まれた角が一段目に成り込み、永瀬玉の逃路をふさぎます。さらには歩頭に桂が跳躍し、永瀬陣のすべての駒がはたらいてくる華麗な決め手も出ました。

 永瀬叡王は、はずしていたマスクをつけます。これは投了に備えてのことか。そう思われたところで、さらに永瀬叡王は指し続けます。

 115手目。豊島挑戦者は歩を取りながら、ただで取られるところに飛車を出ます。永瀬叡王は飛車を取ってしまうと、豊島挑戦者はいま取った1枚の歩が「一歩千金」となり、永瀬玉に歩で王手をかけて、7手で詰みます。

「50秒、1、2、3、4、5・・・」

 記録係の熊谷二段の秒読みが対局室に響く中、永瀬二冠は「負けました」と頭を下げ、投了の意思を示しました。

 豊島挑戦者も一礼をした後、ペットボトルからグラスに水を注いで飲み、白いマスクをつけました。永瀬叡王は何度か宙を見上げ、それから将棋盤に視線を戻し、ぽつりぽつりと言葉を発し始めました。

 千日手局は113手。指し直し局は115手。両対局者ともにハードスケジュールの中、合わせて228手の激闘を制して、挑戦者の豊島竜王・名人が大きな1勝を挙げました。

 永瀬二冠はあさって23日は、東京・将棋会館で藤井聡太七段との王位戦挑戦者決定戦があります。

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 また豊島竜王・名人もあさって23日、大阪・関西将棋会館で糸谷哲郎八段と王座戦本戦トーナメント1回戦を戦います。

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 もし豊島竜王・名人が王座戦で勝ち進めば、五番勝負で挑戦する相手は永瀬王座です。

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将棋ライター

フリーの将棋ライター、中継記者。1973年生まれ。東大将棋部出身で、在学中より将棋書籍の編集に従事。東大法学部卒業後、名人戦棋譜速報の立ち上げに尽力。「青葉」の名で中継記者を務め、日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会(LPSA)などのネット中継に携わる。著書に『ルポ 電王戦』(NHK出版新書)、『ドキュメント コンピュータ将棋』(角川新書)、『棋士とAIはどう戦ってきたか』(洋泉社新書)、『天才 藤井聡太』(文藝春秋)、『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『藤井聡太はAIに勝てるか?』(光文社新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)など。

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