あなたは入院した親が手足を縛られても納得できるか? 身体拘束の実態とその害について
「身体拘束が嫌なら他の病院へ」という医師
高齢の家族が病院に入院したとき、「身体拘束への同意書」にサインを求められたことはないだろうか。先日、筆者の親族が入院した際には、「高齢の患者は認知症がなくても入院すると混乱して点滴を抜いたり、骨折の手術後で歩けないのに歩こうとしたりすることがある。その際には、安全のため身体拘束の必要が生じることがあるので、同意書にサインしてほしい」と言われた。
「サインしたくないと言ったら、どうなるのか」と聞くと、担当医から「そういう方には他の病院に行っていただくことになる」と言われた。
身体拘束とは、歩き回らないようベッド柵に手や足をひもで縛ったり、車いすから立ち上がらないよう抑制帯や車いすテーブルを付けたり、気分や行動を落ち着かせるため過剰に向精神薬を投与したりすることなどを指す。
筆者は過去10年間、認知症を持つ3人の人の成年後見人を務めてきた。その間に被後見人の入院も複数回経験したが、やはりいずれの場合も入院時に身体拘束への同意書にサインを求められた。その際の説明も同様だったと記憶している。被後見人の一人は、点滴の管を抜かないようミトン状の手袋をはめられ、一人はベッドから起き上がらないよう、腰に抑制帯を付けられた。
入院時に身体拘束への同意書にサインをするのは、なぜ身体拘束が必要かという説明なしで拘束してよいという「白紙委任状」を提出するようなものだ。それでも事実上、患者側にサインを拒否する選択肢はない。認知症を持つ人の場合、病気やけがで一般病院に入院すると、45%の人が身体拘束を受けていたという調査結果も明らかになっている。
医療現場には身体拘束の禁止規定がない
身体拘束は、介護施設では2000年の介護保険制度開始に際し、「身体拘束ゼロ」という国の方針が示され、原則禁止となった。介護の現場では、ひもで縛ったり、拘束帯で体の動きを抑制したりといった身体拘束が行われることは、今ではほとんどない。だからこそ、日常的に身体拘束を行っている施設が見つかると、大きなニュースになる。
一方、医療機関では、身体拘束を禁じる規定はない。身体拘束についての規定は、精神科病院と一般病院で異なっている。
精神科病院については、精神保健福祉法で、一部、身体拘束が認められている。しかし、その運用に当たっては、2000年に厚生労働省(当時は厚生省)から「精神保健福祉法の運用マニュアル」が発出され、精神保健指定医が認めなければ身体拘束を行えないこと、できる限り早期に他の方法に切り替えることなど、漫然と身体拘束が行われることがないよう、指示が出されている。もっとも、これが守られているかというと疑問はぬぐえないのだが……。
しかし実は、一般病院の方が問題だ。
一般病院については、法律による規定も、マニュアルも指針も示されていない。身体拘束の実施は、医師や看護師の判断に委ねられているのが実情だ。一般病院で認知症を持つ人の45%が身体拘束を受けていた背景には、こうした国の不作為もある。
認知症を持つ人にとって入院治療は恐怖
そもそも、認知症を持つ人が病院に入院すると、なぜ身体拘束を受けることになるのか。
認知症を持つ人が入院する場合、医師の説明を受けて入院を決めるのは、家族など周囲の人間だ。入院する当の本人は、説明しても理解できないだろうと思われ、なぜ入院が必要かについて十分な説明を受けていない場合が圧倒的に多い。このため、多くの場合、本人はどこに連れて行かれるのか、なぜそこにいなければならないのか、理解できないまま入院することになる。
また、入院先の医療の現場は忙しい。皆が早口で話し、普段聞き慣れない医療用語が飛び交う。それでは認知症を持つ人が処置の必要性を理解するのは難しいだろう。治療には、当然、痛みがあるものも多い。
これは、言葉が通じない外国で、突然、どこかに連れて行かれ、ベッドに寝かされたのと同じような感覚ではないか。これから何をされるのかわからない。理解できないことを言う白衣を着た人たちに取り囲まれ、頭上から見下ろされ、何かわからない注射を打たれたり、薬を飲まされたり、点滴を入れられたりする。
自分の身に置き換えて考えたら、恐怖でしかない。理由のわからないまま痛い思いをさせられたら、パニックに陥ってもおかしくないだろう。そして、「帰りたい」と起き上がれば、「寝ていてください」と押さえつけられ、「やめてくれ」と手を振り払えば、暴力的と見なされ身体拘束されるとしたら?
治療や安全のためとはいえ、人権への配慮は十分なされているのか、今一度、考えてみる必要があるだろう。認知症だからどうせわからないだろうなどと考えず、もっとゆっくり丁寧に説明する配慮も必要だ。
身体拘束で認知機能の著しい低下も
認知症を持つ人が身体拘束を受ければ、ますます混乱し、恐怖し、憤り、医師や看護師が言うことなど耳に入らなくなる。ずっと叫び続けるからと、気分を落ち着かせる向精神薬を投与され、意識が混濁してしまうケースもある。そうでなくても、身体拘束を受ければ、ベッドから起き上がることが少なくなり、筋力も低下する。
身体拘束を受けながら数ヶ月入院すると、入院前には軽いもの忘れ程度だった人の心身機能が、著しく低下することもある。
筆者が担当していた、認知症のある被後見人で、入院前、ある程度会話が成立し、不安定ながらも自分で歩けていた人がいた。しかし、入院し、ベッド上での身体拘束が3ヶ月あまり続いたことから、会話が成立しないほど認知機能が低下。歩くことも自分で立つこともできなくなった。そればかりか、足に拘縮が生じ、膝がまっすぐに伸びなくなった。
幸い、この被後見人は、退院後、特別養護老人ホームに入所して生活の中でリハビリを続けたことから、サポートがあれば20m程度歩けるところまで回復した。しかし、足は今もまっすぐには伸びない。会話もほとんど成立しない。
問題なのは漫然と行われる身体拘束
ある介護施設に取材に行った際、お茶を出してくれた女性がいた。施設の管理者に聞くと、認知症のある人だという。その女性は少し前まで入院しており、その間、身体拘束を受けていた。「もう、つらくてつらくて、家に帰らせてほしい、と声がかれるまで、ずっと叫んでいたんですよ」と、女性は語る。
管理者は、入院中のこの女性について、「髪を振り乱し、顔つきも変わり、別人のようだった」と言う。この穏やかな笑顔の女性が、と信じられない思いがした。管理者は、「このまま入院させていたらおかしくなってしまうと思い、家族と相談して、ちょっと強引に連れて帰ってもらうことにしたんです」と語った。
命を守る病院では、治療、安全が患者のQOL(生活の質)より優先される。抵抗するなら、身体拘束しても治療しなくてはならない。入院中に転倒・骨折などあってはならない。それが医療現場の常識なのだろう。一時的に拘束してでも治療することで、快癒し、元気になって退院できるのであれば、それは必要な身体拘束だと言えるかもしれない。
問題なのは、なぜ身体拘束が必要なのか、十分な検討がなされないまま行われるケースだ。転院しても「前の病院で身体拘束を受けていたから」という理由で、漫然と拘束が続けられるケースは多い。身体拘束自体より、その方がよほど問題だと指摘する医師もいる。
身体拘束が行われる原因は患者家族にも
もう一つ言えるのは、入院中の転倒・骨折事故などあってはならないと考えているのは、医療職よりむしろ、患者家族ではないかということだ。だからこそ、病院は家族からのクレームを恐れ、何が何でも転倒・骨折させないよう、身体拘束して寝かせきりにせざるを得なくなるとも言える。医療現場には、身体拘束をせざるを得ない現状に心を痛めている医療職も多いのだ。
治療のために入院したのに、転倒して骨折したら、家族は感情的に受け入れられないことは十分理解できる。しかし、人が動けば、どこでも、誰でも、事故の危険はある。病院だから事故を起こすな、と求めるのは、実は無理があるのだ。
また、入退院を繰り返している高齢者などの入院の必要性についても、考えてみる必要がある。何度も誤嚥性肺炎(唾液や食物が肺に入って起こる肺炎。高齢者に多い)を起こしている高齢者などは、治療しても退院したらすぐにまた誤嚥を起こし、入院になるケースもある。治療効果の低い高齢者のQOLを、身体拘束によって犠牲にすることになっても入院治療を行う必要があるのか。患者家族は冷静に判断することも必要だろう。
身体拘束への同意書に対して、入院時にサインを求めるような病院のやり方は、改善されるべきだ。しかし、身体拘束をせざるを得ない実態については、医療現場だけが責めを負うべきことではない。患者家族も、ともに考えていくべき問題だといえるだろう。