小林麻央さん逝去に がん専門医が思うこと
フリーアナウンサーで乳がん闘病中だった小林麻央さんが、22日夜亡くなったと報道された。まず初めに、深い哀悼の意を表明するとともに、ご家族や周りの方々へ心からのお悔やみを申し上げたい。
闘病中には、夫の歌舞伎俳優・市川海老蔵さんとともにブログでその様子を書くなどしていた。実に多くの人が読んで応援していただろう。私もその一人だ。ブログでは闘病の中でご自身の写真を公開するなどし、患者さんを勇気付けていた。
筆者は大腸がんの治療を専門とする外科医だ。がん治療に携わって10年以上になる。これまで1000件以上の手術をし、多くのがん患者さんの診療にあたってきた。そんな私が、がんの専門家として書くべきことがある。内容は以下の通りだ。なお、本記事には小林さんの病状を説明したり推測する内容は一切ない。また、文中には大腸がんの生存率の情報があるため、知りたくない方は読まないで頂きたい。
1, ラストシーンについての誤解と実際
2, 動揺されるがん患者さんとそのご家族へ
1, ラストシーンについての誤解と実際
一つ目は、「ラストシーン」についてお話ししよう。「ラストシーン」とは、がんで亡くなる直前のことだ。末期や終末期という言葉が好きではないので、私はよく「ラストシーン」とか「着陸前」と表現する。
多くの方は映画やドラマなどで、ラストシーンがかなり悲惨なものだと思っているかもしれない。例えば抗がん剤の副作用で吐き、何も食べられず、痛みと苦しみが取れることは無いーーー。
しかしそれは昔の話で、今はそんなことはほとんどない。
なぜなら、そういったラストシーンでの苦しみを取り除く治療がかなり発達し普及したからだ。この治療のことを、痛みや苦しみをやわらげるという意味で「緩和ケア」という。この緩和ケアには、痛み止めの薬で痛みを取り除くのみならず、息苦しさやだるさ、足のむくみなど体のすべての症状をやわらげる。それどころか、「自分ががんになったという苦しみ」や「死の恐怖」などの精神的な、あるいはもっと根源的な「魂の苦痛」と呼ばれる苦しみにも向き合う。
痛み止めについて少し追加すると、今ではがんによる痛みに対しては多くの場合、医療用の麻薬を使う。モルヒネやオキシコドンと呼ばれるものだ。麻薬と聞くと驚く方が多いだろうが、実に有能なお薬であり、たいした副作用もなくきちんと痛みを取ってくれる。他のどんな痛み止めでも効かないような痛みでも効果がある。麻薬はその有用さから、手術のあとの傷の痛みにも世界中で使われている。麻薬といえば麻薬中毒が心配かもしれないが、痛みがある状態で適正な量を使っていて中毒になることはまずありえない。私も何百人も麻薬を処方してきたが、一人も見たことがない。
こういったお薬や色んな手立てを講じるので、現在ではラストシーンはだいぶ穏やかであることが多い。もちろん全く症状がない訳ではないが、自宅のベッドの上で少しは平穏に毎日を過ごされる方が多い。
ドラマや映画では、がん患者さんのラストシーンはことさら悲惨に描かれることが今でも多いが、それはあまり事実ではないのだ。
2, 動揺されるがん患者さんとそのご家族へ
話は変わる。次に私が書きたいこと、それは小林麻央さんの報道を受けて動揺されている、がん患者さんとそのご家族へ向けたメッセージだ。
もしあなたが、あるいはあなたの大切な人ががんにかかっていて、このニュースを聞いて落ち込んでいるとしたら。
確かに小林麻央さんは亡くなった。とても頑張っていらっしゃったが、最後にはそういうことになった。
しかしがんの性質や患者さんの病状というのは、人それぞれだということを知っていただきたい。
もし例え同じがんの同じステージであったとしても、同じ経過をたどるということではない。がんには生存率というものがあり、5年生存率は何パーセントとネットで調べればすぐにわかる。しかしそれはあくまでたくさんの人の結果を集計したもので、個人個人には大きなばらつきがある。つまりこういうことだ。大腸がんのステージ4だったある人は、2回の手術と抗がん剤で10年経った今でもがんの再発などなく元気だが、同じステージの別の方は3年で亡くなった、と。
だから、いたずらに動揺はしなくていいし、必要以上に不安に思わないでいい。これまで通り、主治医とよくお話をして、一緒に治療をしていけばいい。
がんの治療はまだまだ満足のいくレベルではないが、私を含む世界中のがんの専門家は日夜研究や治療に当たっている。わずかながら進歩もしているのだ。例えば30年前には大腸がんのステージ4の方は1年と生きられなかったが、今では3年以上生きる人も普通にいる。もちろんこれからまだまだ進歩は続いていく。
以上、2つのお話をさせていただいた。
みなが応援していた小林麻央さんの逝去で、心ざわめく人が少しでも楽になれますように。
※筆者と、医療用麻薬を製造販売する一切の製薬会社との間に利害関係はありません。