映画『はじまりの街』に見るDV被害と再生の物語
人が住む場所を変えるというのは人生の大きな転機である。
リスクも多い。
特に、自ら望んだわけではなく、DV被害に遭ったシングルマザーが、子どもとともに暴力をふるう夫から逃げていく場合にはたくさんの困難がある。
シングルマザーの支援をしていると、離婚前後の時期の不安定な時期を乗り越えることがどれだけ大変かといつも感じる。
母親は、夫からの暴力の傷も癒えないまま、新しい住まいを探し、生きていくために仕事を探し、新しい環境の中で生きていかねばならない。
子どもたちは、地域も変わり、親しい友だちと別れ、新しい学校や環境に馴染んでいくのは時間がかかる。
時には孤立してしまうこともある。
先日、DV被害者を支援する団体の大きなシンポジウムがあった。
そこで感じたのは、配偶者暴力防止法ができて16年が経過しているが、「逃げる」ことへの支援が少しずつあっても、その後の「生きる」こと、子どもたちをはぐくみ育てることの環境整備はまだまだ不足しているということだ。
DVを受けたときに、せめて、同じ家に住み続けられる制度があったら、と思うこともある。
イタリア=フランス映画「はじまりの街」は、イタリアを舞台にしたDVを契機に新しい街に来た母子と街の物語だ。
夫のDVから逃れ、アンナは13歳の息子ヴァレリオを連れて列車に乗る。ローマから友人のいるトリノに向かい、新しい暮らしをスタートさせていく。
アンナはDV被害者のための保護機関などを使わない。友だちを頼ってトリノにやってくる。その友人も必死に生きている。
イタリアのDV被害者の支援について詳しくはないが、日本では配偶者暴力防止センターがあり、警察にDVを訴えることはできる。決して十分ではないが、20年前よりは「夫婦喧嘩に警察は介入しない」という状況は少し変わってきていると思う。困難もあるが保護命令を裁判所に申請してもらうこともできる。
映画で見る限り、イタリアの状況も厳しい。
いずれにせよ、アンナは、公的機関には相談しなかったようで、自力で友だちを頼り、家に住まわせてもらいながら、仕事探しをする。
中年になった女性たちの働く場が少ないのは、日本も同じだ。
その間、息子のヴァレリオは孤独だ。
ローマでは、家があり、サッカーに打ち込み、友だちがいた。
ひとりでボールを蹴るヴァレリオ。
誰も一緒に蹴ってはくれない。
ママは忙しい。
彼は自転車に乗って、公園をさまよう。
大人が禁止して近づかないかもしれないような人々と交流する。
そして、そういう街の人々とのコミュニケーションが救いにもなっていく。
実は不安で仕方がない母親は息子と一緒にいることでなんとか自分を保とうとしている。
しかし必死に仕事をみつけてきた母親へ反抗する息子。
母へのDVを知りつつ、父親との関係に揺れる。
思春期の息子と母の微妙な関係もそこにはある。
どちらも必死で、そこには余裕がない。
その姿を見ると、今もわたしたちが相談を受けるママたち、子どもたちの姿と重なって胸が詰まる。
いや自分の過去の子育ての姿なのかもしれないので余計なのかも。
やがて、少しずつ、この街で生きていくことに馴染んでいく二人の姿には勇気づけられる。
むずかしいけれど、人間は変わることができるし、また新しい環境に適応していくこともできる。
生き生きと力を発揮することもできる。
マイナスと思われたことがプラスになっていくときもある。
そのことをわたしは信じているし、またそれがむずかしい社会を変えたいとも思っている。
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10月28日(土)より岩波ホールほか全国順次ロードショー