E-1サッカー選手権でも対戦実現。「韓国は北朝鮮戦をどう見ているのか」
男子代表、通算6勝8分1敗。女子代表、1勝3分15敗。
いずれも韓国側から見た歴代南北対決の戦績だ(今大会の結果含む)。現在開催中のE-1選手権で11日と12日にそれぞれ男女の韓国ー北朝鮮戦が行われた。たとえ政情は複雑に絡み合おうとも、スポーツでは東アジアの様々な対戦が実現する。この大会の魅力の一つだ。大会のオフ日の今日、南北朝鮮対決に関する話を。
02年当時は「遠くから眺める」
02年9月7日、ソウル。この時の情景・雰囲気をよく覚えている。
ワールドカップスタジアムで南北親善サッカー試合が行われた。
02年ワールドカップの韓国のベスト4入りの余韻が色濃く残っていた。韓国はイ・チョンス(元大宮など)、チェ・テウク(元清水など)ら若手選手が多くプレーし、北朝鮮にとっては00年台以降の在日プレーヤー代表加入の幕開けとなる、安英学の”デビュー戦”という一面もあった。
韓国で史上初めて誕生した進歩系政権・金大中政権の後押しがあった。ここからサッカーをはじめとしたスポーツでの南北交流が盛んになる、という時代のことだ。ちょうどこれと前後して、釜山アジア大会での北朝鮮応援団「美女軍団」も話題になった。
北朝鮮代表がソウルを訪れて試合をする。試合会場の他、ソウル市内のホテル内芝生スペースでストレッチする様子までも取材できた。日本記者として韓国語を話す筆者の立場からすれば、北の人と直接言葉を交わせる機会はなかなかないから、積極的に彼らに話しかけにいった。
しかし、当時の韓国記者は遠巻きに様子を眺めるだけだった。
なぜ行かないのか、と聞いたら、こんな答えが返ってきた。
「北韓(韓国での北朝鮮の呼び名)を北韓の人の前でなんて呼んだらいいか分からない」
朝鮮、と呼ぶわけにもいかない。その名にはイデオロギー的な意味が付与されているため、韓国では1920年代から続く「朝鮮日報」、1910年代から続く「朝鮮ホテル」など一部の名称を除いて忌避されるものだ。筆者は日本で学生時代に学んだ「共和国」という言葉を使って解決した。
かつて韓国では国是として「反共主義」が存在したこともあり(09年に憲法から削除)、中高時代までは詳細を教育するよりも単に「北韓」という名称を用いて教育が行われてきた。いっぽうでテレビアニメなどで北朝鮮の人物を怪物のように誇張して描く作品が放映され、「怖い国」としてのイメージも作り上げられていった。筆者が97年に延世大学に留学した際、名門大の学生が北朝鮮の正式名称「朝鮮民主主義人民共和国」を知らない、というシーンも目にしたことがある。今となれば驚くが、「北朝鮮社会主義共和国」といった回答もあった。
02年当時、時代が変わる、という空気はあったが、実際にはまだまだ距離感があった。実際に北朝鮮選手を見た時の韓国記者の警戒するような様子も、「ありうることだな」という印象だった。
お互いを呼ぶ「新語」が発展
98年から2007年まで続いた進歩系政権時代(金大中、盧武鉉大統領時代)は「超・友好時代」と定義できる。02年の後、05年8月にもソウルで南北親善試合が開催された。また南アフリカワールドカップ予選時には、3次予選と最終予選の2度、同組に居合わせるという組み合わせの縁もあった。
そういったなかで、双方を刺激しない「用語」が生まれる。
「北側」そして「南側」
記者会見などのシーンで、今でも度々使われる言葉だ。これはお互いを呼びやすくした。
国歌斉唱などの厳格な公式的表記では、もともと韓国では認められてこなかった「朝鮮民主主義人民共和国」という正式名称が記されることも徐々に定着していった。
いっぽう取材現場では、北朝鮮代表として南アW杯予選で4度対戦した、鄭大世の存在がぐっと南北の距離を縮めた。現在でもそうだが、在日選手は北朝鮮代表のなかでもじっくりと試合後の取材エリアの話に応じる。
北朝鮮では韓国のことを「南朝鮮」と呼ぶが、鄭大世は躊躇なく「韓国」と口にした。こういった新鮮さもあり、韓国記者団は彼のもとに集まって、コメントを取りに行くようになった。「北朝鮮代表と喋った!」と興奮気味に話す韓国記者の姿をよく目にしたものだ。
北朝鮮GKと対話する場面も
しかし2017年の現在、大会に参加するメディアで積極的に北朝鮮選手に話しかけるような姿は目にしない。現在日本で大会を取材中の京郷新聞のファン・ミングク記者が言う。
「以前は国際大会に出ていった際、北朝鮮の選手を目にしても『対立している相手』という感覚はなかったんです。(南北国境近くにある朝鮮半島の名観光地)金剛山観光にも行くことができた。韓国で行われた2013年大会の東アジアカップ(現E-1)では、南北の女子選手が記念撮影をする姿も印象的でした」
しかし、現在は少し違う感覚にあるという。
「08年7月11日の金剛山韓国人観光客殺傷事件(北朝鮮側の主張では『立ち入り禁止区域に足を踏み入れた』)で世論が悪化しはじめ、その後2016年10月に開城工業地区の運用停止でより悪くなった。サッカーでもその影響があり、北朝鮮選手との距離感も開いていると思います。いくら試合で激しくぶつかっても、試合後はにこやかに交流、といった風景がなくなっている。むしろ試合中の衝突で本当に雰囲気が悪くなるような場面も多く見られますよね」
選手のコメントも硬化、あるいは冷静なものになっている。
「昔は同じ国だったが2つに分かれたという歴史がありますよね。とはいえ、北朝鮮戦だからと言って特別なものはありません。ひとつの試合。そういう風に考えています」(韓国男子代表 DFチャン・ヒョンス/FC東京)
また、今大会の韓国の看板スター、MFイ・ジェソン(全北)もこれに近い言葉を12日の北朝鮮戦後に口にした。
「同じ民族として、同志といった意識はあるが、サッカーというのはどんなチームと対戦しても11対11でプレーするものなので、強く感じるものというのはないですね。ただ、お互いに国を代表してプレーしている中で、お互いの相手の言語が分かる、というのは特殊ではあります。チーム内の意思疎通を気をつけないと行けない部分がありますね」
確かに、「試合中の言葉のやりとり」という面では特別な意味があるようだ。韓国女子代表で来季からINAC神戸への加入が発表になったMFイ・ミナは北朝鮮戦について「他の国の対戦と近い感覚」と言いつつも、こう続けた。
「言葉が通じるじゃないですか。セットプレーの状況などで、相手もこっちの話を理解できる。そういった時には特に気をつけてチーム内で意思疎通を図ります」(11日の女子北朝鮮戦後に)
一方で、大会中にはこんな場面も目にした。
7日、出場国の女子代表監督が揃って登壇した共同記者会見では、韓国のユン・ドギョ監督が北朝鮮のキム・グァンミン監督についてこう表現した。
「選手時代からよく知る友人」
また、男子代表のDFチャン・ヒョンスは南北戦前、ピッチへ向かうトンネルのなかで相手GKのリ・ミョングクと親しげに語る姿を目撃されている。
チャンは年上のリを「ヒョン(兄貴)」と呼び、親しく話していた理由をこう説明した。
「何度か一緒に試合をしていますから。僕は年代別代表も入れて、3~4回くらい、北朝鮮戦でプレーしてるんじゃないかと記憶しています」
何を喋っていたの? と聞くと、ごくありふれた挨拶だったという。
「元気してます? 怪我はしてません?」
過去の過激な対立の時代は終わった。しかし友好の時代でもない。いっぽう、歴史を経て、ピッチ上では普通の相手として対戦する時代になった。現在の南北対決はそういった時代に差し掛かっている。第3者として推移を観てきた日本人記者の立場からはそう感じられる。