国立大学の文系見直しとは何なのか
先週来、「役に立たない文系学部が潰される」というニュースが大きな話題となっている。
報道
この通知をめぐって、様々な意見が飛び交っている。
社説
その他
- 文部科学省「人文学とか役に立たないんだから、その学部いらないっしょ」
- 国立大学の文系縮小策「無批判な国民性生む危険あり」と識者
- 国立大文系学部の学生定員は、「半分ぐらいなら残してもいい」とか言われたという噂
- 経済観測:役立たぬ「学術教養ごっこ」=経営共創基盤CEO・冨山和彦
- 日本に文系学部が必要か?
- 和田秀樹:エリートを育成するため大学はどう変わるべきか
- 人文学/人間性の危機とイノベーションの神学
- 人文学への「社会的要請」とはどんなものでありうるか?
- 国立大学協会 総会で国の方針に懸念相次ぐ
まさに侃々諤々という感じだが、そもそもの通知とはどのようなものなのだろう。もとの文章をあたってみた。
これは文科省国立大学法人評価委員会の議論を元に出された通知だ。議論の過程はこちらから読める。
私自身まだ議論そのものの経過を読んでいないが(議論の一部は春日匠氏のブログ参照→「国立大学人文社会科学系「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換」という話」)、通知からいくつか引用したい。
この通知は、国立大学法人の第3期中期目標を策定する時期にあたって、
したものだ。見直し内容は多岐にわたる。
話題になっている「文系学部廃止」は3ページに出てくる。
確かに教員養成系学部や人文社会科学系学部の廃止や、「社会的要請の高い分野への転換」を求めている。これが「文系なんて役に立たないから、役に立つ学部に転換しろよこのヤロー」と文科省が言った、という根拠だ。
とはいえ、2ページでは
としており、最初の文章も「積極的に取り組むよう努めることとする」と、やや弱い表現をつかっており、さすがに「文系」即「廃止」ではないとは思う。通知のほかの部分には、研究不正への対応や若手研究者の問題なども取り上げられており、ここだけ取り上げて極論を言うのは、先走り過ぎというものだろう。
しかし、予算配分権を握る政府、文科省からこうした通知が出てきたことの重みはやはりある。国立大学が法人化してはや11年たつが、文科省の要求は厳しさを増す印象がある。
様々な意見を見ると、論点が様々だ。
人文社会科学系の教育に役立つものがなかった、という意見、人文社会科学系の研究のレベルが低いのではないか(いや、そうではない)という意見、人文社会科学系の知識や教養が社会に必要とされていないわけではない、役に立つとはそもそも何なのか、という意見などだ。
こうした論点は整理しないといけない。
現在の大学の学部レベルでの教育に様々な人たちから不満があるのは周知の事実で、「飯を食っていく」知識や考え方を教えろ、という要求はよく分かる。とはいえ、学部レベルの知識など数年で陳腐化してしまうので、どうやって「飯を食っていく」知識を教えるのかは難しい問題だ。また、「飯を食って」いけなければ「役立たない」というわけではない。
「反知性主義」が問題となるなか、教養教育の重要性は増していると思われる。とはいえ、それは国立大学法人だけで行うべきことか、という問題がある。日本の大学の7割は私立大学だからだ。
研究レベルの問題は難しい問題だ。人文社会科学系に「インパクト・ファクター」のような客観的指標はない。何をもってレベルをはかるのかは簡単ではない。だから、理工系と比べるな、というのは分かる。しかし、非常勤講師が悲惨な状況に置かれたままで、論文がまったくでていない教授がいる、といった話はあるので、フェアな評価や若手の抜擢などの組織改革は必要だ(けれど、人文社会科学系を廃するとは違う論点ではある)。
いずれも重要な論点で、考えていかないといけない。通知イコール「文系廃止」と脊髄反射するのではなく…