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親がたくさんいてもいいじゃない 家族のかたちを、もっと自由に

大塚玲子ライター
「こうあるべき」を手放せば、みんなもっとハッピーになれるのでは?(写真:ペイレスイメージズ/アフロイメージマート)

 ひとり親や再婚家庭、里子や養子を迎えた家庭、同性カップルで子育てする家庭――。さまざまな環境で暮らす人たちを取材していつも感じるのは、「子どもが満足していれば、家族はどんなかたちでもいいじゃない」ということです(もちろん、子どもがいない家族でも、おひとりさまでもいいのですが)。

 親の人数もそうです。「親は2人(まで)でしょ」というのが、なんとなくこの社会の常識になっていますが、もし子どもが望むなら、もっと多くたっていいでしょう。実際に、離婚・再婚家庭や、第三者の協力で子どもをもった同性カップルなど、子どもにとって「親」的な存在が3人以上いるケースは、ときどき見かけます。

 たとえば、筆者が先日取材した女性・Aさんには、2人の母親と1人の父親がいます。Aさんは小さい頃に両親が離婚して父親に引き取られ、のちに父親は再婚しました。彼女は離れて暮らす血縁の母親を「1ママ」、父親の再婚相手を「2ママ」と呼び、どちらともいい関係を保っています(しかも「1ママ」と「2ママ」も仲が良いというのは驚きです)。

 Aさんの結婚式には「1ママ」も「2ママ」も、ふたりとも出席してくれたそう。夫の親族は面食らっていたようですが、べつに誰かが困るわけではありません。Aさんが出産したときも、「2人のママ」がよく手伝いにきてくれたといいます。

 高校生のときに両親が離婚したBさんも、父親とそのパートナーの男性(父親はゲイです)に、子育てをたくさんサポートしてもらったそう。ときには、離婚した母親と父親とそのパートナーを含め、皆で食事をしたりもするといいます。

 ただ残念ながら、こういったケースはまだあまり多くはないようです。子ども本人は離れて暮らす人物を「親」と思っていても、周囲の大人、とくに同居の親や祖母等がその人物を排除していると、子どもとの関係は途絶えがちです。

 たとえば離婚・再婚家庭で、子どもが離れて暮らす親に会いたいと思っていても、同居する親に遠慮して言い出せないケースがよくあることは、知られている通りです。

 血縁の親がわからない人たちにも、同様の傾向を感じます。筆者はこれまで、幼少期に養子になった人や、産院で取り違えられた人、AID(提供精子による人工授精)で生まれた人など、育ての親と血縁がない人を取材してきましたが、みな「出自(血縁の親)を知りたい、探したい」という気持ちを抱きながらも、育ての親に気を遣っていました(拙著新刊『ルポ 定形外家族』参照)。

 育ての親は「ほかに『親』が現れたら、自分の立場が脅かされてしまうので、探してほしくない」と思うようですが、子どもの側に話を聞くと、それは妄想だと感じます。子どもにとって親は親であり、「新しい親が現れたら、古い親が家族の枠から押し出される(親ではなくなる)」というようなものではないからです。

 なお、最初に紹介したAさんが「ママ」を2人もてたのは、ママたちの人柄もありますが、同居の祖母の影響が大きかったように思えます。祖母は息子夫婦が離婚してからも、孫であるAさんが母親と会えるよう、サポートし続けてくれました。

 じつはAさんの祖母は中国残留孤児だったのですが、ほかの多くの孤児と同様、祖母が日本に帰国したのは中国に暮らす育ての親が亡くなってからでした。祖母も育ての親に遠慮して、血縁の親に会いたいと言い出しづらかった経験があるのでしょう。そのため、孫娘には同様の思いをさせたくないと考えたのかもしれません。

 「家族の形はこうあるべき」という像を、子どもや他人に押しつけるのをやめ、それぞれが望むかたちを優先できれば、もっとみんなハッピーになれるのではないでしょうか。

 ですから逆に、もし子どもが望むのであれば、親が2人より少なくたっていいでしょう。離れて暮らす親でも、同居の親でも、親の再婚相手でも、もし子どもがその人物を「親」と思わない、思えないのであれば、周囲はその考えを尊重したいものです。

ライター

主なテーマは「保護者と学校の関係(PTA等)」と「いろんな形の家族」。著書は『さよなら、理不尽PTA!』『ルポ 定形外家族』『PTAをけっこうラクにたのしくする本』『オトナ婚です、わたしたち』ほか。共著は『子どもの人権をまもるために』など。ひとり親。定形外かぞく(家族のダイバーシティ)代表。ohj@ニフティドットコム

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