歴史問題と安保関連法案を結びつけてしまった安倍首相の愚
南シナ海に2つ目の滑走路
安全保障関連法案の国会審議が紛糾し、安倍政権の支持率が急落する中、中国が南シナ海・南沙(スプラトリー)諸島にあるスビ礁を埋め立てた人工島に幅200~300メートル、長さ2千メートル以上の陸地を完成させたというニュースが飛び込んできた。
中国は南沙諸島のファイアリー・クロス礁でも3千メートル級の滑走路を建設しており、スビ礁に2つ目の滑走路をつくるとみられている。
米シンクタンク、戦略国際問題研究所(CSIS)アジア海洋透明性イニシアティブのホームページをみると、中国が南シナ海で急ピッチで埋め立てを進めている様子が手に取るようにわかる。
「南シナ海に中国が防空識別圏(ADIZ)を設置するか否かはわれわれの海洋安全保障が脅かされるか否かにかかっている」
中国人民解放軍の孫建国副総参謀長は5月、シンガポールで開かれたアジア安全保障会議(シャングリラ・ダイアローグ)で、東シナ海に続き、南シナ海でもADIZを設置する可能性をちらつかせた。
南沙諸島での滑走路建設は布石に過ぎない。日本は日米同盟を基軸にフィリピンやベトナムとの連携を強化し、中国の冒険主義を抑止する必要がある。南シナ海は、エネルギーを中東の石油に頼る日本にとって極めて重要なシーレーンだからだ。
南シナ海の次は東シナ海
中国が南シナ海の制空権と制海権を掌握すれば、南シナ海ほぼ全域の実効支配に乗り出してくる。次のターゲットは尖閣諸島のある東シナ海だ。しかし日本では、解釈変更で集団的自衛権を容認する「解釈改憲」を大上段に振りかざした安倍政権への不信が渦巻く。
安全保障関連法案がとん挫すれば日米同盟を基軸とした南シナ海、東シナ海の抑止戦略は根底から見直しを迫られる。法案の成立を目指す安倍晋三首相は日本を取り巻く安全保障環境の激変ぶりを具体的かつ丁寧に説明しなければ、国民の理解は得られない。
それでなくても集団的自衛権の議論は難しい。戦後、内閣法制局が集団的自衛権について「国際法上保有しているが、その行使は憲法9条によって禁じられている」と解釈してきたからだ。
それを解釈変更で限定的にでも容認しようというのだから、多くの憲法学者が「違憲」と反対するのは当然と言えば当然と言えるだろう。
調子に乗ってしまった安倍首相
安倍首相も第2次政権発足直後は経済優先の安全運転に徹してきた。が、衆院選に続く参院選での勝利、旧日本軍慰安婦や福島第1原発事故の吉田調書をめぐる誤報問題で朝日新聞の木村伊量社長が辞任した辺りからすっかり調子に乗ってしまった。
野党総崩れで「安倍1強」状態が続き、天敵の朝日新聞も自滅したのだから、怖いものなしだった。年表で振り返るとわかりやすい。
2012年
12月16日 衆院選で自民党が294議席獲得
12月26日 第2次安倍政権誕生
2013年
7月21日 参院選で65議席獲得
12月26日 安倍首相が靖国参拝
2014年
6月20日 旧日本軍慰安婦をめぐる河野談話の検討結果を公表
7月1日 安全保障関連法案整備のための基本方針を閣議決定
8月6日 朝日新聞が「従軍慰安婦」報道の検証特集を掲載
11月14日 福島第1原発事故の吉田調書や旧日本軍慰安婦をめぐる誤報問題で朝日新聞の木村伊量社長が辞任表明
2015年
2月19日 安倍首相が衆院予算委で「日教組はどうするの」とヤジを飛ばして紛糾
4月27日 新たな日米防衛協力のための指針(ガイドライン)で「地球規模の日米一体化」がうたわれる
4月29日 安倍首相が日本の首相としては初めて米議会上下両院合同会議で演説
5月14日 安全保障関連法案を閣議決定
5月28日 安倍首相が民主党議員に「早く質問しろよ」とヤジ
6月18日 自民党の稲田朋美政調会長が連合国軍総司令部(GHQ)による占領政策や極東国際軍事裁判(東京裁判)を検証する新しい組織を設置する方針を表明
6月25日 安倍首相に近い自民党議員の勉強会で議員が「マスコミを懲らしめるには広告料収入がなくなるのが一番」などと発言
7月16日 安全保障関連法案が衆院通過
8月14日 安倍首相の戦後70年談話(調整中)
9月27日 国会会期末
外交・安全保障を政治の争点にするのは賢明ではない。地道に少しずつ積み上げていくのが常道だからだ。しかし「戦後レジームからの脱却」を掲げる安倍首相は集団的自衛権を限定的に容認する解釈改憲で憲法9条をなし崩しにしようとしているとの印象を強く国民に与えてしまった。
不支持が支持を上回る
NHKの政治意識月例調査を見てみる。衆院で安全保障関連法案を採決する前から安倍政権の支持率は急落している。
安倍政権を支持する読売新聞や産経新聞・フジテレビの世論調査でさえ不支持率が支持率を逆転している。
安全保障関連法案に反対している野党の民主党や共産党の支持率が上がったかと言えば、NHKの政治意識月例調査を見ると自民党と同じように下がっており、「支持政党なし」層が増えただけだ。
背筋が寒くなる南シナ海の埋め立て
前出のCSISアジア海洋透明性イニシアティブをみると、中国による南シナ海での埋め立てが進む速さと規模に背筋が寒くなる。
(1)スビ礁 395万平方メートル(埋め立て面積)
1988年中国に占拠される。2014年7月から埋め立て開始。3千メートルの滑走路を建設できる広さ。砲兵隊200人を収容できる施設、ヘリポートあり。
(2)ファイアリークロス礁 274万平方メートル
軍用機が離着陸できる全長3110メートル、幅200~300メートルの滑走路を建設中。ヘリポート2カ所。対空砲や対潜水兵の防御が以前から存在する。8カ所に大砲を設置できる。レーダー塔とみられる建物を建設中。軍のタンカーが停泊できる港湾施設の開発も進められている。
(3)ミスチーフ礁 558万平方メートル
フィリピンの排他的経済水域(EEZ)内にある。中国は海軍の基地をつくるとみられている。
(4)ジョンソン礁 10万9千平方メートル
2014年初めまでは小さなコンクリートのプラットホームしかなかった。ヘリポート2カ所。レーダー塔とみられる建物2棟を建設中。兵器を設置できる塔が4カ所にある。ジョンソン南礁にも滑走路が建設されるという説がある。
(5)クアテロン礁 23万1100平方メートル
2014年夏に工事が進む。ヘリポート2カ所。5カ所に大砲やミサイルを設置可能。
(6)ガベン礁 13万6千平方メートル
2014年3月以降に工事開始。6万6402平方メートルの港湾施設。対空砲。海軍の大砲。8カ所に大砲を設置できる。ヘリポート2カ所。少なくとも03年から砲兵隊や守備隊が配備されている。
(7)ヒューズ礁 7万6千平方メートル
2014年夏から工事開始。防御塔4カ所。5カ所に大砲が設置できる。
中国は南シナ海のほぼ全域と言える広い海域に「九段線」を引いて、領有権を主張。空母「遼寧」を就航させ、前方展開能力をつけている。ファイアリークロス礁やスビ礁の滑走路が完成すれば、南シナ海における中国の前方展開能力は劇的に向上する。
フィリピンも台湾もマレーシアも領有権争いにある島や岩礁に飛行場や滑走路を持っており、中国は「これに対抗する必要がある」と主張している。しかし埋め立て規模は中国の方が比べものにならないぐらい大きい。
海底資源の確保、中東の石油を輸送するシーレーンの防衛という以上に、中国は九段線で仕切った南シナ海の「海洋国土化」を図り、最終的に南シナ海から米軍を排除するのが目的とみて良いだろう。
それでも中国の埋め立てを「軍事目的」ではなく「平和目的」と言い切れる人は、安全保障の現実から目を背けていると言わざるを得ない。中国は少しずつ現状変更を重ね、既成事実化した上で踏み固める手法をとっている。「サラミソーセージ薄切り戦略」と呼ばれている。
スキを見せれば、どんどん中国の既成事実化が拡大するということだ。それを防ぐためには、繰り返しになるが、日米同盟を強化し、ベトナムやフィリピンと連携して、中国の活動を監視して抑止力を働かせることが肝要だ。
安全保障の現実を語れ
しかし、個別的自衛権では対処し切れない事態に備える安全保障関連法案への反対は賛成を圧倒している。フリーハンドをできるだけ残そうと、安倍政権が具体的な説明を避けてきたためだ。国会審議も観念論ではなく、現実に即した議論に徹していればここまで反対の声は広がらなかったはずだ。
日本の安全保障を左右する重要な法案を議論している最中に、戦後70年談話で歴史問題を自ら争点化するとは。安倍首相の政治信条とはいったい何なのか疑いたくなる。
旧日本軍慰安婦をめぐる河野談話や朝日新聞たたきに夢中になる暇があったら、CSISがやったように中国の動きをビジュアル化するなど、日本を取り巻く安全保障環境の変化を国民に丁寧に説明すべきだった。今からでも遅くない。安倍首相もそのシンパも、歴史遊びは封印して現実を語るときだ。
(おわり)