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バレンタインデーの夜、夫は逝った…時速160キロ追突死亡事故から1年、裁判は今

柳原三佳ノンフィクション作家・ジャーナリスト
超高速の車に追突され死亡した一匡さん。遺影の前には愛用の眼鏡が(遺族提供)

■「これから帰るよ」最後のメッセージを残して……

 事故当日、警察官から知らせを受けて駆けつけた病院で、なかなか主人に会わせてもらうことができませんでした。その時、まさか亡くなっていると知らない私は、『頑張って治療を受けているのだろう』と主人のことを思い、苦しい胸を押さえてずっと待っていました。
 そのあとやっと会えた主人は、すでに冷たくなっていて、私は先生が何を言っているのか理解できずに、出血が止まらない耳のガーゼを何度も何度も取り替えていました。

 これは1年前のバレンタインデーの夜、突然起こった出来事を、被害者の妻である佐々木多恵子さん(59)が『陳述書』としてしたためた一文です。

 文面はこう続きます。

 主人は救急車に運ばれる時には、すでに心肺停止状態だったと後から聞きました。私が病院に着いた時には、すでに亡くなっていたのです。
 死因は「多発性外傷」となっていますが、全て検案するといくつの死因が出たのだろうかと思える程、外傷は酷いものでした。

 この日、仕事を終えた夫の佐々木一匡さん(当時63)は、いつものように「これから帰るよ」と、多恵子さんに電話をしてきたといいます。

 しかし、そのメッセージを最後に、一匡さんは二度と自宅へ帰ることができなくなってしまったのです。

 事故発生から1年という月日が流れました。本件は、昨年4月に第一回公判が開かれてから、一度も裁判が開かれていません。

 訴因変更は行われるのか、じっとその判断を待ち続けるというのは、遺族にとっていったいどんな時間なのでしょうか。

 これまでの経緯をあらためて振り返っておきたいと思います。

多恵子さんらが作成したチラシ(遺族提供)
多恵子さんらが作成したチラシ(遺族提供)

■一般道で時速160キロが、なぜ過失なのか

 事故は、2023年2月14日、午後9時35分ごろ、宇都宮市下栗町の新4号国道で発生しました。

 乗用車(トヨタ・クラウン)を運転していたアルバイト・石田颯汰被告(当時20)が、前を走っていた佐々木一匡さんのスクーターに追突。一匡さんは多発外傷と胸部大動脈損傷を負い、およそ1時間後に死亡が確認されました。

 石田被告は当初、過失運転致傷の疑いで現行犯逮捕されましたが、一匡さんが亡くなったことから、罪名は過失運転致死に切り替えられます。そして、事故発生から1カ月もたたない3月7日、死亡事故としては異例の早さで公判請求され、4月24日には、第1回の刑事裁判が開かれたのです。

 しかし、多恵子さんは、被告が「過失運転致死」で起訴されたことに、どうしても納得できませんでした。実は、防犯カメラの映像等から、乗用車の速度は、時速約160キロ出ていたことがわかっていたからです。

 現場の国道の制限度時速60キロ。つまり、加害者は法定速度を100キロもオーバーして走行していたことになります。

 衝突時の衝撃の大きさは、一匡さんが乗っていたスクーターの損傷の酷さを見れば一目瞭然でしょう。

 以下は、事故から3カ月後、多恵子さんが自ら警察署へ出向き、撮影した事故車の写真と、本件について報じた記事です。

時速160キロの乗用車に追突され、大破した一匡さんのスクーター(遺族提供)
時速160キロの乗用車に追突され、大破した一匡さんのスクーター(遺族提供)

<リヤショックはちぎれ、ホイールも砕けて… 超高速の無謀追突で夫が死亡。なぜこの事故が「過失」なのか - エキスパート - Yahoo!ニュース>

■訴因変更を求め、検察庁に『要望書』提出

「制限時速60キロの一般道にもかかわらず、時速100キロものスピードオーバーをして起こした死亡事故が、なぜ『危険運転』ではなく、『過失』で処理されるのか……」

 事故状況を知り、実際に事故車を目にした多恵子さんは、改めて怒りが込み上げてきたと言います。

 そこで、2023年5月19日、弁護士と共に宇都宮地検を訪れ、

『被告人についての訴因として、危険運転致死が相当であり、宇都宮地方裁判所宛に訴因変更を申請されたく、本書をもって意見する』

 と記した「意見書」を提出。

 書面を受け取った検察は、「検討の上、早めに返事をしたい」と答え、6月28日には、栃木県警に補充捜査の指示を出し、現場の一部区間を通行止めにして、異例ともいえる再実況見分を行ったのです。

2023年6月、事故現場を一時通行止めにして行われた再実況見分(遺族提供)
2023年6月、事故現場を一時通行止めにして行われた再実況見分(遺族提供)

 また、多恵子さんは再実況見分の2日前、弁護士と共に、集まった5万5000筆以上の署名を携えて、より罪の重い「危険運転致死罪」への訴因変更等を求める「要望書」を、宇都宮地検のほか、東京高検、最高検の検事総長宛てに提出しています。 

 18ページにもおよぶその『要望書』には、本件事故の状況とその悪質性が具体的に綴られ、検察庁への要望が以下のように記されていました。

<検察庁への要望書より>
 本件事故を起こした被告人の運転行為は、他の車両が通常に走行している一般道において、2台のバイクとともに時速100キロメートルから130キロメートルで共同危険行為を繰り返しながら走行し、他の車両と衝突しそうになりながらも、さらに暴走を続け、最終的には、時速約161ないし162キロメートルという、ありえない高速度で走行するという危険極まりないものであり、その結果として、全く落ち度のない被害者に追突をして死亡させているものです。
 このような極めて悪質かつ危険な運転行為について、単純に前方左右注視義務違反だけで立件するのは、あまりに実態とかけ離れています。このような訴因の設定の仕方では、検察に対する国民の信頼が失われること必定です。 ついては、改めて再捜査を尽くした上で、訴因の変更と追加をして頂きたく、強く要望します。

■危険運転致死傷罪の適切な運用を願って

 昨年、多恵子さんは大分の時速194キロ死亡事故の遺族ともつながり、共同代表として「高速暴走・危険運転被害者の会」を立ち上げました。また、今もオンライン署名等の活動を通して、危険運転での起訴を訴え続けています。

オンライン署名 · 一般道で時速160キロ運転は「過失」でしょうか?  1.危険運転致死罪への起訴の変更を求めます! 2.集団暴走行為での起訴の追加を求めます! · Change.org

 多恵子さんは語ります。

「1年前のあの日、主人は意識を失いながら何を考えていたのだろう。最後に何を言いたかったのだろう、どんな思いで亡くなったのだろうかと考えると、本当に辛くて仕方ありません。でも、私たち家族は、同じように苦しんでいるご遺族がいることを知りました。検察の判断を待つ今は複雑な思いがありますが、司法に危険運転致死傷罪の適切な運用を願いたく、また全ての交通事故に適切な運用がされることを心から願い、活動を続けてまいります。多くの方にご賛同いただきますよう、お願い申し上げます」

ノンフィクション作家・ジャーナリスト

交通事故、冤罪、死因究明制度等をテーマに執筆。著書に「真冬の虹 コロナ禍の交通事故被害者たち」「開成をつくった男、佐野鼎」「コレラを防いだ男 関寛斉」「私は虐待していない 検証 揺さぶられっ子症候群」「コレラを防いだ男 関寛斎」「自動車保険の落とし穴」「柴犬マイちゃんへの手紙」「泥だらけのカルテ」「焼かれる前に語れ」「家族のもとへ、あなたを帰す」「交通事故被害者は二度泣かされる」「遺品 あなたを失った代わりに」「死因究明」「裁判官を信じるな」など多数。「巻子の言霊~愛と命を紡いだある夫婦の物語」はNHKで、「示談交渉人裏ファイル」はTBSでドラマ化。書道師範。趣味が高じて自宅に古民家を移築。

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