そろそろ9月入学の議論は延期して、もっと重要な課題に取り組むべき
9月入学の議論が各方面で起きている。政府内でもさまざまな検討が進んでいるようだ。報道によると、文科省は3つの案を検討中だとか(FNNプライムオンライン5/18など)、ほかにも”小学ゼロ年生”という案もあるのだとか(9月に小学校に上がるまでのあいだ、4~8月ゼロ年生として学校生活を送るという、同5/20)。
「(複雑で)もうワケがわからなくなってきた」、「誰のため、何のためにやっているんだっけ?」そんな声もわたしのもとには届いている。
9月入学をめぐる賛否、メリット、デメリット、歴史的な経緯などは、すでにいろいろな情報が出ているし、わたしも過去の記事でも触れてきたので、ここでは省略する(※)。ただ、とても重要と思われる1点のみ、この記事ではお話ししたい。
(※)たとえば、Ed Matsudaさんの記事などは詳しい。
それは、9月入学の検討、議論によって、既に多大な時間と労力が割かれてしまっている事実だ。
冒頭で紹介したように、文科省では9月入学をめぐって、さまざまな選択肢を検討しているようだ。当然、いい加減な案ではいけないので、網羅的に調べて、省内と他省庁など各方面とも調整を図りつつ、検討していることだろう。
はっきり、どのくらいかは可視化されにくいが、官僚の貴重な頭脳と多大な時間が費やされている。当然、9月入学が急浮上したからといって、文科省の職員が1.5倍や2倍に増えているわけではないなかで。
しかも、9月入学の中身にもよるが(保育園・幼稚園ならびに義務教育~大学・大学院まで9月入学にするのと、大学・大学院のみ9月入学とするのではワケがちがう)、小学校等から9月入学を進めるとなると、改正が必要な法律は、少なくとも33本に上る可能性があるという(日経新聞5/20)。学校教育法や地方公務員法、労働基準法などが対象となる見込みだ。
官僚をやったことがある人ならわかると思うが(筆者も官民交流で2年間だけ国家公務員を経験している)、法律改正というのは非常に労力がかかることだ。9月入学導入のゴーサインが近いうちに正式に出る可能性も想定して、関係省庁(文科省や厚労省、総務省等)では、さまざまな下準備や検討を進めていることだろう。
「とても重要な課題なので、官僚が汗をかくのは当然だ」という意見もあろう。なるほど。
だが、その主張が通るのは、「9月入学が、他の政策と比べても、重要性の高い政策課題である」という前提に立てば、の話。本当にそうだろうか?そこが大問題なのである。
人間に与えられている時間は、みんな1日24時間で有限だ。そのうち、仕事に割ける時間は一部だ。国家公務員だからといって、不眠不休で働け、なんて言えるものでもない。何かに取りかかる分、別の何かに割ける時間やエネルギーは減るのである。トレードオフだ。この当たり前の事実を、もっと重く捉えるべきではないだろうか。
また、9月入学をめぐって、著名な大学教授など、研究者のなかにも多大な時間を割いてくださっている人もいる。論説を出したり、メディア等の取材に対応したり。ご本人の研究テーマ等にフィットするなら、別に構わないと思うが、本業の研究や教育に取りかかる時間等が減ってしまう。
皮肉なことだが、9月入学で大学の国際競争力を上げようと主張する見解もあるが、9月入学の議論のせいで、日本の大学の一部の競争力(論文数など)が落ちているかもしれないのだ。局所的に見ればという話だが。なお、このコロナ禍での大規模な財政支出に加えて、9月入学にすると、政府に必要となる予算はさらに増えそうだから、大学等への研究費は減ってしまうかもしれない。
「そんなド短期な話ばかりするな。9月入学は、中長期的に我が国にとって重要なことなのだから」というご意見もあろう。だが、先ほどと同じギモンは付きまとう。
繰り返すが、まず問われないといけないのは、「9月入学をどう実現するか」や「どんな選択肢があるか」の前に、「9月入学が本当にそこまで重要なのか。他の政策的な課題と比べて優先順位は高いのか」という点ではないだろうか。
わたしは9月入学に取りかかるヒマと労力、あるいは予算があるなら、さっさと、別のもっと重要な問題に向き合うべきだと考える。そこは大いに議論があっていいことではあるが、いくつか例示する。
■受験生の不安を解消するなら、大学入試等の方針を早く出すべき
そもそも、9月入学は以前から出ていた話だが(中曽根内閣のときなど)、今回注目されたひとつの契機は、高校生の署名活動である。
学校行事や部活動の大会なども中止が相次いでいるから、9月から高校生活をもう一度やりなおしたい。また、受験生にとっては、休校になったかどうかで不公平が生じているのではないか、といった声もあがっている。
こうした声や不安には、なるべく寄り添える政策や学校運営を考えていくべきだと、わたしも思う。だが、ここでも、9月入学以外の方法も考えられる。
たとえば、大学入試については、文科省が早く方針を出して、一部の出題範囲を狭くしたり、問題を選択できる幅を広げたりすることなども考えていくべきだろう。当然、具体的な入試の中身は各大学等が国の働きかけなどを踏まえて、検討していく話だ。
だが、9月入学の検討が始まっているためか、文科省は今年度の大学入試について、抜本的な変更をするかしないかの考えを、現時点では明確にしていない。5月14日に各大学の学長向けにひとつ通知を出しているが、それは、総合型選抜(旧AO入試)と学校推薦型選抜(旧推薦入試)について、部活動の大会成績等だけでなく、多面的な評価を行ってほしいこと(部活の大会等が中止になっているので)、また、面接をオンラインで行うなどの配慮や工夫をすることなどを求めた内容だ。
仮に来年の秋から9月入学となると、いまの受験生の入試時期も大幅に動くことになるので、文科省としても方針が出せないのだろう。ここでも、9月入学を検討することにより、他の政策が後回しになったり、十分調整等に動けなかったりする事態が起きている。
センター試験の後継である大学入学共通テストの記述式の導入や英語の民間試験の導入をめぐっても、大混乱したことは記憶に新しい。それほど、入試の改革や調整というのは難易度が高いということだ。なのに、9月入学がどうなるかのために、事実上、先送りになっている。
■子どもたちの学習の遅れや格差が心配なら、さっさと、その対策を進めるべき
9月入学推進論の背景のひとつが、休校が長引いて、子どもたちの学習の遅れが生じていることだ。あるいは、家庭環境等によって学力の格差が生まれているのも、おそらく事実だ。
今のところ、各地の小中学校等が今月もしくは6月には再開する見通しだが、9月入学にする、しないにかかわらず、子どもたちの学びを充実させることは、喫緊の重要課題だ。なぜなら、たとえ、9月入学にしても、学習の遅れや格差がリセットされるわけではないからだ。
既に再開した地域では、新型コロナウイルスの感染防止のために、ひとつの学級を2つに分けて、授業を行っている例などもある。日本の制度では、1クラス40人学級(小1のみ35人)が国の定める標準であり、OECDの統計を見ても、1クラスあたりの平均児童生徒数は他の先進国よりも多い(日本とチリがワースト1位、2位を争っている、Education at a Glance 2019)。感染防止を重視するなら、少人数学級がしやすくなるように、教員や教室を増やす政策を考えるべきだ。
9月入学は「グローバル・スタンダード」だとおっしゃる人が多いが、日本の教室が、最大40人の子どもたちでギュウギュウ詰めである事態、まさに「3密」になりやすいことは、まったくグローバル標準からは、かけ離れているのをご存じだろうか?
ただし、教員数を増やすということだけが手ではない。だいたい、教員数を増やすといっても、質が担保されるかや育成をどう進めるかなど、課題も山積みだ。わたしは、教員が授業に出ずっぱりで、ろくに授業準備や人材育成をできない状態では、教育の質はよくならないので、教員をもう少し増やすべきだとは考えているが(参考文献の拙著に詳しく書いた)。
教員を多少増やしつつ、同時に進めたいのは、ICT環境の整備である。こちらもOECDの調査などを見ると、日本は他の先進国よりも大きく遅れている。たとえば、あるクラスの授業の模様を隣でも投影できるようにしたり、少々離れていても、児童生徒の学習状況をその子の端末から共有して、先生の端末などで確認しやすい環境であったりすれば、教員の大幅な急増は、必ずしも必要ではないかもしれない。
または、教員以外で児童生徒のケアができるスタッフを増やして、その支援員さんたちが教員と協力して学習支援を行うという手などもある。
さらに言うと、学校が再開したからといって、家庭学習を含めて、ICTやWebの活用が不要になるわけではない。うまくICTとアナログとを双方の良さを活かしつつ、併用していけばよい。そのほうが、コロナの第二波、第三波が来たとき、あるいは今回のコロナでは幸い子どもたちの重症化率は非常に低いようだが、一層深刻な感染症に襲われたとき、あるいは地震などのときの備えにもなる。こうした意味で、児童生徒一人一台端末の整備であったり、家庭にネット環境のない子への支援だったりは、引き続き重要だ。もちろん、9月入学がどちらに転んだとしても。
■本当に格差是正に動くなら、幼児教育の質的向上を図るべき
さらに、家庭環境等によって生じている学力格差の問題について、さまざまな先行研究が示唆するのは、小学校入学前から一定の格差が既に生じてしまっている問題だ。また、幼児教育(就学前教育)を充実させることは、その子の生涯においてプラスの効果、効用が大きいことも指摘されている。
であれば、9月入学よりも前に、保育園や幼稚園での教育の質の向上を図る政策をもっと打つべきではないだろうか。いまでも待機児童の問題が深刻で、幼児教育を受けたくても受けられない家庭もいる。それで、9月入学を拙速に導入すると、下手すると待機児童はもっと増える可能性もある(オックスフォード大の苅谷剛彦教授らの研究チームの推計によると、待機児童は全国で約26万5000人に上る可能性もあるという)。
また、コロナ前からの状況として、小学校~高校までの段階で、就学前から付いた学力格差等が残念ながら十分埋まっていないのも事実のようだ(たとえば、松岡亮二さんの『教育格差』ちくま新書)。日本だけでなく、海外もこの問題には苦労している。格差是正はそれほど難易度の高いことだし、今回の3ヶ月にも及ぶ休校で、言わば、さらに傷口は広がってしまっている状態だ。
だったら、なおさら、9月入学にうつつを抜かすよりも、これまでの学校教育での反省点をしっかり振り返り、必要な支援や学校改善などを進めていくべきだろう。たとえば、授業や宿題(家庭学習の課題)では、低学力層を置いてきぼりにする部分がなかったかなど、現場にはたくさん対処していく課題がある。それを前述のとおり、これまで非常に少ない教職員数で、どうにかこうにかして、やりくりしてきたのがニッポンの教育だ。
格差是正という重要な課題と、やろうとしている政策(=9月入学の導入)がうまくミートしているようには、わたしには見えない。
■9月入学、本当に今ですか?
もう一度、きょうのポイントをおさらいしたい。9月入学の賛否はさまざまな考え方があるとは思う。だが、重要なのは、いますぐにでも手当てが必要な、深刻な問題はコロナ禍のなかでたくさんある。9月入学の検討のために、官僚等の貴重な時間や労力、そして国家予算等が、その重要な課題のほうに十分に向かわない事態は、避けた方が賢明だ。
拙速な9月入学の検討は待ったほうがよい、もっと別の課題が多いという指摘は、有識者や学校現場からも多数声があがっており、署名活動も展開されている(下記が関連するサイト)。
https://peraichi.com/landing_pages/view/stopseptemberadmission
本稿は、わたしの個人的な見解であり、この活動を代弁するもの等ではないが、問題意識は近い。9月入学の議論は延期したほうがよいのではないか?
ぜひ多くの方に、改めて、いま何が真に重要な課題、問題なのか、直視していただきたい。
(参考文献)
妹尾昌俊『教師崩壊』PHP新書
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