山本量子さんの言葉を振り返って感じること。そして、感じ取れなかったこと。
2022年4月22日午後3時35分。毎日放送社員食堂。
初めて放送で病気のことを明かされたタイミングで、ヤフー拙連載でお話をうかがいました。
今の思い、今の自分をストレートにぶつけるラジオというメディア。それが大好きで、それを大切に思っているからこそ、病気のことは話しておかないといけない。でも、話をしたくもない。
楽しく、バカバカしく、面白く聞いてもらいたいのに、病気のことを話すとそれがやりづらくなる。でも、何も言わずに休んでも「この人大丈夫なの?」という空気は必ず出てくる。どうしたものか。
拙連載取材当日は、インタビューというよりも相談に近い場となりました。何をどんな風に話すのが妥当なのか。僕も単なる聞き手ではなく、力いっぱい自分なりの答えを返す。そんな作戦会議のような時間となりました。
「話すだけ話して『やっぱり、これを世に出したくない』とか『言わないほうが正解だと思う』となったら、一ミリも遠慮なくおっしゃってくださいね。このような領域は、ご本人の思いだけが正解。そぐわないことをやる意味はそれこそ一ミリもありません。本当に、本当に、遠慮なく」
取材中、何度この言葉をご本人に渡したことか分かりません。それくらい、本当に難しい領域ですし、ご本人も迷いの中で言葉を紡いでらっしゃったように感じました。それだけ、ラジオという場を愛してらっしゃる。それを強く感じました。
通常の拙連載の取材時間を大きく超える約2時間お話をうかがいました。書く側として、状況を理解しておかないといけない部分もあるので、心苦しいことながら、リアルな病状もうかがいました。とにかく正味の話を聞きました。
あとは文章としてどう組み立てるか。それはこちらの仕事です。ご本人が全く口にしていない言葉、思ってもない言葉を書くことはありませんが、どこに何をどんなトーンで配置するのか。それはこちらの裁量です。
「関西AМラジオ随一の人気アシスタント・山本量子が病を明かした理由と今後への思い」というタイトルをつけ、原稿はご本人のこの言葉で締めくくりました。
ラジオほど何十年もしゃべることができる媒体はないと思いますし、なんとかこれからも末長くおしゃべりができたらなと。「このオバチャン、まだしゃべってんのかい!」と言われるくらい、ラジオ臭たっぷりの存在になっていけたらなと思っているんです。
実際におっしゃった言葉です。そして、僕なりの願掛けとして、僕なりの祈りとして、僕なりの言霊として、この言葉を選びました。
そこからまた休みの期間がありつつ、また復帰して迎えた今春。4月19日に同じく毎日放送社員食堂で拙連載用のインタビューをさせてもらいました。
仕事に復帰する。このワードは非常にポジティブな響きを持ちます。ただ、何もかもクリアして戻ってきたわけではない。まだ闘病中であり、不安も大きい。またしても、そんな中で何を話せばいいのか。再び、迷いの中で言葉を探していくような取材となりました。
その中で繰り返してらっしゃったのが「感謝しかない」ということでした。
言葉にすると、ものすごく平べったくなってしまうんですけど、本当に、本当に感謝しかないんです。心の底から思っていることなんですけど、言葉にすると普通になっちゃうんですよね(笑)。でも、それが本当の気持ちなんです。でも、でも、文字になると面白くないですよね(笑)。ごめんなさい
記事をアップすると、すぐにお礼のメールが届きました。私信なので詳らかにすべきではないのかもしれませんが、ニュアンスとして以下のような内容でした。
読んだら自分のことなのに涙が出ました。あんな話しかできなかったのに、ここまでくみ取っていただきありがとうございます。
自分のことなのに読んで涙が出る。書き手冥利に尽きる言葉です。実に、うれしい言葉です。
ただ、それと同時に、そこまで心のひだが深く繊細になっている。ということは、どういうことなのか。
そこが気になりもしましたが根っこまで思いをやることができず、そこについてしっかりとお話をうかがうタイミングも胆力もないまま再度お休みに入られ、今を迎えてしまいました。悔いてどうなるものでもないし、お話をうかがってどうなるものでもないが、なんとも言えぬやりきれなさもあります。
この原稿を書くためにメールのやり取りを振り返りました。私が山本さんの番組を聴いて感じたことをお送りした6月5日のやり取りが最後になっています。
内容はまさにアホみたいなことで、山本さんのポップな絵文字でやり取りが終わっています。
アホみたいでもなく、ポップでもない現実があったはずです。でも、アホみたいで、ただただ面白いだけのメールを相手に返す。
自分の思慮のなさを悔いるとともに、もっと、こんな人とラジオをしてみたかった。その思いがただただ、ただただ、わき上がってきます。