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日産、吉本興業、東芝、国会議員……「卑しいリーダー」が増殖するわけ

井上久男経済ジャーナリスト
リーダーとしての資質が問われる経営者や国会議員が増えた(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

「粗にして野だが卑ではない」の意味

「粗にして野だが卑ではない」。おそらく若い読者は、この言葉を知らないだろう。城山三郎氏の小説のタイトルである。主人公は元国鉄総裁、石田礼助氏。氏は、経営不振の旧国鉄再建のために三井物産社長を経て旧国鉄総裁に転じた。国鉄総裁として国会に初登庁した際に、石田氏は「国鉄が今のような状態になったのは、国会議員にも責任がある」と痛烈に発言したことでも知られている。

「粗にして野だが卑ではない」の意味は、身なりや言葉遣いは粗削りだが、私利私欲はなくて志が高く、言動は明快で出処進退も潔いということだろう。

 しかし、最近の企業トップや政治家など社会のリーダーと言われている人たちは、その真逆のタイプが増えたように筆者は感じる。身なりや言葉遣いは何となく洗練されているが、自分や自分の派閥・側近だけが栄達すればよいと考える「卑しいリーダー」が増えたように思えてならない。直近の事例では、「闇営業問題」で世間を騒がしている吉本興業の大崎洋会長や岡本昭彦社長はその典型ではないか。

 また、日産自動車前会長のカルロス・ゴーン氏による特別背任事件に絡んで、氏が日産の経費やベンチャー企業への投資資金を私的に流用して豪華私邸を世界各地に保有するなどの構図が徐々に明らかになっている。

日産西川社長が特例的に得た4700万円

 私利私欲のすさまじさが垣間見えるのは、何もゴーン氏に限ったことではない。ゴーン氏に長年仕えてきた側近の一人、西川廣人社長兼CEOは、株価連動型の役員報酬(SAR)の権利行使日を事前に決めていたにもかかわらず、株価が上昇したために特例的に1週間後ろにずらして約4700万円を上積みして報酬を手に入れたという。

 西川氏の行為は、内規や法律には触れないが、SARを付与されていた元役員によると、限りなく社内ルール違反に近く、ずるいやり方だという。

 今ではやっていないそうだが、日産ではゴーン氏が来日して何年かは、役員報酬から引かれる所得税も会社が補填し、額面通り「満額」を懐に入れることができ、ゴーン氏以外の役員も美味しい思いをしてきた。こうした時代に役員を務めた人は巨万の富を得て、不動産事業を始めた人もいる。

 ゴーン氏は「巨悪」の一人だと筆者は断じるが、ゴーン氏に群がって甘い汁を吸い、ゴーン氏に何も意見が言えない企業風土を作ってきたことも、今の日産の凋落の一因だろう。日産のコーポレートガバナンスは、ゴーン氏以下の多くの役員が私利私欲にまみれていた、と言っては言い過ぎだろうか。

「東レのミニゴーン」がガバナンス改革の笑止

 その日産は今年6月の株主総会での決議を経て社外取締役が中心となる指名委員会等設置会社へ移行した。その移行を提言したのが、昨年12月に設立された外部有識者で構成される「ガバナンス改善特別委員会」だ。そこで共同委員長を務めたのが、東レで社長・会長を務めた前経団連会長の榊原定征氏だ。

 氏の評判は財界や官庁ではよくない。榊原氏をよく知る霞が関の官僚は「自分の考えがなく、記者会見の前に事務方が作った想定問答集を完璧に丸暗記するのが得意。逆にこれは事務方のシナリオ通りに動いてくれるということなので、これほど扱いやすい経営者はいない。西川氏の意向を受けた日産事務局に操られていたのではないか」と言う。

 さらに東レの内情に詳しい関係者が明かす。「榊原氏は東レ社内の一部では『ミニゴーン』と呼ばれるほどの疑惑があったため、東レとは絶縁状態。移動用のクルマも東レが面倒を見ないので、榊原氏と親しい別の会社が提供している」。こんな人物が主導した日産のガバナンス改革を信じていいものだろうか。

組織内が「オール与党」の弊害

 少し前になるが、世間を騒がした東芝の粉飾決算では、嘘でもいいから好業績を上げ、経営トップとしての名誉にこだわった結果、投資家、社員らあらゆるステークホルダーに迷惑をかけた。さらに社長と会長の間にあった確執も要因の一つと見られる。当時の社長が、前社長の会長に負けまいと無理をした結果、粉飾につながったとされる。

 その確執が尾を引き、後継社長には無能で害がない人物が選ばれたのも衆目の一致するところだ。東芝の粉飾決算は、経営者の見栄や私利私欲によって招いたものと言えるだろう。メディアなどの前では紳士的に振舞いながら、見えないところではどろどろの醜態をさらしていたのだ。

 コンプライアンス強化と言われながら、日産や東芝のように有名大企業の不祥事が絶えない。その根底には、卑しい経営者が増えたと同時に、組織内が「オール与党」になってしまい、非主流派や異端児と呼ばれる人が組織から追い出されてしまったことがある、と筆者は感じる。組織内に健全な牽制勢力がいなくなった結果、トップの無謀な独裁や不正がいとも簡単に行われ、見過ごされるようになったのではないか。

 政治の世界にも似たようなことを感じる。野党の力は弱まり、与党である自民党の中は「安倍一強」。それをいいことに国会での丁寧な議論が行われていない。それとは次元は変わるが、そもそも国会議員にその資質を疑うような人が増えた。セクハラ、パワハラ、暴力行為、失言・暴言のスキャンダルで毎週のように週刊誌をにぎわしている。

外見だけ取り繕い「中身がない」リーダー

 有権者に分かりやすく訴えようと思ってついつい政治家は「失言」することがある。それを言葉狩りのようにメディアが追及することに筆者は違和感をおぼえるが、最近の政治家の失言は破廉恥、下劣なものがあり、笑うに笑えない。

 筆者は企業経営の取材を長らくしてきた。インタビューなどをしていて最近よく「言葉遣いや身なりは洗練されているが、本質を分かりやすく、ずばりと語る経営者が減った」と感じる。だからインタビューしていても面白くない。各方面に忖度や配慮をした結果、その発言の内容が、言語明瞭・意味不明瞭のことも多々ある。

 その要因は大きく2つあると思う。ひとつは、多くの経営者が「メディアトレーニング」を受けていることだ。専門のコンサルタントに発言内容などを事前にチェックしてもらい、決して本音を漏らして失言につながらないようにする訓練のことだ。カメラ写りのよい姿勢などまでアドバイスを受ける。このトレーニングで一応、中身はなくても外見だけは洗練される。

 メディアトレーニング自体は否定しないが、中身のない人がいくら外見だけ取り繕っても本質を見透かされてしまうのではないか。吉本興業の岡本社長の記者会見はその典型的なパターンと言えるだろう。

バカの再生産の連鎖

 もうひとつは、自分の在任期間だけ可もなく不可もなくやり過ごせばいいと考えているサラリーマン経営者が増えているからだ。こういうタイプは、摩擦を避けて言うべきことを言わない。しかし、仕事とは何かを突き詰めていくと、「摩擦」である。取引や交渉ではお互いの言い分は違う。時には争いにもなる。その落としどころを探り、両者にとって納得できる成果を得ることが「仕事」である。この「摩擦」を通じて新しい価値が見つかることもある。

 これまで述べてきたことをまとめると、日本には外見や体裁だけ整った中身のない、せこい経営者が増えたということである。そして、その経営者らが、自分を超えない器の小さい後継者を選んで、もっとせこい経営者が生まれている。言ってしまえば「バカの再生産」が繰り返されているということだ。

異端、非主流派を排除する弊害

 これは企業だけではなく、政治、官僚、大学、マスコミといった本来ならば知的リーダーとして社会を牽引して行く組織のトップ層にも共通しているかもしれない。日本社会から活力が失われ、「やってられないぜ」といった気持ちを抱く人が増えているのも、「リーダー人材の危機」が背景にあるからではないか。

 こうした現実がなぜ起こるのかを考えると、日本社会全体に異端を排除する流れが強まり、かつ、「あえて自分は異端でいよう」と考える人材も減ったからだ。みな主流派になろうとしているのである。かつての日本企業は多くの異端児を抱えていて、それが非主流派として経営層にも残り、主流派が会社を傾けると、非主流派が立て直しに動いた。政治でも自民党は主流派と非主流派が競い合ったから党勢が拡大したと言えるだろう。

「異端妄説」という言葉もある。福沢諭吉の言葉だ。この言葉の意味は、今は主流の考え方ではないが、いずれそれが主流になるという意味合いをもつ。古くはガリレオ・ガリレイの「地動説」がそれに当たる。ローマカトリック教会が唱える「天動説」が信じられていた時代に、異を唱えていたからだ。しかし、今の組織の中では異を唱える人が減った。というよりも、意識的に異端者をとことん排除している。

新たな「日本病」とは

 日本メーカーからヒット商品が出ないのも、異端的なエンジニアを排除してきたからではないか。皆が主流派になろうと、手っ取り早く儲かりそうなものに開発リソースを集中させ、長期的な視野が失われつつある。

 問題は経営者層、リーダー層だけでもない。中間管理職にも、自分さえ良ければいい人が増え、愛情をもって部下を育てない。自分の成績向上のために部下をしごく。だからパワハラがあちこちで起こる。一方でコミュニケーション能力が低い若い社員は、上司が本人のためを思って厳しく指導してくれても、それをパワハラだと騒ぐ。だから真面目に指導するのが馬鹿らしくなる。上司と部下の関係に「負の連鎖」が起こっているのも、結局は、「自分がかわいい病」がはびこっているからだ。

 これに、「コンプライアンス地獄」が加わり、自分の頭で考えて行動することに制約がかかる。結局、本質的なことは何も実行せず、上手に組織内評論家に徹していれば、出世のチャンスが巡っている。内部統制、コンプライアンス、社外取締役といったコーポレートガバナンスに関する体裁だけは整えたが、組織は頭(経営陣)から腐っており、それが現場にも伝播し、皆見て見ぬふりで実態は悪い方向に向かう。実は、これは新たな「日本病」なのかもしれない。

経済ジャーナリスト

1964年生まれ。88年九州大卒。朝日新聞社の名古屋、東京、大阪の経済部で主に自動車と電機を担当。2004年朝日新聞社を退社。05年大阪市立大学修士課程(ベンチャー論)修了。主な著書は『トヨタ・ショック』(講談社、共編著)、『メイドインジャパン驕りの代償』(NHK出版)、『会社に頼らないで一生働き続ける技術』(プレジデント社)、『自動車会社が消える日』(文春新書)『日産vs.ゴーン 支配と暗闘の20年』(同)。最新刊に経済安全保障について世界の具体的事例や内閣国家安全保障局経済班を新設した日本政府の対応などを示した『中国の「見えない侵略」!サイバースパイが日本を破壊する』(ビジネス社)

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