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[甲子園] 休養日ネタ/さて、優勝旗は白河の関を越えるのか

楊順行スポーツライター
仙台育英が初めて決勝に進んだのは1989年夏。エースは大越基だった(写真:岡沢克郎/アフロ)

 青森・岩手・秋田・山形・宮城・福島の東北勢6県から、初めて決勝に進んだのは1915年の第1回全国中等学校優勝野球大会の秋田中だ。そこで京都二中(現鳥羽)に延長で敗れて以来、春夏の甲子園で東北からは合計12回決勝に進んでいる。だが……いまだに優勝には届かない。まとめると、

▽1915年夏

秋田中●1—2京都二中(現鳥羽)(延長13回)

▽1969年夏

三沢(青森)△0—0松山商(愛媛)(延長18回引き分け)

再試合●2—4

▽1971年夏

磐城(福島)●0—1桐蔭学園(神奈川)

(このとき、決勝の1失点だけでほかの3試合を完封した磐城の田村隆寿は「小さな大投手」といわれた)

▽1989年夏

仙台育英(宮城)●0—2帝京(東東京)(延長10回)

▽2001年春

仙台育英(宮城)●6—7常総学院(茨城)

▽2003年夏

東北(宮城)●2—4常総学院

(東北のエースはダルビッシュ有)

▽2009年春

花巻東(岩手)●0—1清峰(長崎)

(花巻東のエースは菊池雄星)

▽2011年夏

光星学院(現八戸学院光星・青森)●0—11日大三(西東京)

▽2012年春

光星学院●3—7大阪桐蔭

▽2012年夏

光星学院●0—3大阪桐蔭

▽2015年夏

仙台育英●6—10東海大相模(神奈川)

▽2018年夏

金足農(秋田)●2—13大阪桐蔭

 この間、04年夏には駒大苫小牧が北海道勢として初優勝し、優勝旗は東北をまたぎ、津軽海峡を越えている。だが、それは空路でのこと。だから、現在の福島県に位置し、みちのくの入口だった関所を象徴に、「優勝旗は、白河の関を越えていない」と表現する。関所というのは、越えなければならないハードルにもなぞらえられるから、しっくりくるのだろう。

仙台育英、初めての決勝は……

 仙台育英が決勝に進むのは、7年ぶり4回目のことだ。最初は、1989年。夏の出場9回目にして、宮城県勢初の決勝進出だった。エースは大越基(元ダイエー)である。

 この年の育英は、センバツでもベスト8に進むと、夏も圧倒的に宮城を制し、春夏連続出場。甲子園では鹿児島商工(現樟南)に7対4、京都西(現京都外大西)に4対0、そして弘前工(青森)を2対1。

 準々決勝は、センバツ準優勝の上宮(大阪)が相手だ。やはり準々決勝で対戦したセンバツでは、大越が元木大介(元巨人)にホームランを浴びるなどで敗れている。その相手に10対2でリベンジすると、準決勝は延長10回、3対2で尽誠学園(香川)を振り切っての決勝進出だ。相手は帝京(東東京)。初回の大越は、なかなかストライクが入らない。先頭の蒲生弘一にスリーボール……。

 育英の竹田利秋監督(当時)は、投手に連投をさせない方針だったが、甲子園で勝ち上がるとそうもいっていられない。当時、頼れるエースを複数持つチームは、ごくまれで、勝ち上がるほどエース頼みとなるのはしょうがない。だから大越にとって、前日の準決勝が初めての3連投だった。つまり、この日がなんと4連投目……。しかも過去5試合、大越はすべて完投している。体の疲れは尋常じゃない。

 いまは山口・早鞆の監督を務める大越に、このときの話を聞いたことがある。

「いきなりスリーボールですから、ダメかな……と感じました。だけど4球目がストライク。球審のコールが響くと、4万人の観衆から大歓声が上がったんですよ。ああ、甲子園全体が、こんなに応援してくれているんだと思って生き返りました」

 試合は大越と、吉岡雄二(元近鉄ほか)の投手戦になった。両校きれいにゼロを並べ、延長に突入。だが延長10回表に2点を入れた帝京が、初優勝を飾ることになる。

 帝京・前田三夫監督(当時)は9回裏、仙台育英が2死三塁のチャンスを迎えたとき、

「過去2回のセンバツも決勝で負け。もしここで打たれるようなら、オレは一生優勝とは縁がないということだな」

 と開き直ったという。そのことを大越に告げると、おもしろそうに振り返った。

「僕は逆に、あの9回のチャンスがあったから勝てなかったと思うんです。2死とはいえ、一番の大山(豊和)が三塁打。このチャンスには、どうしてもサヨナラ勝ちがちらつくじゃないですか。体はきついし、もう投げたくないからなおさらです。ところが、二番の茂木(武)があっさり凡退。次の打者としてネクストで見ていた僕はもうガックリきて……その気持ちを切り替えられないまま延長のマウンドに向かってしまったんです」

 その10回表、帝京の先頭打者は井村清治。そこまでノーヒットで、大越には「まっすぐさえ投げておけば大丈夫」という感触があった。だが、チャンスを逃した落胆から「切り替えられなかった」大越の痛恨はここだ。まっすぐで大丈夫のはずの打者に、

「なぜか変化球を投げてポテンヒットされてしまうんです」

 そして四球とバントの1死二、三塁から、三番・鹿野浩司(元ロッテ)に2点適時打を浴びてしまう。決勝のホームを踏んだのは、ストレートを投げておけば大丈夫なはずの井村だった。

 さて、明日は決勝。64年に山口県から決勝に進んだのは、現在大越が率いる早鞆だった。高校野球は、なんともドラマチックである。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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