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長崎に原爆投下 竜巻博士・藤田哲也は被害調査の中で、ダウンバーストの概念を得る

饒村曜気象予報士
【太平洋戦争】原子爆弾投下 長崎(1945年8月9日)(写真:ロイター/アフロ)

昭和61年12月にシカゴ大学の藤田哲也教授が気象庁で「アメリカのマイクロバーストと激しい竜巻(MIST)計画」という題名で講演を行っています。

藤田スケールで有名な竜巻博士の講演です。

講演会のあと、日本気象学会の機関紙「天気」の編集委員の一人として、藤田教授からお話をお聞きしています。その時の話です。

ダウンバーストのアイデアは長崎原爆調査

いろいろお話を聞きするうち、ダウンバーストの概念を思いついたのは、長崎の原爆調査の時という話をされました。

図1 長崎で原爆が爆発した高さの推定
図1 長崎で原爆が爆発した高さの推定
図2 ダウンバーストのアイデアとなった原爆の爆風被害
図2 ダウンバーストのアイデアとなった原爆の爆風被害

ダウンバーストの概念については1945年8月の長崎に遡ります。当時は、明治専門学校で教えていましたが、終戦直後、原爆の爆発した高さを調べに学生を連れて長崎へ行きました。墓地にある竹の花入れに残っていた閃光による影を調べて原爆の高さを520メートルと推定しました。気圧センサーを用いて爆発させたと思いました。そのとき爆発直下点から約45度以内では電車の架線柱が倒れていないことに気がつき、ダウンバーストのアイデアが浮かびました。

出典:高瀬邦夫(1988)、エネルギッシュチャレンジャー藤田哲也、日本気象学会の機関紙「天気」より。

図3 竜巻とダウンバースト
図3 竜巻とダウンバースト

竜巻とダウンバースト

急激に吹く強い風を突風といい、突風の原因の主なものは、竜巻とダウンバーストです(図3)。  

竜巻は、雷発生や台風・爆弾低気圧通過等に伴う発達した積乱雲が原因で発生する鉛直軸を持つ激しい渦巻きです。竜巻は積乱雲の雲底がロート状となり、ロート雲と呼ばれる雲(柱状の雲)が次第にたれ下がってきて、地上へとつながることで発生します。竜巻の中心の気圧は周囲よりかなり低いため、地面付近で風は竜巻に向かって強く吹き込み、回転しながらロート雲の中を巻き上がっていきます。そのため地上では突風が吹き、物が巻き上げます。

ダウンバーストは積乱雲から発生する、冷えて重くなった空気による強い下降気流のことです。航空機が地面付近でダウンバーストに遭遇すると、地面にたたきつけられて大事故となる危険な現象です。ダウンバーストが地面に到達後、強い風が周囲に吹きだし、突風をもたらします。

竜巻とダウンバーストは、上昇流か下降流かという大きな違いがありますが、ともに、発達した積乱雲から生じます。藤田哲也博士は、世界で初めてダウンバーストを研究し、ダウンバーストの世界的な権威であると同時に、竜巻の世界的権威です。

発達した積乱雲から竜巻が発生するのか、ダウンバーストが発生するのかを事前に予測することは困難です。このため、気象庁では、突風被害が発生すると、現地に担当者を派遣し、竜巻による突風であったものか、ダウンバーストによる竜巻であったものかの判断し、データベースを作っています。 

私は1年の仕事を1ヶ月で行うための方策を11ヶ月考える

気象庁での講演では、「人は1年でやる研究があると、計画をたてて1年で研究をするが、私は1年でやる研究を1ヶ月でできないかと11ヶ月考え、のこりの1ヶ月で研究する。その研究については同じ結果だが、次に研究をするときに違ってくる。私は1年の研究を1ヶ月で行う方法を知っているので、次の研究は、ほかの人の10倍できる。」という話でした。

これに関連して、藤田博士は、「小学生の頃、大分県耶馬溪の「青の洞門」の話を聞いたとき、20年をかけて穴を掘った人は本当に立派な人と思いましたが、自分だったらそんな努力をしないで、まず最初の10年で穴を掘る機会を発明し、その後2倍のスピードで穴を掘る方が有効だと思いました。後に「穴」と「道具」が残るからです。」と話されていました。

研究を始める前に「道具」を作り、「研究成果」と「道具」の2つが残ることを意識して研究を積み重ねていったことが、竜巻の強さを表す「藤田スケール」を作るなどの業績につながっていると感じました。

ただ、凡人にはなかなか真似ができない方法です。11ヶ月かかっても、1年でやる研究を1が月で行う方法がみつからない場合がほとんどだと思います。その場合は、コツコツやっておけば良かったという深い反省だけが残ります。

Chances for success(成功へのチャンス)の国

藤田哲也博士がシカゴ大学に招かれ、渡米したのが昭和28年ですが、この頃のアメリカは豊かな資金をもとに世界各国から優秀な人材を集めています。

そして、チャンスを与えています。

その結果、強くて豊かな国になっています。

今の日本で、当時のアメリカのように、国内や世界各国から優秀な人材を集めてチャンスを与えているでしょうか。藤田哲也博士の日本に対する問題提起だと思います。

アメリカは自由のある国“Chances for success”の国だと思います。若者の夢の芽が大事に育てられるところです。若き日の私にChancesを与えてくれたアメリカのシステムに感謝しています。

私が日本にいた場合、今の「FUJITA」になっただろうか?

新しいことをやりたいという若い人を日本の研究社会が認めてくれていたかどうか?

これは日本の気象界・学会に対する質問で私にはわかりません。

出典:高瀬邦夫(1988)、エネルギッシュチャレンジャー藤田哲也、日本気象学会の機関紙「天気」より。

どんなことがあっても、原爆という非人道的な行為は肯定できませんが、藤田哲也という天才によってダウンバーストの研究に結びつき、航空機事故を防ぐことで多くの人命が救われたという事実があります。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2024年9月新刊『防災気象情報等で使われる100の用語』(近代消防社)という本を出版しました。

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