日本で起きている性加害問題に、リアルかつ鋭く迫る。「被害者だけで終わらせたくない」
16日に公開される「ブルーイマジン」は、今、日本が直面していることが全部詰まった問題作だ。女優松林うららが、松林麗の名前で監督を務めるこの映画は、権力者が立場を利用して性暴力を振るう、社会の暗い現実を描くもの。
乃愛(山口まゆ)は、女優としての成功を目指す20代の女性。有名な映画監督から役をちらつかされて性暴行を受けたことを誰にも話せないでいたが、ハラスメント、DVなどの被害を受けた女性たちが駆け込むシェアハウス、ブルーイマジンの存在を知って、少しずつ心を癒やし始める。そんなある日、ブルーイマジンに新たな相談者がやって来た。創設者三千代(松林うらら)のアシスタントとして一緒に話を聞くうちに、乃愛は、彼女の加害者が自分を苦しめたのと同じ人物であることに気づく。このまま黙っていたら、新たな被害者を出すことになるのではないか。だが、声を上げたらどんなことになるのか。乃愛の心は揺れ動く。
この映画の前に、松林氏は、オムニバス映画「蒲田前奏曲」でプロデューサーを務めた。その中でも、映画界の「#MeToo」について触れている。世界プレミアが行われた1月のロッテルダム国際映画祭で、松林氏は、そこからさらに深く掘り下げたくて「ブルーイマジン」を作ったのだと語っていた。
自身も被害経験を持つだけに、製作中にはフラッシュバックに悩まされたり、「本当に映画にして良かったのか」と葛藤したりしたこともあったとのこと。それでも、「今、日本でも『#MeToo』が起きている中で、自分に何ができるのか」「被害者だけで終わらせたくない」と思い、前に進んでいったのだという。
監督デビュー作の公開日をいよいよ目の前にした松林氏に、オンラインで話を聞いた。
――まさに日本の映画界、芸能界で性加害問題が大きなニュースになっている中での公開となりました。偶然とはいえ、こんなタイミングになったことをどう思われますか?
この企画が動き出したのは2年前なんですよ。今でこそ性加害が取り上げられることが多くなりましたが、自分たちが未来を予測してしまったみたいで、ちょっと怖くもありますね。
――あの会見のシーン以外にも、「あるある」という状況がたくさん出てきます。状況、せりふ、すべてリアルなのですが、この映画を作るにあたって、ほかの人たちの体験をリサーチされたのでしょうか?
そうですね。私自身が女優でキャリアをスタートさせて、10年くらいこの業界にいるわけですが、その中で見たこと、聞いたこと、経験したことがありますし、友達もいます。でも、私自身、被害者、当事者として、俯瞰して見るようにしたいという気持ちもあり、プロデューサーで脚本家の後藤美波さんに、まずは私を取材してもらい、そこから見えてくるものを書いてもらったんです。
そうやって一緒に脚本を練っていく中で、こういったことが映画界に限らずいろいろな職場で起きていることや、日本に住むフィリピン人女性が受けている差別のこと、男性でも被害を受けている人がいることなど、いろんなことに視点を向けていくようにしました。フィクションなので、想像で書いたところもありますが。
――実際に性暴力が行われるシーンは入れないと、最初から決めていたのですか?
そこについては、実は結構悩みました。でも、この映画で大事なのは、そこじゃなくて、その前とその後なんですよね。語るべきなのは性被害を受けた後にどれだけ苦しんでいるのかという部分であり、性加害自体を描くことには意味がないと思ったので、入れませんでした。
――性暴力のシーンがなかったとしても、女優さんたちは、被害を受けた女性の気持ちになりきる必要があります。それは観ていてもすごく胸が痛いのですが、女優さんたちとはどのような話し合いをされたのですか?
主演の山口まゆさんは、この役を演じるにあたり、いろいろな記事を読んだり、ドキュメンタリー番組を見ていくうちに、すごく悩まれてしまったようです。そんな彼女は、私の心を傷つけることはしたくないと気を遣ってくれつつも、できれば私(自身の体験)の話を聞かせてほしいということで、彼女のマネージャーさんも一緒にお話をしました。
そんな中でも、私は、「被害者を演じないで」と彼女に何度も言ったんです。悲しい芝居にはしたくないし、ひとりの人間として生きてほしいと。これは乃愛の成長物語でもありますし、最後にすべてがすっきりするわけではないけれども、「私たちがやったことは間違いじゃないんだ」という表情で終わりたかったので。
――ロッテルダム国際映画祭での質疑応答で、男性の出演者さんがこのテーマに寄り添ってくれたとおっしゃっていたかと思います。やはり支持してくださる方が集まってきてくれたのでしょうか?
正直なところ、お断りされることもわりとありましたね。この映画は(出演した場合)PRしづらいとか。(そういう人には)自分自身にもそういった非があったんじゃないかと思ったりもしましたが。
でも、誰しもが被害者、あるいは加害者になる可能性もあるわけで、そこで止まってしまったら何も生まれないですよね。だから、その先に踏み込んできてくれた男性キャストさんは、本当にありがたいです。加害者の監督を演じる品田誠さんは、「飢えたライオン」でも共演していて、前から良く知っている関係でもあり、ちょっとお話をさせてくださいとお願いしました。
――映画のはじめのほうに、監督、プロデューサーが俳優志望の若者と居酒屋で飲んでいる時に、良い俳優の定義とは何かと語り始めるシーンがあります。監督は持論を言い、プロデューサーは「女優さんは現場で気を遣える人じゃないと」と言いますね。「女優さんは」と限定するところも日本的だと思ったのですが、ああいうことは実際に言われていて、ご自身も耳にしてきたのでしょうか?
あれらのことは私も結構言われてきました。洗脳というか、私も植え付けられてきた気がします。そういうのをみんな一生懸命聞くって、不思議な光景ですよね。私も真面目にノートを取ったりしていましたし。俯瞰で見てみると、本当に不思議なんですけど。
――映画の中では、メディアの対応、役割といったことにも触れられます。今の日本で、取材での取り上げられ方、あるいは取り上げないことなどについて、何を問題視されていますか?
今、この映画の宣伝でいろいろ取材していただくんですけれども、性被害というテーマを当事者として書いたというのはもちろん大事ではあるんですが、その先に行けていないというか。まあテレビもそうですけれど、表面的な報道を流して、次から次へと答を急ぎすぎてしまっているような感じで。正解ってそんなに早く出るものではないのに。だからどんどん置いてけぼりになってしまうのかなと。せっかく告発をしても拾ってもらえなかったり、SNSでは二次被害が起きたり。
これはみんなが考え続けていかないといけないことだと思うんです。私はこの映画に死ぬ気で取り組んだけれども、これひとつで世界は変わらないし、やはり考え続けていかなければと、すごく感じます。私もわからないから映画にしたわけですが、これがほかの人たちにも考えてもらうきっかけになればと思いますね。
――今回、監督を初体験してみていかがでしたか?
「蒲田前奏曲」でプロデューサーという立場を経験していたのは良かったと思います。世界共通なのかもしれませんが、日本は特に映画監督が持ち上げられる風潮があるように思うので。今回自分が監督をしてみて、「なるほど、これは勘違いしてしまうかも」と思いましたね。作品を一緒に作っていても、決断するのは監督なので、みんなが監督に集まってくるんですよ。それで気持ちよくなってしまうというのは、わかりました。プロデューサーのほうが、お金の管理だとか、大変なことをやったりするのに。だから、映画を作る上ではプロデューサーという経験もしたほうがいいと思いました。
――これからも監督としてやっていきたいと思っていますか?
そうですね。今回はこういうテーマの作品でしたが、本当はタランティーノとか、スパイク・リーなんかが好きなんですよ。「哀れなるものたち」も大好きですし。今回はちょっと優等生的にまとめてしまった感じが自分の中ではありますね。
でも、演出するというのは自分に合っていたように思います。いえ、合っているのかはわからないんですけど、楽しかったです。映画監督という立場というよりも、映画という、一枚の絵に向かって考えることがすごく好きだと感じました。ブラックコメディなんかもやってみたいですし、チャンスがあればぜひ挑戦していきたいですね。
「ブルーイマジン」は16日(土)、新宿K’s Cinema他全国順次公開。
写真/Blue Imagine Film Partners