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【全文】「北に韓国の体制を強要せず」。文在寅大統領の朝鮮戦争70周年記念スピーチ。日本にチクリとも。

2018年の会談時には休戦中の両国首脳が握手を交わした(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

どこまで言いたいことを言い、どこまで内外に気を遣うのか。

このポイントが興味深い演説だった。

6月25日に行われた韓国・文在寅大統領による「6.25戦争 第70周年 記念式辞」。日本のメディアでも報じられたとおり、6月25日は1950年に朝鮮戦争が勃発して70周年となる記念日だった。ここで文大統領が行ったスピーチ(韓国では「記念式辞」と表現された)の内容が注目を集めた。

首都圏城南市にある軍用のソウル空港で、新たにハワイから戻った戦没者の遺骨を迎えつつ行われた式典の内容は、当然のごとく韓国内で広く報道された。

退役軍人や軍人遺族を労うことが大きな目的だ。対戦国である北朝鮮への言及は避けられない。

また米元大統領補佐官ボルトン氏の暴露本も話題になっている時期の式典だ。韓国大統領官邸側が「朝鮮半島和平のくだりで、事実と違う点がある」と抗議を行った公式的発言の直後でもある。これら”時事問題”についてどう言及するのか。意見を言わないのか、言うのか。言うなら、どう言うのか。

式典の様子。文在寅大統領公式アカウントより。

現地の保守メディアからは「北の核放棄要求に触れるべきだったのでは?」といった意見も出た。さらには現地メディアも想定外の日本への言及も。

加えて、このスピーチを読むと「韓国人の考え」が見えてくる部分もある。戦争についてどう思うのか。どんな過程で大韓民国がという国家が出来ていったのか。

韓国メディアの見方を紹介しつつ、全文の翻訳を。

”6.25戦争 第70周年 記念式辞”

  • 2020年6月25日@ソウル空港AM08:40

(韓国では朝鮮戦争を「韓国戦争」、「6.25(ユギオ)動乱」もしくは「6.25」とだけ呼ぶことも多く、そのまま訳しました。また本翻訳文の行変更については、出来る限り原文に忠実に行いました)

尊敬する国民の皆様。

参戦有功者と遺族の皆様。

私たちは今日、6.25(ユギオ)戦争70周年を迎え、147名の勇士の遺骨をここにお連れしました。

ソウル空港(近郊にある軍用空港)は英雄の帰還を歓迎するための最も厳粛な場所となりました。

勇士たちはいま、大韓民国国軍の階級章を取り戻し、70年ぶりに我々のそばに戻りました。

悲しくも誇らしいことです。

時間はかかりましたが、祖国は一瞬間もあなたたちを忘れていません。

礼遇を尽くしてここにお連れすることができ、光栄です。

今日、私たちが迎えた英雄たちの中にはすでに身元が明らかになった七名の方がおられます。

すべて咸鏡南道の長津湖戦闘で戦死された方です。

故キム・ドンソン一等兵、故キム・ジョンヨン一等兵、故パク・ジンシル一等兵、故チョン・ジェスル一等兵、故チェ・ジェイク一等兵、故ハ・ジノ一等兵、故オ・デヨン二級軍曹の名前を歴史に刻みます。

家族の腕の中で安らかにお休みになられることを願います。

(すべての)退役軍人一人一人の献身は、私たちの自由と平和、繁栄の基盤となっています。

懐かしさと悲しみを誇りに耐えてきた、遺族の皆様に深い敬意と慰めの言葉を申し上げ、戦友に心を焦がす生存退役軍人の方々に敬意を表します。

政府は国民とともに、護国の英雄を永遠に記憶していくでしょう。

まだ私たちのそばに戻ってこられずにいる、12万3千の戦死者が家族のもとに戻ってくるその日まであきらめずに探し出します。

韓国政府はこれまで、5千人の退役軍人たちにお渡しできていなかった勲章を授与し、生活の調整手当てをはじめ、武功名誉手当てと参戦名誉手当て、戦没者の子ども手当てを大幅に引き上げました。

退役軍人と遺族の礼遇に引き続き全力を尽くします。

本日、英霊壇には韓国側が(新たに)探し出し、米国にお送りする米軍の戦死者6名の遺骨も場を共にしています。

私たち国民は、米国をはじめとする22カ国の国連参戦勇士たちの犠牲を決して忘れないでしょう。

ワシントンの“追悼の壁”を2022年までに完成させ、「偉大な同盟」が参戦した勇士たちの尊い犠牲の上に根を下ろしているという事実を永遠に称えます。

私の海外歴訪中に会った国連の参戦勇士たちは一様に韓国を第2の故郷と思い、我々の発展を自分のことのように大きな喜びと誇りを持っていました。

アメリカ、フランス、ニュージーランド、ノルウェー、スウェーデンの参戦者の方々には、国民を代表して感謝と尊敬の心を伝え、タイの参戦者の方々には、「平和の使徒のメダル」をおかけしました。

報勲には国境がありません。

国連軍としての参戦国とともに様々な報勲事業を通じて勇士たちの崇高な犠牲を記憶し、称えます。

6.25戦争70周年を迎え、重要なビデオメッセージを送ってくださった国連軍参戦国の首脳と、本日の行事に参席してくださった各国大使の方々にも深く感謝いたします。

今回のスピーチの呼びかけの対象は「国民の皆様」だった。6月15日の「6.15南北共同宣言(2000年)20周年記念映像メッセージ」の際には、その対象を「国民の皆様、内外の貴賓の皆様」とした。文中には北への呼びかけとも取れる内容もあり、このメッセージに対して北朝鮮側が「金与正談話」で辛辣な言葉を浴びせた。

【全文】爆破から異例の”南北声明対決”へ。文在寅「対話で信頼を」vs 金与正「胃がムカムカ」

今回、「国民」あるいは「韓国側の参戦者と遺族」と限定した点に考えはあったか、なかったか。

スピーチは「韓国人の朝鮮戦争観」を語るくだりへと続いていく。

朝鮮戦争は団結の機会でもあった

国民の皆様。

6.25戦争はこんにちの我々を作った戦争です。

戦争がもたらした悲劇も、戦争を勝ち抜いた意志も、戦争を乗り越え成し遂げた経済成長の誇りも、戦争が残した理念的な傷も、すべて私たちの生活と心の中にそのまま生きています。

70年が流れ、そのまま私たちの姿(そのもの)になりました。

私たちは、戦争の惨禍にともに立ち向かい、乗り越え、真の大韓民国国民として生まれ変わりました。

国難を前にして団結し、自由民主主義の価値を守る力を育てました。

「最も普通の人」を「最も偉大な愛国者」として作り上げたのも6.25戦争です。

農業を行えず、(学校の)学期をすべて終えられず、家族を家に残し去った私たちの隣人が、洛東江戦線を守り、ソウルを修復した英雄になりました。

国の存在価値を体感し、愛国心が高まり、平和の大切さを自覚しました。

どんな難関も克服することができる自信の源泉も、6.25戦争でした。

退役軍人は、戦争を生き残った誇りと、軍で身につけた技術で復興の主軸となりました。

戦場で倒れた戦友たちの分まで大韓民国を愛し、隣人や家族の誇りとなりました。

しかし、まだ我々は、6.25戦争を本当に記念することはできません。

まだ戦争は終わっていないからです。

今この瞬間にも、戦争の脅威は続き、我々は目に見える脅威だけでなく、私たちの内部の見えない反目とも戦争をしています。

私たちすべてが参戦した勇士の娘であり、避難民の息子です。

戦争は国土のあちこちに傷痕を残し、今でも個人の生活と家族の歴史にそのまま生きています。

それは透徹した反共精神、私たちもよい暮らしをしようという勤勉さ、国民主権と民主主義の精神に多様に表れています。

しかし、すべての人に共通する思いは、この地に二度と戦争はあってはならないということです。

自分が生きていく時代に、お互いが自分のすべてを捧げた人々は尊重し合い、手を繋ぐことができます。

私たちは、6.25戦争を世代と理念を統合するすべての歴史的経験にするために、この古い戦争を終わらせなければなりません。

戦争の残酷さを忘れないことが「終戦」への第一歩です。

70年前、この地の自由と平和のために命を捧げた国連軍参戦勇士たちと、平和を愛する世界の人々すべての念願でもあります。

1950年6月25日、国連安全保障理事会は、戦争勃発10時間後に決議文を採択し「北朝鮮軍の侵略停止と38度線以北への撤退」を要求、朝鮮半島の平和と安全の回復のために史上初の「国連集団安全保障」を発動しました。

世界がすべて尊い犠牲を払いました。

今、私たちに必要なのは、こんにちの自由と平和、繁栄の根を張った多数の犠牲の記憶と、私たち自身のための誇りです。

独立のために犠牲となった精神が、護国英霊の精神につながり、再び民主主義を守り抜く巨大な精神となったように、6.25戦争で実践した愛国と、胸に込めた自由民主主義を、平和と繁栄の動力として生き返らせなければなりません。

それが本当に戦争を、記念するということです。

戦って、勝ち得た国の体制だ。だから守っていこうという点を強調した。

記念式典の様子。現地メディアYTNより。

このくだりでの内容のうち、「自由民主主義」、「反共」という言葉に韓国メディアから反応があった。

式典で文在寅大統領は「6.25の歌」を参席者とともに合唱。この歌詞の中に「自由民主主義」「反共」という言葉がある。これをスピーチでもそのまま引用した点が一部メディアから「北朝鮮に対する強い当てつけ」と書かれたのだ。

北朝鮮も国名で「朝鮮”民主主義”人民共和国」と記す。どちらが本物か。こちらだ、という話だ。

筆者も訳していて何気なく通り過ぎた言葉だった。いかにスピーチが細かく見られているかの証左だ。

ちなみに翌26日に大統領官邸側が記者団に対して「この2つの言葉は国を特定するもの(北朝鮮を指す)ではない」とコメントしたという。「反共」についても北朝鮮のみがターゲットではなく、世界の共産主義が対象なのだと。「朝鮮日報」は「反共演説の翌日に大統領官邸が”北朝鮮を特定するものではない”と水位調節」と報じた。

話は戦禍とその後の成長の振り返り、そして南北以外の国への言及へと続く。

戦争特需を享受した国々もある

国民の皆様。

6.25戦争で韓国軍の13万8千人が戦死しました。

45万人が負傷し、2万5千人が行方不明になっています。

100万人に達する民間人が死亡し、虐殺、けがの犠牲となりました。

10万人の子供が孤児となり、320万人が故郷を去り、1万人の国民が離散の痛みを体験しなければしました。

戦争から自由な人は一人もいませんでした。

民主主義が後退し、経済的にも悲惨な被害を受けました。

産業施設の80%が破壊され、当時の2年分の国民所得に達する財産が灰になりました。

社会経済の基盤と国民の生活の基盤が崩壊したのです。

戦争が終わった後も、南と北は長い年月、冷戦の最前線で対抗する国力を消耗しなければなりませんでした。我々の民族が戦争の痛みを経験する間、むしろ戦争特需を享受した国々もありました。

しかし、私たちにとって戦争前後の経済の再建は、植民地時代から抜け出すことと同じくらい険しい道でした。最初は援助に依存し、復旧と再建に力を使い、軽工業、重化学工業、ICT産業の順に育成し、先進国に追いつくまで丸70年を要しました。

6.25戦争を克服した世代によって、「漢江の奇跡」が成し遂げられました。戦争が終わった1953年の1人当たりの国民所得が67ドルに過ぎなかった大韓民国が、廃墟から立ち上がり国民所得3万ドルを超える世界10位圏の経済大国に発展しました。

(かつて)援助を受けた国から、援助を与える国となり、追いかける立場の経済からリードする経済に変貌しています。

新型コロナ克服の過程で、世界が注目する国となりました。

こんにち、国民が守り抜いた大韓民国は国民を守るほどに強くなりました。

平和を作り出すほどに強い力と精神を持ちました。

韓国軍は脅威をも防ぐ力があります。

徹底した態勢を整えており、私たちは、二度と一寸たりとも領土、領海、領空を侵奪されることはないでしょう。

私たちは、平和を望みます。

しかし、誰であれ私たち国民の安全と生命を脅かす場合、断固として対応します。

私たちは、全方位的にいかなる挑発も容認しない強い国防力を保有しています。

堅固な韓米同盟のなかで、戦時の作戦統制権の転換もぬかりなく準備しています。

我々は自分たち自身の力に基づいて、必ず平和を守って作っていくことでしょう。

米中の駆け引きのなかで、文在寅政権の韓国は居場所を見つけているとも言われるが、ここでは米韓同盟を強調した。

いっぽうで”戦争特需を享受した国々”、”植民地時代から抜け出すこと”とは何のことか。

日本のことだ。

1950年からの朝鮮戦争で、日本は戦地に向かう米軍、戦場にいる米軍からの物資発注が多く入り、特需の恩恵を受けた。当初は土嚢、軍服、天幕などの軍事用品業者の売上が伸びた。51年7月の休戦会議開始後はセメント・鋼材など韓国復興用の資材の発注が増えた。これが戦後の経済復興の礎になった。

この点への言及について、いくつかの媒体が反応を見せた。

「日本を迂回批難、なぜ?」(韓国経済新聞)

同紙は「朝鮮戦争の最大の恩恵国は日本であることに間違いはない」とした。さらにこう続けた。

「日本は昨年2月のハノイでの第2回米朝首脳会議が決裂し、6月の第3回目が成果なしに終わるや、7月になって電撃的に韓国に対する核心素材部品の輸出制限処置に出た。南北とアメリカによる朝鮮半島の平和プロセスが構造的な困難に処した時期を巧妙に狙った、という指摘が出た」

昨今の「ボルトン暴露本」の内容も影響があるという。「書籍の内容は100%信じられるものではないが、日本が南北とアメリカの和平プロセスに非常に否定的だったことが分かる」とした。これもあり「朝鮮半島の分裂と対立を(何かを仕掛ける)機会としたことへの不快感の現れだ」と分析した。

「文大統領はなぜ”戦争特需国家”に言及したのか」(ハンギョレ新聞) 

こちらもまた、「暴露本」の内容が背景にある。日本は「南北とアメリカ(つまり自らが除外され)、朝鮮半島の和平プロセスが進むと、自分たちが冷戦の局面に丸腰で放り出されることを望まなかった」。この状況下で韓国を邪魔するために「ホワイト国除外」の手に出たと分析できる。そのことに対する不快感だと。

この後、スピーチは締めくくりへと向かう。

GDPは北の50倍、貿易額は400倍になった

尊敬する国民の皆様。

参戦有功者と遺族の皆様。

私たちは戦争に反対します。

私たちのGDPは、北朝鮮の50倍を超え、貿易額は北朝鮮の400倍を超えています。

南北間の体制競争はもうずいぶん前に終わりました。

私たちの体制を北朝鮮に強制するつもりもありません。

私たちは平和を追求し、ともによい暮らしをしていこうとしています。

私たちは常に平和を介して、南北共存の道を見つけることです。

統一を話す前に、まず仲の良い隣人になることを願います。

私たちは、戦争を行いながら初等・中等の「避難学校」を立て、いくつかの地域で「戦時連合大学」を運営しました。

(戦時中にも教育を続けたとの意)

私たちは、未来を準備し、平和を守る力を養い、誰も見下すことができない国を作りました。

こんにち、私たちの息子と娘(次世代)は「ポストコロナ」の時代を誰よりも早く準備し、世界をリードする大韓民国の主人公になりました。

戦争を経験した親の世代と新しい70年を開いていく後世の両方に対し、平和と繁栄の韓半島の実現は必ず成し遂げなければならない責務です。

8,000万同胞双方の宿願です。

世界史で最も悲しい戦争を終わらせるための努力に北朝鮮も大胆に前に出ることを望みます。

南と北、全同胞が経験した戦争の悲劇が、後世に共同の記憶として伝わり、平和を作っていく力になることを願っています。

統一を語るには、まず平和を成し遂げなければならず、平和が長く続いてこそ、初めて統一の入り口を見ることができるでしょう。

南北の和解と平和が世界に希望として伝わる時、護国英霊たちの崇高な犠牲への、本当の報いになると信じています。

ありがとうございました。

韓国メディアは「平和のために北朝鮮も大胆に前に出てほしい」という点に注目した。南北関係が硬直するなか、北朝鮮へのメッセージを送ったのだと。

日本から最も注目すべきは「私たちの体制を北朝鮮に強制するつもりもありません」「統一を話す前に、まず仲の良い隣人になることを願います」というフレーズだ。

これは、統一よりもまずは、別々にそれぞれが存在することを認めましょう。ということ。現実的な視点がよく現れている。

いっぽう、「北への言及」は保守系媒体にはやはり「足りない」と映ったようだ。東亜日報はスピーチの締めくくりの区切りについて「統一以前にいい隣人になろう……非核化は論じず、南北共生を強調」と見出しを打った。やはりこの機会では強く、非核化の要求を言うべきではなかったかと。

また、昨年8月には文在寅支持団体が目の敵にすることもあった「朝鮮日報」は前出の「反共演説の翌日に大統領官邸が”北朝鮮を特定するものではない”と水位調節」の記事でこう記している。

「やはり北朝鮮を刺激しないことを考えている、と分析できる」

そして、かつてはこんな発言をしていたとも紹介した。

「文大統領は野党代表時代から対北友好政策の基本を変えたことがない。しかし北の挑発や安保問題で政治的な攻撃を受けた場合、強硬発言を度々行ってきた。17年4月の大統領選挙時には『朝鮮半島に再び惨禍が広がるのであれば、私自ら銃を持って出ていく』『金正恩政権が自滅の道を歩まないよう警告する』と発言した」

北朝鮮への”強気”の部分は体制の優位性を数字を示してはっきりと口にした点だった。そういったかたちでバランスを整えようとしたスピーチではなかったか。

(了)

吉崎エイジーニョ ニュースコラム&ノンフィクション。専門は「朝鮮半島地域研究」。よって時事問題からK-POP、スポーツまで幅広く書きます。大阪外大(現阪大外国語学部)地域文化学科朝鮮語専攻卒。20代より日韓両国の媒体で「日韓サッカーニュースコラム」を執筆。「どのジャンルよりも正面衝突する日韓関係」を見てきました。サッカー専門のつもりが人生ままならず。ペンネームはそのままでやっています。本名英治。「Yahoo! 個人」月間MVAを2度受賞。北九州市小倉北区出身。仕事ご依頼はXのDMまでお願いいたします。

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