「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」公開に寄せて、あるいは「希望」の難しさについて(ネタバレなし)
以下、いわゆる「ネタバレ」は特にない。
1996年3月に「新世紀エヴァンゲリオン」のテレビ放送が終了すると、終盤の2話が強烈な波紋を呼び、私は読売新聞で批判的なコラムを読んだ記憶すらある。当時のインターネットやパソコン通信には、監督である庵野秀明の精神的な未熟さを批判する邪推まみれの投稿が目立った。その暴風はそのまま、再放送とともに「新世紀エヴァンゲリオン」の大ブームを巻き起こし、1997年7月に公開された「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」のラストで、碇シンジが惣流・アスカ・ラングレーの首を絞めても続くことになる。
そうした「旧世紀版」へのヒステリックなリアクションと比べると、2007年から公開が開始された「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」シリーズは、人間の苦悩を描く普遍的な作品として一般的に評価されており、同一の作品(新劇場版はリメイクだが)、同一の監督(正確には劇場版での庵野秀明は総監督)ながら、受容がここまで変化する事例も珍しい。
そして2021年3月8日、「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」が公開された。遂に新劇場版の完結である。私が足を運んだTOHOシネマズ渋谷では、ポスターなどのグラフィックが一切掲示されておらず、場内に入るときに式波・アスカ・ラングレーが印刷された二つ折りの冊子が渡されたのみ。裏に「ネタバレ注意」と書かれているが、それを開いても問題はないはずだ。単語の羅列を見ても、映画を見ないと何も意味がわからないからだ。それは、膨大にして衒学的な引用を行っていた旧世紀版と、それを大幅に捨てた新劇場版との決定的な違いでもある。
旧世紀版のブーム時、アダルトチルドレンやエディプスコンプレックスという言葉がよく解説に用いられたものだ。それがメンタルヘルスに関する当時のトレンドだった。時は流れ、現在は自己肯定感やHSPといった言葉をよく目にするようになり、アドラー心理学やNLPがトレンドになっている。Clubhouseを起動すれば、視界に入るのは数多の「カウンセラー」だ。
旧世紀版の放送開始から新劇場版の完結までの四半世紀、「エヴァンゲリオン」の人気を支え続けたのは、私たちが抱える近代以降の自我や自意識でもあっただろう。新劇場版は旧世紀版の変奏である。「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」においても、登場人物たちの自我や自意識は揺らぎ続ける。「チルドレン」と呼ばれる「運命を仕組まれた子供たち」も、ネルフやヴィレの大人たちも、等しく苦悩する。
そして、「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」には「希望」という言葉が出てくる。2012年11月に公開された前作「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」と、コロナ禍において公開された「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を決定的に分かつものは、「希望」というありふれた言葉に対して素直にリアリティを感じられるか――という状況の変化だろう。冬の青空を見あげたとき、ビルの壁に「TOKYO 2020」の文字を見て、複雑な心境になったときの感覚を思いだした。COVID-19以降のあらゆるフィクションが直面する問題に、「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」もまた正面からぶつかることになる。映画を見る個々人の現状への認識次第で、評価も変わるはずだ。
「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」の最後は、「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」と同様に「終劇」の二文字で終わる。「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」の公開初日、終劇後の場内は理解しかねるかのような沈黙に包まれていた。「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」ではそんな雰囲気にならなかったが、では誰もが「大人」になれたのだろうか? 自我や自意識を絶対的なものとして肯定するか否かでも、評価は大きく左右されるはずだ。
さて、「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」では、古今東西のドラマツルギーが「転用」され、鷺巣詩郎による音楽もまたさまざまな映画音楽のアイコンを豪快なまでに使い続けている。
そして、エンドロールで流れる宇多田ヒカルによるテーマソング「One Last Kiss」は、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」における「Beautiful World」、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」における「Beautiful World -PLANiTb Acoustica Mix-」、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」における「桜流し」に比べて、明確にリズム・オリエンテッドである。宇多田ヒカルの2016年のアルバム「Fantome」以降の流れにあり、テーマソングが昨今の音楽トレンドに影響されている点は、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」からの約8年の歳月を最後の最後に実感した部分でもあった。やはり時は流れている。
宇多田ヒカルによるテーマソング「One Last Kiss」のMVの監督は、なんと庵野秀明。海外で暮らす宇多田ヒカルをリモートで撮影したであろう映像は、やはり「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」がまぎれもなくコロナ禍で産み落とされた作品であることを物語っている。そこには時代性の呪縛があり、ここでもフィクションが対峙せざるをえない現実が浮きあがっている。