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高度成長から東京オリンピック、環境破壊まで、東京の干潟から驚きのTOKYOを映し出す

水上賢治映画ライター
村上浩康監督 (C)TOKYO HIGATA PROJECT

 『東京干潟』と『蟹の惑星』。このタイトルだけだと、おそらくおおよその人は、教育や児童向けの作品をイメージしてしまうのではないだろうか?

 確かにそのような要素がないわけではない。ただ、おおよそは、「ここでこんなことが語られているとは」とまったく予期していないことを目にすることになるはず。それほど、作品は驚きに満ち溢れている。

 村上浩康監督が「TOKYO HIGATA PROJECT」として2015年から製作をはじめ、完成させたこの両作品は、どちらも優れた人間ドキュメントであるが、一方で現代と過去と未来の日本社会に斬りこんだバリバリの社会派ドキュメンタリーといっても過言ではない

 村上監督は出発点をこう明かす。

「干潟に興味をもったのは、偶然テレビで北海道の干潟についての番組を見たから(苦笑)。そこで干潟って、こんなおもしろい場所なんだと初めて知って、ちょっと行ってみたいなと。調べたら、東京の多摩川にも干潟がある。じゃあということで足を運んだのが最初でした」

 村上監督の場合、今回に限らず、映画作りは場所から入ることが多いという。

「僕の場合、なぜか場所から入ることが多いんですね。前作の『流 ながれ』も神奈川県の中津川が出発点でした」

 多摩川河口の干潟を訪れた瞬間、その光景に引きこまれたという。

「都市と自然界の境界に紛れこんだというか。ほんとうにここは東京なのだろうかと思いました。東京にこんな場所があるのかと、びっくりして、あくまで僕の直感ですけど、『ここを撮れば映画ができるんじゃないか』と。で、翌日にはカメラと三脚を担いで、干潟に向かっていました」

 こうして干潟に通い始める日々がスタートする。

何を撮るかはまったく決めていませんでした。とりあえず干潟で自分の目に飛び込んでくるものをとろうと。1番最初に目に入ってきたのは、カニでした。おびただしい数のカニがいる。

 ただ、カニはものすごく警戒心が強い。数メートル先に人間の気配を感じるだけで、巣穴に逃げちゃう。ですから、普通に歩いていると、その存在に気づかない人もいるかもしれない。

 でも、とにかくカニがいる。まずここからだなと、撮り始めたんです」

干潟を訪れてから1カ月。二人の老人に相次いで声をかけられる

 巣穴の前にカメラを構えて微動だにしないでカニが出てくるのをずっと待つ毎日。こんな撮影を1カ月ぐらい続けていたある日、ひとりのおじいさんに声をかけられる。

「それがのちに『蟹の惑星』の主人公となる吉田(唯義)さんです。『カニを撮っているんですか』と声をかけられました。すると『ここはカニを撮るにはすごくいい場所ですよ。私はここでもう10年以上カニを見ておるんです』と言葉が続いた。話してみると、カニに異常に詳しい(笑)。

 はじめは研究者かなと思ったんですよ。そうしたら違うと。定年退職後に趣味でここに通ってカニを観察しているということで、もうびっくりですよ。瞬時に『カニの生態についていろいろとお話をお聞きしたいです』と取材を申し込みました」

 その明くる日、またひとりのおじいさんに声をかけられる。

「こちらが『東京干潟』の主人公となるホームレスのおじいさんです。僕が干潟に入ろうとしたら、河川沿いに建てられた小屋から出てきて『あんた、環境省の人か』と声をかけられた

 なんで、僕のことを環境省の人と思うんだろうと驚いたんですけど、話をきくと、ここでずっとシジミを獲って売って暮らしていると。

 僕が毎日干潟に向けてカメラを向けて何かを撮っていることを、漁をしながら遠巻きにみていて気になっていたようで、調査をしていると思ったみたいなんです。で、シジミの乱獲がひどくて、漁師も潮干狩りの一般の人も、見境なく小さい貝まで採っていくから、年々貝が減ってる。だから『あんたが役所の人ならちょっと話を聞いてほしい』と切り出された。

 僕が違うといったら、ものすごく残念な顔をして小屋に戻ろうとするから、『ちょっと待ってください』と(苦笑)。それで周りに猫がいっぱいいるので、これはどうしたんですかときいたら、『街の人間が捨ててった捨て猫だ』と、それで捨て猫の世話をしながらここで暮らしていると。それで、がぜん、おじいさんに興味をもって、『取材させてください』とお願いしたんです」

映画『東京干潟』より 
映画『東京干潟』より 

 こうして偶然干潟で出会った老人二人への取材が始まる。当初はこんなことを考えていたという。

「最初は、二人にフォーカスしようとはあまり考えていませんでした。僕自身の興味もどちらかというと、その時点では、おじいさんが直面しているシジミの乱獲による環境破壊や、ペット遺棄に意識が向きました。吉田さんの方も、吉田さんの協力を得ることで、カニを通して、干潟の環境の変化とかがみえてくるかなと

 そういった干潟をめぐって環境や社会が浮かび上がるようなことを1つにまとめたオムニバス風の作品ができるかもと思いました。

 ですから、最初はシジミ獲りのおじいさんにしても、吉田さんにしても、パーソナルな部分を撮ろうとは思っていなかった。あくまで干潟について現状を伝えるための取材とお二人には伝えていたので、『それなら協力するよ』と二人とも乗ってくれました」

 こうして取材はスタート。ただ、いざ進めていくと、二人の語る人生に魅せられていった。

「お話をお伺いして対話を重ねていくと、必ずその方が聞いてほしいことがあるんですね。それは、その方自身がいままさに直面している問題。シジミ採りのおじいさんの場合は、年々減少するシジミと猫のお話でした。そういうところをきっかけに信頼関係を深めて、自然とプライベートなお話までお伺いするようになりました。

 ただ、シジミ獲りのおじいさんはファースト・インプレッションで、直感的に『この人、すごい人生を送ってきたのでは』と思ったことは確か。というのも、まず片方の目が不自由で眼球を失っているんですけど、それを隠そうとしていない。その目で僕の目を堂々と見て話し掛けてこられたときに、もう、『この人のことを撮りたい、この人のことをもっと知りたい』と思ったんですよね。

 ふつうは眼帯をしたり、サングラスをかけたりして隠そうとするじゃないですか。でも、おじいさんは周りのことなど意に介さないというか。ほんとうに『自分は自分』というような感じで自分を取り繕うようなことをしないでいる。それからあの肉体。とても老人の肉体とは思えない屈強な体をしている。その身体をみても、『ただものじゃないな』と。それで『この人はただならぬ人生を送ってきたのではないか』と思ったのと同時に、『この人はカメラの前で、もしかしたら、すべてを出してくれるのではないか』となんとなく察知したんです」

一方、吉田さんのほうはとにかくカニの話に魅せられたという。

「吉田さんのカニの研究はほんとうに趣味で道楽。この人こそ、真の意味での『カニ道楽』だなと(笑)。

 といいつつも、その話はもう道楽の域じゃないんですよね。ほとんど毎日のように干潟に行って調査をしている。しかも、独自の視点でカニの生態を探ろうとしている。もちろん専門書や文献も読んでいらっしゃるんですけど、それを鵜呑みにしない。カニの行動を見て何か疑問を持つと、すぐに検証しようとする。その検証方法も独自で編み出すんですよ。

 フィールドワークのやり方がオリジナリティーに溢れている。たとえばハサミの先にわさびを塗るとか、目隠ししてみるとか、範囲を決めてこのエリアで徹底的に調べているとか、いい意味でちょっと研究者では考えつかない思いつきでカニの生態を解明というよりも知ろうとする。しかも、だれに頼まれたわけでもない。人知れずやっているわけです。15年もの間ずっと。この人はなんなんだと思いました」

映画『蟹の惑星』より 吉田さん
映画『蟹の惑星』より 吉田さん

 偶然の出会いからはじまった干潟取材。二人のことを知れば知るほど、当初考えていたドキュメンタリーとは違う方向へ進んでいった。

シジミ獲りのおじいさんから想像もできない世界をわたしたちは目の当たりする

 結果、まず『東京干潟』はシジミ獲りのおじいさんから想像もできない世界をわたしたちは目の当たりすることになる。

「その通りなんですよね。自分もまったく予期していなかったんですけど、日本の戦後史をたどるようなことになった。というのもシジミ採りのおじいさんの人生が波乱万丈で。炭鉱町に生まれて、戦後の沖縄の米軍基地では憲兵隊だったときもある。

 最初は、シジミ漁と猫のいわばおじいさんの生活を重点的に撮ってたんです。でも、シジミ漁を終えて、体が冷えるんで、おじいさんはお酒を呑むんですけど、それに僕も差し入れもっていったりして、しばらくご一緒していると、そういう話がポツリポツリと出てくる。打ち解けてくると、やはり自分の今までの人生を語り始めてくださった。

 『レインボーブリッジの仕事に携わったんだ』とか、『あの橋も俺が工事した』とか。こちらとしてはもうあっけにとられるばかり。そういう話をお聞きするうちに『この人の人生そのもの、今の生活そのものが、いまの時代に対する、もっといえば文明に対する批評みたいに見えてきて、『これはおじいさん自身を撮りたい』と思ったんですよね。

 でも、どれぐらいかな。1年半ぐらいは『おじいさんを実は撮りたいんです』と言い出せなかったんです。なんか関係が崩れちゃうかなと思って。

 切り出したのは、映画の中にも出てくる羽田のお祭りの日。おじいさん、お祭りが大好きなんですよ。建設会社を経営していたころは、三社祭とかで、神輿をかついでいたみたいです。それぐらい祭り好きだから、お祭りが終わっても高揚して、なかなかその場から去りたくない。

 それで、お酒買ってきて路上に段ボールを敷いて、しばらく一緒に呑んでいたんです。そのときに切り出したんですよね。『あなたのドキュメンタリーを撮りたい』と。そうしたら『おお、いいよ』とあっけなく了承してくださいました。

 ただ、続けて『俺、撮りたいの?だったら、もっと俺のシジミ漁を撮らなきゃ駄目だな』と言われたんです。つまりシジミ漁に、自分の人生はある意味、帰結している。だからそこをきちんと撮らないとダメだということが自分なりの解釈で。それで、さらに毎日のようにシジミ漁に同行するようになりました」

ひとりの老人からみえてくる高度成長、バブル、東京オリンピック

 このホームレスのおじいさんから見えてくるのは、高度成長から、バブル、そして現在までの日本が、とりわけ東京が見えてくる。日本の戦後史を振り返るドキュメンタリー、はたまた現代社会への批評作品と思えるほど、深い物語性を含んでいる。

「すごい人生だと思います。橋や高圧鉄塔から、マンション、ビルまでの建設に携わった。都庁や恵比寿ガーデンプレイスも携わったといっていました。いわば東京の街であり、大都会を造ってきたといっていい。そのおじいさんがいまはシジミを獲りながら、捨て猫を育てている。漁をしていると、おじいさんの背後にまさに高層マンションや橋が見えるわけです。高圧鉄塔の下でシジミを獲っていたりして。それだけ見ても、なんか寓話めいたことを考えてしまうというか。おじいさんの存在そのものが、文明批評じゃないですけど、都市の発展によって追いやられた者はないのか、置き去りにされたものはないのか、忘れ去られたものはないのかと、大きな問いを投げかけてくる」

 それだけではない。人知れずに起きている環境破壊、東京オリンピックの罪までも映し出す。

「去年の2月ですけど、オリンピックに向けて新たな橋を架ける工事と前回のオリンピックのときに架けた高速道路が老朽化をして、架け替える工事、2つの工事が、この干潟のある狭いエリアでほぼ同時に始まりました。

 まず、その工事が始まるとシジミが獲れなくなった。今までも減ってはきている。ただ、人間の乱獲による減少は緩やかだったみたいです。ところが、その工事が始まった途端、おじいさんのテリトリーはまったく獲れなくなった。

 その理由として考えられるのが、やはり工事で。実は、あそこはお正月の初日の出ポイントであったり、渡り鳥の休息地だったりもして、環境面からも文化的な面からも反対運動が起きていたんです。

 でも、結局押し切られて、まず掘削工事が始まって川底を掘り返す。しかも、掘り返すのは橋を支える杭を打つためだけではなくて、その資材を運ぶには大きい船が必要で、その船を通すために、川底を深く掘らなきゃいけないんです。

 そして、掘り返した泥はそのままほかのところにもっていってしまうんです。その泥の中にはシジミが入っていて、稚貝もいる。つまりシジミを根こそぎもっていってしまう。それから、川底を掘り返すので、そこに蓄積していた泥が全部、今度は干潟に堆積してしまうんです。その泥はヘドロのようなもので空気がないので、干潟の上に堆積するとシジミが窒息死してしまう。

 だから、今年あたりからはシジミだけじゃなくてカニも減っているんです。死滅しそうになっている。

 でも、そんなことは関係なく、干潟のすぐ近くにはどんどんホテルとかマンションが建っている。東京オリンピックで開発が進む一方で、それによって大きな影響を受け、消えゆこうとしているものがある。スクラップ&ビルド、衰退と繁栄が目の前に広がっている。おじいさんもこれをみると、バブルのころの自分が重なるみたいで、『複雑な思いだ』と。こういう言葉がおじいさんからこぼれきこえてきたとき、僕自身は思いました。『この作品は、都市の最下流から都市の変貌を見つめる映画なんだ』と。

 東京首都圏っていうよりかは、全国、日本全体の何となく象徴するところの、東京の存在みたいなところが見えている気がします」

映画『東京干潟』より
映画『東京干潟』より

 その光景は、都市開発をしてきた人間が、自らが堰となって最後の最後に残った自然を守っているようにも映る。また、おじいさんがシジミ漁で稼いだお金のほとんどは家にいついた猫たちのエサに割り当てられる。この光景もまた、なにか都市からはじかれた者たちの最後にたどり着いた場所にも見えてくる。

「不思議な運命ですよね。因果応報とは言いたくないですけど、これまで東京の街をつくってきた人間が、最後の最後に東京の一番最下流にたどり着いて、現代社会に抗うように生きている。

 でも、おじいさんには、そのことに対する恨みや悲哀っていうのは全くないんですよね。ここでの暮らしをむしろ楽しんでいる。やっと自由を手に入れたみたいな具合で。だから、おじいさんは自分のことをホームレスだと言わないんですよ。『俺のはアウトドアだ』って(笑)。

 もともと工事現場を渡り歩いて、行く先々の飯場で暮らしていたりもしたいみたいだから、苦にならないみたい。ほんとうになんでもできます。住んでいる小屋も簡易に見えますけど、頑丈で。台風でも飛ばされなかった。

 だから、僕はおじいさんに対して哀れみやへんな同情心を抱いたことは一度もないんです。むしろ、この人を見習いたいと。メンタル的にも肉体的にもおじいさんに勝てないですから、どこか憧れの眼差しでみていたところはありますね。

 だって、あの小屋には猫以外にもいっぱい動物がくるんですよ。トンビがきたり、タヌキが来たり、カワウが来たり、いろんな動物が集まってくる。ほとんどノアの箱舟状態(苦笑)。でも、おじいさんはそれを追い払ったりしないんですよ。

 あと、人間もやってくるんですよ。あの周辺には8人ぐらいホームレスの方がいるんですけど、おじいさんだけが例外的に社交的で。周辺の住人とも交流があって、いろいろな人がひっきりなしに訪れてくる。ほかのホームレスの方々は周辺住人と一切交流ないですから。

 ただ、おじいさんはほかのホームレスの方々と周辺住人との懸け橋みたいな存在にもなっていて、何かあれば助けてもらえるようにはしているんですね。すごい人です。誰でも受け入れるおじいさんに、僕ははじめて本物の寛容をみた気がしました」

 おじいさんにはもうひとつ後悔の念のようなものがあったと明かす。

「作品の中でも、少し触れてますけど、最初は干潟で誰もシジミを獲っていなかったんです。最初に、シジミを獲り始めたのはおじいさんなんです。こうなってしまったいま、それに対して、すごくおじいさんは責任を感じている。

 なぜ、おじいさんがシジミ漁をはじめたのかは理由があるんです。実のところ以前は、ほかのホームレスの方といっしょで、空き缶を集めてお金稼いでたんです。ところが、おじいさん目が不自由で、見える方の目もだんだん視力が落ちてきている。空き缶集めは、基本的に夜中に回るので見えないんです。それでほかになにかないかと思って、何気なく干潟に入って掘ってみたらシジミがいっぱい出てきた。

 そのとき、おじいさん、子どものころ、有明海でムツゴロウを獲って、売って暮らしていたこともあって、『このシジミ売れるんじゃないか』と思ったらしいんです。それで近くの釣具店に行ってみたら買い取ってくれたらしいんです。

 それではじめたら周りのホームレスの人たちも取り始めて、それに気づいた漁師もはじめた。それに今度はマスコミが気づいて、報じたので、一般の人も来るようになってしまった。なんの制限もしないで乱獲したので、当然減っていく。そして今度は工事が始まって、シジミが消えようとしている。だから、複雑なんですよ。おじいさんの心境は」

カニの撮影は苦労の連続。奇跡的なシーンの撮影も成功!

 このシジミ漁のおじいさんもすごいが、『カニの惑星』の吉田さんもまたすごい市井の人間といっていい。

「カニの生態調査への情熱が趣味の域を超えてるんですよね(苦笑)。ご家族はやはり、正直迷惑してるんですよ。家中、カニの標本だらけ。ご家族にしてみたら、ガラクタにほかならないですから『おとうさん死んだら、これどうすんの?』みたいな雰囲気で。僕も最初はご家族にあまり歓迎されてなかったんですよ。『これ以上、焚きつけないでほしい』みたいな感じで。映画ができて、ようやく理解されるようになりましたけど(笑)」

映画『蟹の惑星』より
映画『蟹の惑星』より

 カニの撮影は苦労の連続だった。

「吉田さんにいろいろとお話をお伺いしましたけど、カニの行動はあらかじめ予測できるものではない。その季節にしか撮れない場面があるんです。それを逃すともう1年待たなければならない

 『蟹の惑星』は、カニの人知れず繰り返している営みを接写して記録している。それは知られざる世界、いや自然界の小宇宙をも感じさせる。中でもとりわけ印象に残るのが産卵(※正確には生まれたての幼生を放つ放仔(ほうし))のシーンだ。

「このシーンはなかなか撮れなくて大変でした。1シーズンに数回しかチャンスがない。だから、その日、撮影に行けなかったらアウト。もちろんいつくるかはわからない。幸運にもなんとか撮ることができました。

 あと、脱皮も大変でした。吉田さんに聞くと、7月の朝に多く脱皮すると。ところがカニはいっぱいいますから、どれが脱皮するかはわからない(笑)。だから、脱皮しそうなやつをまず探して、捕まえたら、カメラの前に置いて撮る。ネタばらしになりますけど、あれは1個体ではなく、複数を組み合わせ脱皮の過程を見せています。

 7月の朝は日が上がるのが早いですから、もう6時ぐらいから撮っているんですけど、橋の上を通勤の人たちが自転車とかで通っていく。その人たちからすると『あの人、朝から何やってんだか』でしょうね(苦笑)」

 吉田さんのカニへの探求心はもうあっぱれとしかいいようがない。こういう好奇心やちょっとした生活の楽しみを失わないことは人にとってすごく大切なのではないか。吉田さんをみていると、そう感じてならない。

「いまも吉田さんは干潟に行かれてます。変わらずに独自の調査を続けられています。

 吉田さんはこの作品もすごく喜んでくださいました。カニを接写して撮っているので、肉眼じゃみれないところまで撮れている。それにすごく感動してくれました。『ここまで細かいところまで見えるんだ』とびっくりしてくれました」

映画『蟹の惑星』より
映画『蟹の惑星』より

 撮影の日々をいまこう振り返る。

「果たして作品になるのか、悩んだこともありました。確かにカニの生態はおもしろいけど、果たして見てくれる人がいるのかと思ったことも何度あったことか。シジミ漁にしても同じです。

 それでもなぜ続けたかというと、やはり、東京にこういう場所がある。ここに目を付けてるのは多分、自分だけだろうなと思ったんです。しかもシジミ獲りのおじいさんとカニの生態を調べる吉田さんから、さまざまな日本の問題が、東京の表の顔ではない裏の顔が見えてくる。このことを知っているのはたぶん自分だけだけど、もっと多くの人にも知ってほしいと思ったんですよね。その想いがなんとか伝わってくれたかなと思っています」

ドキュメンタリー映画の祭典<山形国際ドキュメンタリー映画祭2019>で上映。先日は新藤兼人賞を受賞!

 作品は全国ロードショー中。10月には世界のドキュメンタリー映画とドキュメンタリー作家が集う<山形国際ドキュメンタリー映画祭2019>(以下、ヤマガタ)に正式招待。台風の影響で上映が延期されるトラブルに見舞われたが、無事上映の運びとなり、反響を呼んだ。

「上映中止となったときは、プログラムがいっぱいでしょうから、もう振替上映とかないんだろうなと思って。台風の最中、駅前の居酒屋でがっくりしながら飲んでいたんですよ(苦笑)。そうしたら電話が鳴り、出てみると事務局からで。『この日に振替上映やりますけど、スケジュール大丈夫ですか?』と。山形の事務局サイドが迅速に動いてくださって、ほんとうにありがたかったです。

 上映当日は、急遽の延期だったので、お客さんがきてくれるのか心配したんですけど、予想よりも多くの方が来てくれました」

 先日、現役プロデューサーのみが審査員を務める日本で唯一の新人監督賞、新藤兼人賞を受賞した。

私のような最小規模の映画製作をしている者に、光を当てて下さって大変光栄です。ドキュメンタリー映画は出会いから生まれます。そして次々と出会いを集めながら成長し、巣立っていきます。幸福な出会いはあらゆる場所に潜んでいます。そこに目を向けていくことが私にとっての映画作りです。偉大なる先輩の名を汚さぬよう、これからも私なりの映画作りを続けていきたいと思います」

 今月21日からはポレポレ東中野で、年が明けて2020年2月15日からは横浜シネマリンでのアンコール上映が決まった。あらゆるものがたどり着く都市の最下流から見えてくる「TOKYO」に出合ってほしい。

映画『東京干潟』より
映画『東京干潟』より

2019年12月21日(土)~28日(土)

ポレポレ東中野 アンコール上映

2020年2月15日(土)~21日(金)

横浜シネマリン アンコール上映

写真はすべて(C)TOKYO HIGATA PROJECT

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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