TwitterとFacebook、政治広告への真逆の対応が民主主義に及ぼす悪影響
ツイッター、フェイスブックによる対極的な政治広告の扱いの差が、波紋を広げている。
ツイッターのジャック・ドーシーCEOは10月30日、自身の公式アカウントで「政治広告を世界的に禁止する」と表明した。
ドーシー氏は禁止の理由として、フェイクニュースやディープフェイクスの氾濫、ケンブリッジ・アナリティカ問題で指摘された政治ターゲティング広告などの弊害を挙げた。
2020年の米大統領選を控えたこの表明は、大きな議論を呼んだフェイスブックの「政治家の政治広告はファクトチェックせず」の方針と、対極をなす。
そもそも2016年の大統領選におけるフェイクニュースの拡散は、トランプ氏当選を後押ししたロシア、およびトランプ氏支持の中核となった急進右派(オルタナ右翼)を主な発信源としていた。
このため、フェイスブックの方針はリベラル派に不評なのに対し、ツイッターの新たな方針はリベラル派は歓迎、保守派には不評だ。
その中で、フェイスブックとツイッター、どちらの方針にも批判的な意見も出ている。
ツイッターの新方針は民主主義に悪影響を及ぼすものであり、フェイスブックは政治家を含むすべてのユーザーに説明責任を果たさせるべきだ、と。
そしてこの議論は、フェイスブックやツイッターなどのプラットフォームが、広告を含むコンテンツにどのような責任を負うのか、という数年来の議論に行きつくことになる。
●「金で買うべきではない」
「政治的メッセージのリーチは、獲得すべきものであって、金で買うべきではない」。ドーシー氏は10月30日の午後1時過ぎに投稿した連続ツイートの中で、政治広告を世界で一律禁止する、との判断について、こう説明している。
11月15日までに新しいポリシーを打ち出し、22日から施行する予定だという。
連続ツイートの中で、ドーシー氏はこうも述べている。
例えば、このような姿勢は我々にとって、信頼に足るものとは言えない:「我々は、システムを悪用して誤情報を拡散させようとする人々を阻止するため、懸命に取り組んでいる。だ~が、もし金を払ってユーザーに政治広告を無理矢理見せたい、と言うんなら…そうだな…言いたいことは言わせちゃおう!
「このような姿勢」に当てはまりそうなのは、フェイスブックで明らかになった「政治家の政治広告はファクトチェックせず」の方針だ。
●「政治広告はファクトチェックせず」
フェイスブックは2016年の米大統領選でフェイクニュースの拡散、さらにロシアによるフェイクアカウントを使った政治広告配信の舞台となり批判の矢面に立たされた。
その対策として、ファクトチェック機関と連携したフェイクニュースの排除、政治広告の透明化を表明してきた。
だが、フェイクニュース排除に対するトランプ政権および保守派からの相次ぐ批判の中で、政治広告についてはその真偽を「ファクトチェックせず」とポリシーを変更していたことが明らかになる。
※参照:「ザッカーバーグがトランプ大統領再選支持」フェイスブックがフェイク広告を削除しない理由(10/16/2019 新聞紙学的)
このポリシー変更については、ザッカーバーグ氏は10月17日にジョージタウン大学で行った講演で、24回にわたって「表現の自由」という言葉を使い、こう述べた。
民主主義における原則として、信頼についての判断は、テクノロジー企業ではなく、市民が行うべきだと信じている。
ドーシー氏が連続ツイートの中で「言いたいことは言わせちゃおう!」と揶揄している姿勢が、ザッカーバーグ氏の説明とオーバーラップして見える。
●左右両派からの圧力
ツイッター、フェイスブックの対応は、政治広告を掲載するかしないか、においては真逆の方針だ。
だが、両社に共通しているのは、政治広告についての判断を放棄しているという点だ。
ツイッターは政治広告の全面禁止によって、その内容を判断する手続きに入る必要がなくなる。フェイスブックは政治広告をファクトチェックの対象から除外することで、やはり内容判断の手続きを回避している。
2016年米大統領選以来、フェイクニュースの拡散をめぐっては、コンテンツに関するソーシャルメディアの責任について「ソーシャルメディアは、メディアか、単なるプラットフォームか」という議論が続いてきた。
そこには、フェイスブックの場合、ユーザー数24億5,000万人超という膨大な情報発信サイトとして、そのコンテンツにどんな責任を持つのか、という社会的な問いかけがあった。
※参照:ネット企業はどこまでコンテンツを規制すべきなのか(08/23/2014 新聞紙学的)
※参照:AIによる有害コンテンツ排除の難しさをフェイスブックCTOが涙目で語る(05/18/2019 新聞紙学的)
※参照:トランプ支持とトランプ嫌いのいびつな”同床異夢”、フェイスブック・グーグル分割論(07/18/2019 新聞紙学的)
その圧力は2020年大統領選を前にして、左右両派から急速に高まっている。
そして、フェイスブック、ツイッターが一致して下したのが「判断しない」という結論だった。
●何が政治広告か
何が政治広告か。その線引きと運用が、どれほど理路整然とできるか。
ツイッターの政治広告全面禁止の方針には、そんな疑問も投げかけられている。
ネットメディア「ヴァージ」は、政治広告全面禁止の先行例として、米ワシントン州の例を取り上げている。
ワシントン州は、全米有数の選挙資金規制法の厳しさで知られ、政治広告に関する厳密な情報公開を要求していることから、グーグルとフェイスブックは2018年に、同州での政治広告の全面禁止を決めた、という。
だが、その運用は徹底されず、シアトルの地元紙「ザ・ストレンジャー」によれば、フェイスブックが、政治広告を掲載しているにもかかわらず、その広告費の支払いなどに関する情報公開を怠っている、としてすでに州当局から選挙資金規正法違反に問われている。
政治家側に政治広告禁止を徹底させることの難しさに加えて、政治広告の定義と運用の難しさもある。
2016年大統領選へのロシア介入を受けて、フェイスブックは2018年5月から政治広告規制を実施している。
だが、だがその副作用で、メディアによる一般記事のプロモーションまで「政治広告」に分類され、相次ぎ非表示にされる騒動となった。
影響は、書籍やレストランの広告にまで波及。その一方で、政治家による広告が「政治広告」に分類されずに掲載されるという、混乱を招いた。
※参照:フェイスブックの「政治広告」規制がニュースを排除する(06/16/2018 新聞紙学的)
●正反対のアプローチと無責任
ツイッターの全面禁止、フェイスブックの全面掲載という二つの判断放棄の姿勢に、懸念を示す専門家もいる。
ニューヨーク市立大学ジャーナリズムスクール教授のジェフ・ジャービス氏は、ブログサイト「ミディアム」への投稿の中で、アプローチは正反対ながら、「自らのプラットフォーム上での問題についてあまりに無責任」だと指摘する。
ジャービス氏は、ツイッターの政治広告全面禁止のデメリットとして、資金と影響力をすでに手にしている現職が有利になることを挙げる。
もし、安価で効率的にターゲティングができる政治広告(そして意見広告もこれに含まれるというが)を排除することになれば、あとに残るのは、いまだにマスメディア(つまり広告)を使っている巨額の資金がある選挙陣営ということになる。そんな汚職まみれの時代は脱却したいと願っていたのに。そんなことになれば、有利になるのは、すでに金と認知度と権力を手にしている現職だ。そして、犠牲になるのは挑戦者だ。
さらに、フェイスブックの政治広告全面掲載については、こう述べる。
何が真実かをフェイスブックが決めることには、誰も同意しないだろう。ただ、フェイスブックは公共の会話が交わされる場所だ。そのような場所における誠実さ、良識、そして責任についての規範を設定し、それを遵守し、政治家、市民、ユーザー、広告主のすべてに対してその責任を負わせなければならない。(中略)もし政治家が政治広告で人種差別の表現を使う(例えばメキシコ人を性犯罪者、殺人犯などと呼ぶ)のであれば、フェイスブックはその行いを非難しなければならない。フェイスブックが何の言及も警告も行わずにそれらを受け入れてしまうのであれば、フェイスブックはそれを了承した、と受け止められることになる。そんなことを、私は認められない。
そして、フェイスブックもツイッターも、これらの責任から逃れようはないのだ、とジャービス氏は指摘する。
(フェイスブックもツイッターも)コミュニティーの会話のホスト役だ。それらの会話への影響力を持っており、すなわち民主主義や国家への影響力を持っている、ということだ。民間企業ではあるが、公共のルールに関する判断を下さざるを得なくなってきているのだ。たとえ、それをどんなに嫌がっていたとしても。
●なお残る責任
政治広告に関する判断の放棄を表明しても、ジャービス氏が指摘するように、フェイスブックもツイッターも、その責任から逃れようはないだろう。
判断の放棄の先にあるのは、民主主義社会の混乱だからだ。
(※2019年11月1日付「新聞紙学的」より加筆・修正のうえ転載)