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安田純平さん拘束とジャーナリズムのあり方について改めて議論を呼びかける

篠田博之月刊『創』編集長
11月2日の帰国会見で「お礼とお詫び」を述べた安田純平さん(筆者撮影)

 安田純平さんがシリアでの3年4カ月という長期の拘束から解放されてちょうど2カ月が経った。解放直後は戦場取材のあり方や、いわゆる「自己責任論」をめぐっていろいろな意見が出ていたが、それらはあまり議論として深められることなく、次々発生するニュースによって片隅に追いやられているように見える。

 ジャーナリズムをめぐる大事な議論もこんなふうに深まることなく風化していくのが最近の傾向だが、これで良いわけはない。安田さんの事件をめぐって提起されたいろいろな問題はぜひきちんと議論しておかなければいけないと思う。この間、月刊『創』(つくる)でも、安田さん本人を含めて誌上で議論を続けてきたが、12月26日(水)夜には文京区民センター3階で、戦場取材に関わってきた多くのジャーナリストが集まり、安田さんを含めてオープンな場でシンポジウムを行うことにした。

 シンポの詳細はこの記事の末尾に記すが、もともと『創』は、安田さんが拘束された2015年2月に「後藤健二さんの死を悼み、戦争と報道について考える」というシンポを、今回と同じ文京区民センターで開催、安田さんも登壇して戦場取材について熱く語っていた(『創』2015年4月号に収録)。

 それから4カ月後に安田さんは拘束されてしまったのだが、その安田さん救出のためにジャーナリズムは何ができるのかというシンポジウムも『創』は2016年4月19日に行っている。

 安田さん解放の為に何かできることはないかと考えて開催したのだが、この時は、こういうシンポをやって救出を訴えること自体、身代金を引き上げようとしている犯人側を利することになる、という意見まであって、議論は錯綜したままに終わった(その中身は『創』2016年7月号「安田純平さん拘束事件と戦場取材について考える」に収録)。

11月2日会見での安田純平さん(筆者撮影)
11月2日会見での安田純平さん(筆者撮影)

 今回26日のシンポは、それらを受けたものになるわけだが、ここではそれに先立って『創』1月号に掲載した座談会の前半を紹介しよう。実は、この記事の冒頭に掲げた写真のように、安田さんは11月2日に日本記者クラブで行われた最初の会見で、冒頭に「謝罪とお礼」を行った。それに対して、海外のメディアから、ジャーナリストが解放されたのに謝罪するという日本のあり方はおかしいのではないかという批判が寄せられた。

 この批判はなかなか本質的で大事な問題を含んでいるのだが、さて当の安田さんはどういう思いで、会見の冒頭の謝罪を行ったのか。それを11月22日、これまで戦場取材などで安田さんと交流してきたジャーナリストが集まって議論したのが『創』1月号の座談会だ。

カラオケ店で安田純平さんを囲んで(筆者撮影)
カラオケ店で安田純平さんを囲んで(筆者撮影)

 この日は、安田さんの生還祝いを兼ねて、ジャーナリストに集まってもらい、日本料理屋の個室を予約しておいたのだが、何と、実際に店に行ってみると個室ではなく、隣の席でにぎやかな人たちが飲んでいるという状況で、これはだめだと慌てて別の場所を探したのだった。でも連休前の夜とあってどこもあいておらず、やむなく駅前のカラオケに入るというトホホな状況に陥ったのだった。

 写真がその座談会を始める前のシーンだ。この後、料理を運んでもらい、議論が行われたのだが、何しろ集まったメンバーが、戦場取材の第一人者ばかりだったから、時間延長までしてかなり細部にわたる熱い話が行われた。全文は『創』を読んでもらうことにして、ここではその一部、といっても恐らく一般の方々にとって興味のある、帰国会見で安田さんがどんな思いで「謝罪」を行ったのかという前半の話を全文公開しよう。

 ちなみに安田さんはもちろん持ち前の精神力で意気軒昂ではあったのだが、記者会見の時と違ってこの日は間近で見たのだが、あまりに痩せていたのに驚いた。やはり3年4カ月の拘束は、身体的に様々な影響を及ぼしていたわけだ。

 ではそのカラオケ店での議論の前半をお伝えしよう。参加者は、原田浩司(共同通信編集委員)、綿井健陽(ジャーナリスト/監督)、川上泰徳(中東ジャーナリスト)と安田さん本人だ。26日のシンポは、これに金平茂紀(TVジャーナリスト)、野中章弘(アジアプレス代表)、南彰(新聞労連委員長)ら、さらにメンバーが加わって行われる。

会見の「謝罪とお礼」をめぐる議論

篠田 安田さんが11月2日、日本記者クラブで帰国後初の会見を行った時、冒頭で頭を下げて「謝罪とお礼」を言った。それが後日、外国特派員協会の会見で、なぜ謝罪したのかと議論になりました。ジャーナリストが生還したのに謝罪を求めるような日本のあり方に対する批判だと思いますが、それについて、安田さんを含めて議論したいと思います。

原田 お詫びの前に一瞬、詰まってたよね。あれはやはりためらったのかなって思ったけど。

安田 単に詰まっただけです(笑)。

篠田 どう対応するかはいろいろ考えたんですよね。

安田 謝罪はしたほうがいいんじゃないかというのは、弁護士とかいろいろな人と考えました。

原田 僕は、頭を下げて謝意を示せば謝らなくていいんじゃないかって記者会見の前の日に囁いたけどね。

安田 「申し訳ないと思っています」と言ってから「深く感謝します」。そこで頭を下げたんです。

原田 謝罪というのは入れようと?

安田 外務省には、妻が面倒を見てもらったと思っているのでお礼を言いました。それを人前で言わなきゃいけないのかどうかというのは考えましたが。そもそも解放されてトルコの入管施設で外務省の職員に最初に会った時点で、お礼などはもう全部言ってあったわけです。

原田 僕は沖縄辺野古の抗議船の上で会見のスマホ中継を見ていたんですが、うわっと驚いた。悩んだんだろうなって。

安田 うーん、冒頭で突っ張った場合、その後、どんなに事実関係を説明しても、誰も聞いてはくれないと予想されたので、意地張ってもしょうがないなと。

原田 結果的にうまく収まった感がありますね。もし最初にいきなり経過説明から入っていたら、ネットは燃え上がっていただろうからね。おいおいおいって。

篠田 会見の前に発売された『週刊新潮』が、安田さんが機内で政府批判をしたと非難めいた記事を書いていたでしょう。火がつき始めていたかもしれない。

安田 あれは政府批判じゃなくて、拘束した奴らに対する批判なんですけどね。荷物を奪いやがって、という。あそこで荷物を取られていなければ、シリアへ入って奴らが何者なのか取材して帰ってくるつもりだったので、頭に来たんですよ。

 そもそも日本政府が何かするとかしないとかなんて考えてもいなかった。何もできないに決まっているので。それに対して文句もないし、批判するつもりもなかったんです。

篠田 2004年の高遠菜穂子さんらの人質事件の時のバッシングがすごかったから、一応気にしていたんですか? 

安田 それはそうですね。

篠田 帰国後、会見まで何日もかかったのは、そういうことを考えていたから?

安田 会見まで時間がかかったのは、単純に検査入院してたからです。家族の意向だったのでしかたがないかなと。

 帰国する段階で、検査入院をさせるとうちの家族は決めていて、病院を探していたんです。私は3年以上日本にいなかったので状況もよくわからなかったから、あれはあれで良かったかなと。

 本当は会見の段階で、もうちょっと詳しい話をしたいなと思って、ネットなどでいろいろ調べていたんですけど、結局、あんまり探りきれなかった。

安田さん会見に集まった報道陣(筆者撮影)
安田さん会見に集まった報道陣(筆者撮影)

篠田 日本の世論がどうなんだろうとか、そのへんは調べてみました?

安田 もうどうしようもないじゃないですか。拘束中にどういう報道があったのかは調べました。それが実際の状況とどれだけ合っていたかとか。

篠田 驚いたのは、日本記者クラブでの会見が約3時間に及んだこと。経過を詳細に言おうと思っていたわけですか?

安田 最初、1時間くらいという話だったんですが、気づいたら2時間経っていた。横に座っていたテレビ朝日解説委員の川村晃司さんが、まだ民家の話をしている段階で、もうまとめて、とメモをよこして、まだここなのに…と思いました。

原田 テレビ局の人とか途中で、早く質問に行かないかな、みたいな空気になっていたような(笑)。

篠田 安田さんとしては、ここで最初に全部言っちゃおうと思ったわけですか。

安田 記者というのは生の情報が欲しいわけじゃないですか。だからあの会見の話は一般の人向けのしゃべりじゃないんです。記者会見ですから。記者に対して、こちらはなるべく手を加えないで生のまま出すので、あとはお好きにどうぞと言うしかないですから。

篠田 でも詳しい説明を最初にしてしまったのは良かったかもしれない。そうしないとその後の単独取材で、各社同じことを訊いてくるでしょう。

安田 その日のテレビ出演ではずっと同様の質問でした。

綿井 あの会見の時は、一瞬も笑顔を見せずに話してましたよね。

安田 表情を崩したりすると、絶対そのシーンを使われるので。会見の時もちょっと動くだけでバシャバシャバシャと。

「また紛争地に行くのか?」という質問

綿井 会見の後の質疑応答で、「また紛争地に取材に行かれるんですか?」という質問が出た時ですが、あれは答え方が難しいだろうなと思いました。

安田 「わかりません」と言うしかないですよね。今までだって取材に行くなんて事前に言ったことないので。

綿井 あそこで、もし「また行きたいと思います」と言ったら、ドカーンと炎上して、えらいことになったでしょうから、ああ良かったと思いました。

篠田 安田さんは前にも拘束された経験があって、その経験が生きてますよね。

安田 それはそうですね。

川上 ただ前のイラクの時は、拘束されたけれど人質じゃなかった。今回は人質。

 私や綿井さんや土井敏邦さん、石丸次郎さんらとつくっている「危険地報道を考えるジャーナリストの会」では、安田さんの解放についてのアピールを出してきました。そうしないと、そもそもみんな安田さんのことを忘れてしまう。

 でも一方ではアピールなど出すべきではないという意見もありました。そのあたりは安田さんはどう思いましたか? 中に入っていて、どういう外の働きかけを求めていたのか聞きたいところです。

安田 2015年7月の半ば頃に通訳から、「知り合いから問い合わせが来た」と。「カイロにいる日テレ通信員のアラブ人が、日本人が捕まっていないかということをあちこちに照会していて、自分のところにも来た」と言っていました。その時はうれしかったですよ。探してくれているんだなとわかったから。

川上 2016年5月に「これが最後のチャンスです」という画像が出て、それから丸2年くらいほとんど何もなくて、新しい映像が出たのは今年の7月でした。その間、一切何もないけれど、中にいて、自分のことが忘れられているんじゃないかと気になりました?

安田 いや世間的に忘れられているかというのは気にしないですね。騒がれるのは面倒なので。実際のところは報道されないほうがうれしいです。

原田 僕もそうだろうと思ってたけれど、その読みは正しかったんですね。

安田 全く報道されないで、いつの間にか帰ってきたという方がありがたいんです。騒ぎになるのは面倒なだけなので、知っている人だけ知っているという話で済んでいれば、その方がいいんです。

自力で脱出するチャンスも窺っていた

原田 自力で脱出できるようなチャンスというのは探していた?

安田 そうですね。看守がひとりしかいない時に勝負かけられなかったのを今でも悔やんでいます。たぶん失敗してもボコボコにはされても、殺されはしなかっただろうと思うんです。

綿井 周りで脱走しようとした人はいましたか?

安田 でかい施設では無理ですね。最初の段階の民家にいた時、どうして勝負できなかったのか、後で考えると残念です。

原田 映像で怖い顔をして「助けてください」とプラカードを持っていたのは、あれはわざとああいう表情をしたの?

安田 最初は笑ったんですよ。そうしたら「笑うな」と言われたんで、じゃあ、しかめ面をしてやろうと。

原田 これは本意じゃないだろうと伝えたいんだろうと思いましたが。

安田 本意でないのは確かです。こんなの恥だからやりたくないと言ったんですが、「強制されているってわかるに決まっているだろう」と奴らに言われました。

原田 「韓国人です」という発言にしても、オレは韓国人だから日本政府に手を出す必要はないと伝えたいから言ったのかと思った。しかもそれでネトウヨさんたちが騒ぎ出す結果になった。

安田 あれは韓国ではなく違う国にすれば良かったですね。韓国人と言えと向こうが言ってきたから韓国にしたんですが。

綿井 ほかにも表に出ていない映像や写真って、いくつかあるわけでしょう?

安田 映像はあります。全部2018年3月末から入れられたウイグルの施設で撮ったものです。

川上 7月の最初に出た映像は前年の10月に撮ったもの? 

安田 あれは、捕まった日付を言っているんですね。本当は名前と日付を言っちゃだめなんです。それをわからずに言っちゃった、という映像です。

川上 10月に撮ったのが7月初めに流れた。それは話が崩れちゃったから出さなかった?

安田 違います。あれはもともと出すために撮っているんじゃなくて、私が日付と名前を言うかどうかをチェックするためのゲームだったと後から気づきました。ああいうのを時々やって、うまくクリアできれば、その後の待遇が楽になるという。そのためのものだったと思います。

 そもそも交渉用の脅迫ビデオで拘束された日付なんてしゃべる必要がないじゃないですか。それを私に言わせた理由がほかに考えられない。この頃になると、看守に対しても自分が何者か言うのは禁じられていました。

 捕まった本当の日付をしゃべったら自分だとわかってしまうので、それを言うかどうか試すために撮ったわけです。それに気づかなかったので本名と実際の日付を話してしまった。あの後、部屋に戻ったら罰として扇風機を消されました。

綿井 最初の映像は2016年3月15日に撮影されたんですけど、翌日は安田さんの誕生日じゃないですか。15日撮影、16日誕生日、17日公開ですけど、このへんは何か関係性はありますか?

安田 偶然15日に撮影に来て、「俺は明日誕生日だ」と言ったら全然知らなくて。

原田 撮影班、何人くらいいた?

安田 撮影は一人だけですね。英語ができる奴が来ました。

綿井 最初の映像の3月の時は、拘束グループに何か動きはありましたか?

安田 奴らはこれでピリオドを打ちたいんだと言っていた。日本からも反応がないし、このまま続けてもしょうがないんで、この映像をもって終わりにしたいと。だから、私はこれで終わるんだと思ってたんです。ところが終わらなくて、その後また写真なんか出して……。

綿井 こういう拘束映像が出た時、政府やメディアはどう対応したらいいと思いますか?「無視して、相手にするな」と言う人と、「ひょっとしたら危ないのかもしれない」と言う人もいた。

安田 あれの前に「無視しろ」という暗号を送っていたし、どちらにしても日本政府は全部無視だと思っていたんで、そういう意味では気楽だったですね。

 そもそも要求金額って、億単位じゃないですか。政府じゃなきゃ払えない額なのですが、日本政府は絶対に払わないですから、どうにもできないと思う。

綿井 こうした映像や写真に政府やメディアが反応すると、身代金が逆に高くなるということはあり得ましたか?

安田 映像や写真が出るのは交渉に至らないか頓挫した場合で、その後に助かった事例はほとんどない。交渉の経過は表に出てこないので分かりませんが、交渉が妥結しなければ金を取れないわけで、そのために高くはならないのでは……。

篠田 今回、結局、向こうが要求してきた要求額は聞いているんですか?

安田 要求額は聞いていないです。金額交渉まで至っていないという話でしたから。金を欲しいという話はしたけど、金額交渉まで進んでいないと思うんです。彼らが日本側だと思っていたのは、ただのブローカーだったりするんで。

 あと、2015年7月の終わりに領事館に連絡を取ったと言っていて、「日本政府から返事が来た」と彼らは言っていたんですが、この時も「日本政府は、お前らは何者なのかというのをいろいろな仕方で聞いてくる。なかなか話が進まない」と言っていた。それが外務省だとしたら、時間稼ぎをしていたと思うんです。後藤健二さんの時は政府は完全に無視したわけじゃないですか。で、拘束3カ月後に処刑された。だから、私の時は時間稼ぎをしているんだなと思っていました。

座談会で語る安田純平さん/筆者撮影
座談会で語る安田純平さん/筆者撮影

拘束グループからの連絡メールは?

綿井 奥様のMyuさんのところには、拘束グループから身代金要求や連絡メールは送られていないんですか。Myuさんのメールアドレスに、何か送られてきた形跡はあるんですか。

安田 16年の1月1日に、ムハンマド・ムーサという人物から来てましたね。「これは仲介人であるアブ・ワエルの代わりに書いている」と。2015年12月7日に個人情報を書かされた紙が画像で添付されていました。

原田 それ以降はどうですか?

安田 妻がメールで、ヌスラ戦線から頼まれてやっているのか、といった質問をしたら、「ヌスラ戦線ではなく、イタリア人やスペイン人の解放を助けたアブ・ワエルの代わりに書いている」と返ってきた。イタリア人やスペイン人というのはヌスラ戦線に人質になっていた人たちですね。

原田 そこに身代金の要求とか書いてなかったですか。

安田 日本政府があまりにも反応が鈍すぎるから、お前に送ったんだといったことが書いてありました。

綿井 それまで日本でずっと言われてたのは、「身代金要求は日本政府にも家族にも直接は来てない」という話だったんですけど、実際はどうなのでしょうか。

川上 「国境なき記者団」はヌスラが捕まえてて身代金を要求しているという話でしたよね。

安田 妻には要求はなかったですが、そのメールには、「トルコの日本大使館に電話をした」と書いてありました。ただ、どのような話をしたのかは分からない。

 ヌスラはたぶん直接はやらなくて、代理人がトルコの大使館とかに働きかけたけど、全然相手にしてもらえなくて、妻にメールをしてきたのだと思います。ほかにも、ブローカーが勝手にやったやり取りもあったようです。

原田 金を要求してるという話ばっかりしてましたね。

川上 それがよくわからない。自称仲介人とつながって映像を公開してきた市民ジャーナリストのTに聞くと、いくつかの交渉があったというわけですよ。彼らも、それは日本政府だと思っているけど確証はないまま交渉している。ところが途中で消えちゃうから、だまされたというのをくり返しているわけですけど、中ではどんな感じでした?

安田 中では12月まではそんな感じはなくて、12月7日の個人情報を書けと言われて書いた後に、彼らはもうこれで金が来ると思っている感じでした。だから個人情報を書けと日本側から言ったのかと思ってたんです。でも、そうでもないみたいで。よくわからないんです。

原田 仲介人がこのへんは全部やっていた可能性が高いという?

安田 そんな感じがするんですけどね。

引用は以上だ。この後も興味深い話が続くのだが、長くなるので割愛しよう。この拘束事件をめぐってはまだ全容が解明されたとは全く言い難いのだが、この座談会では、それまで明らかになっていなかった事柄も相当、安田さんの口から明かされている。

 この話も踏まえて26日にはもっと議論を深めたいと思う。ぜひおいでいただきたい。

安田純平さん解放とジャーナリズムを考える

~戦場取材の意義と「自己責任」論

12月26日(水)18時15分開場、18時30分開会(予定)、21時終了

定員500人 資料代1000円(当日受付)

出演:安田純平(ジャーナリスト)/原田浩司(共同通信編集委員)/金平茂紀(TVキャスター)/川上泰徳(中東ジャーナリスト)/野中章弘(アジアプレス)/南 彰(新聞労連委員長)/綿井健陽(ジャーナリスト・監督)/他

司会:篠田博之(月刊『創』編集長)

会場:文京区民センター3階A会議室

https://www.navitime.co.jp/poi?spt=02300.1014456

◎都営三田線・大江戸線「春日駅A2出口」徒歩2分

◎東京メトロ丸ノ内線「後楽園駅4b出口」徒歩5分

◎東京メトロ南北線「後楽園駅6番出口」徒歩5分

◎JR水道橋駅東口徒歩15分

主催:12・26実行委員会(「創」編集部、新聞労連、アジアプレス、アジア記者クラブ/他)

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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