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通算300本以上のホームランを打ち、マウンドにも上がったのは、ベーブ・ルースだけではなかった

宇根夏樹ベースボール・ライター
ダヤン・ビシエド(左)とアダム・ダン JULY 30, 2014(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

 ベーブ・ルースは、714本のホームランを打ち、94勝を挙げた。最後に登板した1933年10月1日の試合では、686本目のホームランを記録し、5失点ながら9イニングを投げきって白星を手にした。

 ルースと同列には論じられないが、登板したスラッガーは、他にもいる。ルースを除く300本塁打以上の151人中、6.6%の10人は、マウンドに上がった。

筆者作成
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 ほとんどの場合、登板の時点で、チームは大きくリードされていた。これ以上は投手を起用したくない、本人が投げたがった、あるいはその両方が登板の理由だ。

 けれども、なかには例外もある。

 534本塁打のジミー・フォックスは、1945年の9登板のうち、先発が2試合。初先発の試合では6.2イニングを投げ、5三振を奪って2失点で勝利投手となった。フォックスは、1934年の日米野球でも、リリーフとして3試合に投げている。この時、フォックスとともに来日したルースは、登板していない。

 374本塁打のロッキー・コラビトも、1968年の登板で白星を挙げている。マウンドに上がったのは、0対5とリードされた4回表の途中。点差は極端に離れておらず、イニングも進んでいなかったが、登板の理由は他の場合と同様だった。ダブルヘッダーの日が集中していて、2日前には延長19回の試合があった。コラビトは、追加点を許さずに4回表を終え、5回表と6回表はゼロを並べた。味方は4回裏に1点を返し、6回裏に5点を挙げて逆転した。7回表からは本職の投手2人が相手を封じ、コラビトに白星がついた。

 475本塁打のスタン・ミュージアルについては、「大谷翔平の「10奪三振&野手守備」は1900年以降3人目。最初の投手は、「余興」の副産物だった」で書いた。

 462本塁打のアダム・ダンは、登板の理由が他と違うわけではないが、登板時のホームランの多さが目を惹く。その時点の457本塁打は、ルースの685本とフォックスの534本に次ぐ。また、マウンドに上がった300本塁打以上の選手は、登板後に300本に達した選手を含めても、2014年のダンが最後だ。ちなみに、上の写真でダンの隣にいるダヤン・ビシエド(現・中日ドラゴンズ)は、メジャーリーグで66本塁打。メジャーリーグ、マイナーリーグ、日本プロ野球のいずれでも、マウンドには上がっていない。キューバ時代もないと思われる。

 なお、いずれも登板したことはないが、300本塁打以上の現役選手は、先日、ロサンゼルス・エンジェルスからFAになったアルバート・プーホルスを含めて9人。そのなかには、エンジェルスのジャスティン・アップトンマイク・トラウトもいる。

ベースボール・ライター

うねなつき/Natsuki Une。1968年生まれ。三重県出身。MLB(メジャーリーグ・ベースボール)専門誌『スラッガー』元編集長。現在はフリーランスのライター。著書『MLB人類学――名言・迷言・妄言集』(彩流社)。

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