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ソニー芸人と「Beach V」とハリウッドザコシショウ

てれびのスキマライター。テレビっ子
SMA NEET Project公式HPより

5月20日に放送された『アメトーーク』(テレビ朝日)では「ソニー芸人」と題してSMA(ソニー・ミュージックアーティスツ)所属の芸人たちが特集されたり、『そろそろ にちようチャップリン』(テレビ東京)でも3週(5月22日、29日、6月5日)にわたり「SMAvs浅井企画 事務所対抗ネタバトル」が放送されたりと、注目を浴びているSMA。

かつては、所属芸人からも、どこの事務所でも通用しなかった芸人たちが最後にたどり着く「芸人の墓場」などと自嘲気味に語られることが多かったが、現在は『キングオブコント』王者のバイきんぐ、『R-1ぐらんぷり(現・グランプリ)』王者のハリウッドザコシショウ、アキラ100%といった大型賞レース番組王者に加え、『M-1』ファイナリストである錦鯉、『キングオブコント』ファイナリストのだーりんず、ロビンフット、『R-1』ファイナリストのキャプテン渡辺、AMEMIYA、マツモトクラブ、SAKURAIら実力者ひしめくお笑い事務所に成長した。

この他にも今年の『おもしろ荘』(日本テレビ)で注目を浴びた野田ちゃんややす子、『有田ジェネレーション』(TBS)で人気だった桐野安生やTOKYO COOL、「マヂカルラブリーやアルコ&ピースの“師匠”」と知られるモダンタイムスなどが揃う超個性派集団だ。

寄せ集め集団

そんなSMAお笑い部門「SMA NEET Project」を立ち上げたのは、以前、ワタナベエンターテインメントでホンジャマカやTIM、ふかわりょうなどを担当していた平井精一。1998年にSMAに入社すると、入社当初は音楽の宣伝周り、主にテレビ局を担当していたが、2002年に、俳優や文化人が所属していたSMS(ソニー・ミュージックスターズ)を吸収合併して総合プロダクションになったことがきっかけとなり、2004年12月、当時の部長と2人だけで「秘密裏」にお笑い部門を立ち上げた。多くの所属芸人が他事務所からの移籍組だが、立ち上げた平井自身も移籍組だというのが面白い。

お笑い事務所としては、完全に後発。だから他の事務所と同じことをやっては勝てないのは自明だった。この頃の東京のお笑い事務所の多くは「少数精鋭」だった。平井はこれを反面教師として「来る者は拒まず」という方針を打ち立てた。

平井「いろんなタイプの芸人がひしめいている百貨店を作り、とにかく分母を増やす。そこで良い芸人を売っていこうと。都合が良いことに、ほかが少数精鋭なので、そこからあぶれたフリーの芸人はたくさんいる。みんな定職もなくフラフラしてるわけです。だったら、そいつらを集めてしまえと」(「Cocotame」2020年2月13日

だから所属する際にネタの良し悪しは問わない。

平井「時代ってクルクル回っているんで、ポップな芸人が求められる時代もあれば、クセの強い芸人が喜ばれる時代もある。だから、いろんな時代に対応するにはいろんな芸人がいたほうがいい。専門店よりも百貨店の発想です。なので、うちの面接は最低限の受け答えができれば合格です。

結局のところお笑いって、最後は好き嫌いじゃないですか。でも僕の好き嫌いで選ぶのはちょっと違うんじゃないかと思っていて。だからネタでは判断しないんです」(「週プレNews」2021年5月3日

年齢制限もなく(現在は40歳以下)、面接に行くだけで所属することができる。そんな噂がフリーでくすぶる芸人たちに広がり、初めてSMA芸人でライブを打った2005年4月の段階でなんと49組もの芸人たちが集まった。

そんな草創期のSMAの中で大きな存在のひとりだったのは、元「フォークダンスDE成子坂」の故・村田渚。若い頃から注目され、爆笑問題やくりぃむしちゅーらを始めとして芸人仲間から「天才」と称された芸人だ。村田はフォークダンスDE成子坂解散後、しばらくピンとして活動していたが、松丘慎吾と「鼻エンジン」を結成し、SMAに移籍した。現在はアルコ&ピースとして活躍する平子祐希も、「村田渚さんもいたから」(『kodomoe』2021年4月号)というのが後押しとなってSMAに加入したと語っているが(2010年、太田プロに移籍)、平子のように考えた芸人は少なくないだろう。

常設劇場での「蠱毒」

すると2005年、SMA所属後わずか5ヶ月でコウメ太夫(当時・小梅太夫)が『エンタの神様』(日本テレビ)に初出演しブレイクを果たす。

これによりすぐに着手したのが、常設劇場の立ち上げだ。2007年、千川駅近くに作られたその劇場は「Beach V(びーちぶ)」と名付けられた。2006年に急逝した村田渚の意思を継ぐため、「渚」=Beach、「村」=V(VILLAGE)から採ったものだ。当時、常設の劇場を持ったお笑い事務所は吉本とSMAだけ。

都心とは離れたところにあるキャパ数十人の小さな劇場。平井は最初から、ライブで採算をとるような「興行目的」で作ったわけではないという。

平井「どんな芸人でもとにかく数多く舞台に立たせて、ガッツリ育てるのがうちの育成方針。へたに一等地に大きい劇場をつくると回収するのが大変で、結局、立ち行かなくなりますから」(「週プレNwes」2021年5月4日

3分のネタ2本とトーク力があれば、芸能界で闊歩できるんで、余計なこと考えるな」(『アメトーーク』2021年5月20日)というのが平井の考え方だ。それを鍛えるためにできるだけたくさん舞台に立つ機会を与える。売れていなくても劇場さえ空いていればいつでも単独ライブを打つこともできるという。

渡辺によると平井の戦略は、古代中国の「蠱毒」と呼ばれる、壺の中に毒虫を挿れて戦わせ生き残った1匹を呪術に使う手法と同じだそう。

渡辺「『Beach V』という劇場を使って、おじさんをいっぱい集めてお笑いで競わせて一番最初にできあがったのが、バイきんぐ」(『アメトーーク』2021年5月20日)

バイきんぐは「2カ月に一度新ネタを6本やるライブをやれ」と平井に指示され、苦しみながらもそれを続けた結果、『キングオブコント』で優勝を果たし、ブレイクにつながったのだ。

SMAの定期ライブでは、観客による投票制でランク分けをし、下剋上していくという手法を採った。

平井「キャリアを重ねたフリーの芸人ほどプライドが高いので、そういう人間の鼻を折るには、お客さんの評価が最適なんです。実際にウケないとなると、もっと良いネタを作ろう、となりますから。ライブではとにかく新ネタで勝負してもらう。そのために月3本は絶対にネタを作ってもらってます。新ネタを常に見せられる場があり、ネタ作りのルーティーンがあることで、常におもしろいことにアンテナを張れる芸人になれる。マネジメントする側は何においても、芸人がどういう環境なら良いネタを作れるか? という基本に戻らないとダメだと思うんですね」(「Cocotame」2020年2月13日

「Beach V」の“管理人”

SMAはさらに突飛な方法を試行する。なんと「Beach V」にハリウッドザコシショウを“管理人”として住まわせたのだ。筆者が行ったインタビューでザコシショウはこのように語っている。

ザコシショウ「社員から芸歴があるやつが住んだら、ピシッとするだろうということで常駐して管理人みたいなことをしてくれないかって言われて。吉本やナベプロ時代に同じようなことを言われたら断っていたんじゃないかと思うんですけど、仕事もなかったから環境を変えるためにやってみようと思ったんです」(「現代ビジネス」2020年11月11日

先輩であるザコシショウが常に劇場にいれば、後輩たちはアドバイスを求めやすい。

ザコシショウ「『シショウ、見てくださいよ』と言われるので、ネタを見てそこで何か言うことはありました。でも自分から見せろ、見せろと言って、ああだこうだいうのはしてないですね。それをやると嫌われますから(笑)。

突き詰めると、やりたいことやれよ、ということを言います。やりたくないことやるとつまんないし、ネタに対して体重も乗らない。自分で面白いと思うことを舞台に立って研ぎ澄ましていって、ぼくもこうなりましたから」(「現代ビジネス」2020年11月11日

『あらびき団』(TBS)で「キングオブあらびき」と称され大活躍し、2016年に『R-1』で優勝し大ブレイクを果たしたザコシショウを慕う後輩たちはいつしか「ハリウッド軍団」などと呼ばれるようになった。

彼らに対し、ザコシショウはたびたび熱く的確なアドバイスを送っている。

たとえば、錦鯉。それまでしっかりと台本を作り漫才をしていたが、「長谷川はバカなんだから、バカを全面に押し出せ!」と助言(『しくじり先生』2021年4月5日)。これを受け長谷川が「こんにちはーー!」と大声で叫んで始まるような漫才に変えた頃から、観客に受け入れだし、2020年のブレイクにつながっていった。

『有田ジェネレーション』で不甲斐ない成績だった桐野安生が自分を変えたいと打ち明けると真剣な表情でこう諭した。

「変えたいんだったら一回もう負けてさ、何もかも失えよ! 俺も分かんだよ。『あらびき団』出てて東野さんがうまくイジってくれるから別にスベっててもウケてるように見えるだよね、オンエアでは。お前それだよ、今。有田さんがいなかったらまったく何もウケねえヤツだよ。俺も一回『あらびき団』終わってから色々考えたわけよ。東野さんと藤井くんがツッコまなくても成立する芸を俺は自分で探して作ったわけよ。そういうことしないとお前はムリだと思うで。甘くねぇんだよ、そんなにお笑いってよ」

自分も他も認める面白いものがテレビでできればそれでもうOKよ。芸人なんて」(『有田ジェネレーション』2020年11月2日)

後輩たちには「ギリギリ食えないラインでずっといてほしい」と冗談交じりに笑う一方で、「たとえば一緒の仕事して一緒に飲みに行く。(後輩は)ベロベロになって家帰って1秒で寝るから。でも俺は家帰って動画撮って編集する。そこに差ができてるね」と、毎日欠かさず動画をアップしている自分自身と後輩の違いを例にあげ説得力あふれる言葉を贈る。

「芸人を始めて1年で売れる人もいる。10年で売れる人もいる。俺みたいに24年で売れる人もいる。売れるタイミングなんてその人の持ってるもの。だから絶対あるんだよ、この先も、売れるタイミングは。諦めたらそこで終わっちゃう。諦めないのも才能だからね」(『やすとものいたって真剣です』2021年1月21日)

地獄のような日々を送り24年もの長い時間をかけてブレイクしたザコシショウの背中を追って、SMAの後輩たちは現実的な目標を持つことができるのだ。

そんなザコシショウはSMAの仲間たちについてこう語っている。

「各事務所で失敗してもう一回頑張ろうという芸人が集まってきているから、ハングリー精神がある。だから、ソニーの芸人がぼくは好きですね。なんでソニーを辞めないかといったら、仲間がいるからというのが一番かもしれないです」(「現代ビジネス」2020年11月11日

ライター。テレビっ子

現在『水道橋博士のメルマ旬報』『日刊サイゾー』『週刊SPA!』『日刊ゲンダイ』などにテレビに関するコラムを連載中。著書に戸部田誠名義で『タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?』(イースト・プレス)、『有吉弘行のツイッターのフォロワーはなぜ300万人もいるのか 絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』、『コントに捧げた内村光良の怒り 続・絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』(コア新書)、『1989年のテレビっ子』(双葉社)、『笑福亭鶴瓶論』(新潮社)など。共著で『大人のSMAP論』がある。

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