公立病院の緊急救命は社会の縮図。コロナ禍のいま、互いを尊重する心の大切さが伝われば
昨年11月11日(木)から14日(日)の4日間、横浜で毎年恒例の<フランス映画祭2021 横浜>が開催された。
コロナ禍の影響で残念ながらフランスからのゲストは不在という状況での開催ではあったが、上映作品に関しては例年と変わらず、充実のラインナップ。
フランス映画の最新作が集まり、多くの観客を集めた。
また、EV(電気自動車)限定のドライブインシアターを赤レンガ倉庫で実施。
『フランス映画祭2021 横浜:EVで星空上映』と題して実施されたこの特別上映も大きな反響を呼んだ。
先で触れたようにフランス映画祭では最新のフランス映画が一挙に上映される。
その上映作品には、日本での劇場公開が決まっているものがある一方で、残念ながら日本公開が決まっていないものもある。
そういった作品の中に、『フランス映画祭のみで上映だけは惜しい!』と思える作品も多々ある。
今回の<フランス映画祭2021 横浜>で、そんな思いに駆られた1本が、カトリーヌ・コルシニ監督の『分裂』だ。
映画祭開催から少し時間が経ってしまったが、彼女とのリモートインタビューを届ける。(全二回)
登場する人物はほとんど病院で見かけた人
前回(第一回)は、この作品が生まれるきっかけについて訊いた。
ここからは作品の内容について。
自身が骨折して病院に運ばれた経験から、本作の構想を思いついたと明かすカトリーヌ・コルシニ監督。
そのとき「公立病院の救急というのは、まさに社会の縮図を表しているようだ」と監督は感じたと前回語っているが、まさにその言葉通り、破局寸前の同性カップル、ラフとジュリーの関係の行方が物語の主軸としてありながら現代のフランス社会の縮図を見るような作品になっている。
「大規模デモによる負傷者も多く流れ込んできて診察を待たされる中、ラフとジュリーはさまざまな人物とすれ違うことになります。
実は彼女たちがすれ違う人物たちも、わたしが目にしたことのある人々が投影されています。
たとえば、ひとりで救急に運ばれてきて、もう物事の判断もあやふやで院内をさまよう感じになる高齢者が登場します。
これも、2年ほど前にわたしが母の付き添いで病院にいったときに、そういう老人がけっこう搬送されてくることを知って、そのことが反映されています。
また、あるときに友人に付き添って救急の病院にいったときは、理由はよくわからなかったのですが、病院内の入り口で複数の人間がいがみあっていました。
すると少ししたら、大ゲンカが始まったんですね。そういう経験も劇中で反映されています。
あと、話が前回に戻りますけど、わたしが救急に運ばれたときのことはそのまま反映されています。
ほんとうにこのときはなかなか診察してもらえなかった。というのも1人の医師しかいなくて、とても手が回らないと。
でも、ほんとうにデモの負傷者が次から次へと運ばれてきて、病院関係者全員が休憩をとる時間もないぐらいでした。
で、手術が必要だけど、その日にはできないとなって、結局、わたしが手術を受けたのは2日後だったんです。
その経験がラフに反映されています」
ラフとジュリーには監督自身とパートナー自身が反映されています
実は、単なる自身の体験を反映しているのではなく、ラフとジュリーには監督自身とパートナー自身が反映されていると明かす。
「わたしのパートナーは映画プロデューサーで仕事上のパートナーでもある。
同性カップルで一緒に住んでいるんですけど、ラフとジュリーに重ねています。
イラストレーターと編集者と職種を変えましたけど、ラフとジュリーはわたしたちといっていい。まあ、二人ほど関係は壊れていないのですが(笑)」
ヴァレリアにはいい印象をもってなかった
そのラフ役は、日本でもよく知られているヴァレリア・ブルーニ・テデスキ、ジュリー役は「私は確信する」などで知られるマリナ・フォイスという素晴らしい女優2人を揃えた。
「いまだから明かしますけど、以前、ヴァレリアが主役を務めるはずだったわたしの映画があったんです。
でも、直前になってキャンセルされてしまった。
それで、長い間、わたしは彼女に対していい印象をもっていませんでした。正直申しますと、憤りを感じていました。
でも、すばらしい女優であることは疑いようのないことなので彼女の映画というのはずっとフォローして観ていたんです。
で、やはりすばらしい女優だし、昔のことはもう忘れようと思いまして。
今回のこの作品で和解しようと思って、出演の提案をしました。
するとすぐにOKとの返事がきました。
つい先日も会う機会があったのですが、ヴァレリアは、この映画の撮影を『なにか若返るような時間だった』と振り返ってくれました。
どういうことかというと、すごくエネルギーを得られる時間で、まるで初めて映画に出るときのような感じで新鮮な気持ちで映画に臨めたといっていました。
そして、ヴァレリアはわたしの気質や性格をすごくラフという人物に落とし込んでくれたと思います。
マリナ・フォイスに関しては、まず、ジュリーという人物について深く考えた上でお願いしました。
ジュリーはヴァレリアとは正反対の性格と人柄といいますか。
作品を見てもらえればわかりますけど、ラフはちょっとわがままでもう自分の言いたいことを言い放題。人の言うことを聞かない(笑)。
一方、ジュリーはというと、とても落ち着いて賢明な判断ができる人物で、いつもラフの聞き役になって彼女を支えている。
そういうしっかり者を嫌味なく演じられる女優を考えたときに、マリナ・フォイスにお願いできないかと思いました。
撮影時はコロナ禍にあって、みんなで会って話を重ねるような作業がほとんどできませんでした。
もう撮影所に入って、いきなり『ハイ、スタート』といった感じだったのですが、ヴァレリアもマリナももう準備はできていたといった感じで、すばらしい演技を見せてくれました」
人と人が立場を超えて出会い、対話することの大切さが伝われば
フランスの現在の社会を垣間見るとともに、作品にはこんな思いも込めたという。
「たしかにいまのフランス社会が色濃く見えてくる作品になったと思っています。
その中で、人と人が立場を超えて出会い、対話することの大切さが伝わればと思いました。
ラフとジュリーは、病院で待たされる間に、さまざまな立場、境遇にいる人たちとすれ違う。
そこでちょっと会話を持つと、さっきまで敬遠していた人が意外と心が通じたりする。
いまコロナ禍が続き、人と人の分断が進んだような気がしてならない。
いま非常に暴力的な世の中になって、国によってはデモをすればすぐ弾圧されたりする。力で人々を押さえつけようとするトップリーダーが次々と現れている。
そういう権力者が一方的に危険や不平等を訴え、民衆を煽り、緊張を高める。
そうではない、物事にはもっと穏やかな解決法があること。いがみあうのではなく、対話することで見出せることがあることを、いまこそもっと伝えて広めていくべきだと思うんです。
そういう意味で、小さなことかもしれないけど、人と人が出会い、互いを尊重し、互いの気持ちを共有する。
そのことを大切に描きました。
そのことが伝わってくれたらうれしいですね」