<朝ドラ「エール」と史実>「これこそニュース歌謡の醍醐味」と絶賛された「英国東洋艦隊潰滅」誕生秘話
先週より戦時下篇に入った朝ドラ「エール」。今週は、ついに太平洋戦争に突入します。公式サイトによれば、主人公の裕一は、軍歌だけではなく「ニュース歌謡」の作曲にも携わるようになるとのこと。
この「ニュース歌謡」という奇妙な言葉は、当時も使われていたものです。では、これはいったい何だったのでしょうか。
■開戦当日に「宣戦布告」を作曲
「要するにニュース歌謡とは最近に起つた特定の事件を可及的迅速に採り上げた歌謡であると云ふことが出来る」。日本放送協会(現・NHK)に勤務する丸山鐵雄は、1942年にこのように説明しています(『放送研究』2巻1号)。
この丸山は、政治学者・丸山眞男の兄。戦後は、長寿番組「のど自慢」の立ち上げにも関わるアイデアマンでした。劇中に登場する丸井は、彼がモデルでしょう。このように「ニュース歌謡」は、ラジオ局によって企画・制作された音楽でした。
「ニュース歌謡」は、太平洋戦争の前から制作されていましたが、本格化したのは開戦後。開戦の日の1941年12月8日には、さっそく「宣戦布告」という歌が作られ、その日のうちに放送されました。作詞者は野村俊夫、作曲者は古関裕而でした。
その日のうちに歌詞を書き、曲までつけて放送するのは、至難の業です。歌手や楽団だって練習しなければなりません。そんななかで、ラジオ局の無理な要求に対応して、早業で最適な曲をつけてくれる、古関はたいへん重宝されました。そのため、翌9日にも、「皇軍の戦果輝く」というニュース歌謡を、やはり野村とのコンビで手掛けました。
■「始まった以上、勝たねばならぬからである」
そのような「ニュース歌謡」のなかでも、最大の成功例は、同月10日に放送された「英国東洋艦隊潰滅」でしょう。
日本海軍は、8日の真珠湾攻撃に続き、10日、マレー沖海戦でふたたび大戦果をあげます。イギリス東洋艦隊の主力、戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と戦艦「レパルス」を撃沈したのです。その大本営発表は、午後4時20分、さっそくラジオで放送されました(このころの大本営発表は、勝っていたこともあり、比較的正確でした)。
国民はこの大戦果に欣喜雀躍しました。古関も、「我々は思わず拍手し昂奮、感激した。始まった以上、勝たねばならぬからである」(『鐘よ鳴り響け』)と振り返っています。
ところが、そこにたんに喜んでいるだけではない人がいました。先述したラジオ局の丸山鐵雄です。丸山は、これこそ「ニュース歌謡」の題材にふさわしいと即断。さっそく古関に作曲を依頼したのです。作詞者に選ばれたのは、「船頭可愛いや」の高橋掬太郎でした。
放送は、午後8時。たった3時間ほどしか猶予がありませんでした。普通、歌詞ができてから、作曲家は仕事にかかりますが、それではとうてい間に合いません。そこで、古関と高橋はお互い相談しながら、作詞・作曲を同時に進めました。歌手に選ばれた藤山一郎は、そんなことはつゆ知らず、放送局にやってきたところ、実情を知って、大いに驚くのです。
■「快報に接した直後の感激と昂奮はあらゆる技術上の困難を克服」
こうして完成した「英国東洋艦隊潰滅」は、ほとんどぶっつけ本番で放送されました。その歌詞は、「見よや、見よや、沈む プリンス・オブ・ウェールズ」といったもので、わざわざ戦艦の名前が読み込まれていました。これは、臨場感を出すために、丸山が固有名詞を入れることにこだわったこともあったでしょう。やや強引な歌詞でしたが、さすがの藤山一郎、音楽学校仕込の歌唱で、この部分をみごとに歌いきってみせました。
これには丸山も大喜びでした。放送後、スタジオに入っていて、「よかった、よかった、どうもありがとう」と古関たちと握手したといいます。その後、丸山はつぎのようにも振り返っています。
まさにドラマティックな展開ですね。
ちなみに、「英国東洋艦隊潰滅」には、こんな後日談があります。1942年10月、古関は日本放送協会の慰問団に加わって、東南アジアに慰問に出かけます。その途中、一行を乗せた船が、マレー沖海戦のあったマレー半島クワンタン沖に差し掛かりました。そこで、誰からともなく、「『英国東洋艦隊潰滅』をやろう」となり、その演奏が行われたのです。
この軍歌の人気のほどがわかるエピソードといえるでしょう。朝ドラにも慰問の回があるそうですから、もしかすると、その場面を見られるかもしれません。