ほっしゃん。が星田英利になった理由。そして「死神を振り払うために」書いた小説に込めた今
「R-1ぐらんぷり2005」優勝など輝かしい実績を持つ星田英利さん(53)。2014年に芸名のほっしゃん。から本名に戻し、今は俳優業に軸を置いています。軸足を変える中での思いも込めて綴った小説「くちを失くした蝶」(KADOKAWA)を9月3日に上梓。書くという新たな表現方法にも一歩を踏み出しました。芸人時代に感じた自らのウイークポイント。そして、今考える自らの生きる意味とは。
今回小説を出版させてもらったんですけど、最初から本にしようと思って書き始めたわけではなかったんです。
一言で言うと、命を守るため。まとわりついてくる死神を振り払うために綴ったものでした。
今は役者の仕事を軸にしているんですけど、芸人さんの仕事に比べて間隔が空くというか、毎日のように稼働するものではない。そうなると経済的にも楽ではないですし、家族もいる。その大変さは以前から感じていたんです。
それが一気に高まったのが新型コロナ禍でした。仕事が完全になくなる。そうなると、収入もストップする。でも、家族はいる。お金がないでは済まない。
自分一人だったら我慢でもなんでもしてやり過ごせばいいんですけど、家族がいるとそうはいきません。しかも、その状況を家族に知られたくもない。これはね、キツかったです。
シャワー一つ浴びるのにも「これを浴びるということは水道代もガス代もかかるもんな…」とためらうくらいのレベルでした。
そういう思いが重なって、何かしておかないと死ぬことばかり考えてしまうんです。本当にリアルな話。
ただ、自ら死を選んだとなったら、残された家族もショックを受けるだろうし、吉本興業にも迷惑をかけてしまう。だったら、自死ではないけど“何かの折”に死なないかなということを考えてしまってました。
このまま階段から足を滑らせて転げ落ちたら死ぬのかなとか、家に強盗が入ってきたらどうなるんだろうとか。そうやって死んだら「惜しい人を亡くした」になるんじゃないか。ホンマにそんなことばっかり考えてました。24時間が本当に長かったです。
そんな中、遺書じゃないですけど、家族に言い残しておいたほうがいいことを綴っておく。それを始めたんです。
今の思い。これまでに思ってきたこと。そういうことをしだすと、不思議とそれをすることに生きる意味を見出すようになってくるというか、そんな感覚が生まれてきました。
ただ、逆に、綴っていないと死神につかまってしまう。死神を追い払うために描き続ける。書きたいものを全部完成させたら、それはそれで死んでしまう。次はそんな思いも出てきて。
自分の内面を書き始めるうちに、それが小説みたいになっていったんですけど、書き終わったらダメだと思って、何回も何回も手直しをしてもいました。ゴールしないように。
そうやって数カ月かけて、まだ手直ししつつもほぼ仕上がった小説をマネージャーに「こんなんできたんやけど」と渡したら、出版社さんに掛け合ってくれて、結果的に本になったんです。
出版する気なんて全くなかったものだったんですけど、ありがたいことに周りの方々が動いてくださって本という形になった。実際に出来上がった本を見た時、あれは何なんでしょうね、自然と涙が出てきたんです。本屋さんに渡すため何冊かにサインをするという中で初めて本を手にしたんですけど、マネージャーもいたのでカッコつけたものの(笑)、それでも涙が出てきました。
子ども、なんでしょうかね。子どもが生まれた感覚に近かったのかもしれません。
自分の中にあったものが本という形になって別のところにある。自分の血肉がもう一つある。そして、もう自分の手を離れてしまったので、考え直したり、書き直したりという“しつけ”的なことももうできない。でも、本として独り立ちしている。うれしさとさびしさなんですかね。本当にいつの間にか泣いてました。
収入的には芸人の時に比べると今の方がずっと大変ではあるんですけど、自分が進んでいる線路を変える。ここには後悔はしていません。
「これだ!」という決定的な何かがあったわけではないんですけど、芸人をしていて痛感したのが自分の瞬発力のなさだったんです。バラエティーの中で丁々発止のやり取りができないわけじゃない。でも、とびっきりではない。それは明確に分かるわけです。
自分は野生の動物に近いというか、何かをやれと言われたらできない。10年くらい、NHKのドキュメンタリーとかが追いかけてくれたらナチュラルに面白いことになっている自信はあるんですけど(笑)、それはなかなかあり得ないですからね。
芸人さんは「これをやってください」と言われた時に見せる芸を持っている。自分はそことは違うのかな。それが今の道を歩む最初のタネみたいなところでした。
そして、昔から役者の仕事をさせてもらうこともあったんですけど、そこで何となく自分に合っているなという感覚を覚えてはいたんです。
どんな役でも、場面場面でそれまで自分が生きていたことを投影できる。自分の中にあるものをじっくり見返して、その場面ではどうするのがいいかを考えて作っていける。その時間の流れのほうが、自分にはいいのかなと。
あと、役者のメンタルになっていたことが、コロナ禍で仕事がなくなった時に、まだ自分を救ってくれたのかなとは思っています。
これが芸人のメンタルのままだったら、もっと苦しんでいたんじゃないかなと。芸人である以上、どれだけしんどくても「そんなもんに負けず、ポップにカラッといないでどうするんだ」ということを自分に強いていたんじゃないか。そうなったら、もっとしんどくなっていたんじゃないか。こんなことは想像でしかない領域ですけど、それも思ったりもします。
今、思っているのが“まぎれたい”ということなんです。
これはすごく難しいことでもあるんですけど、しっかりと表現しつつ「え、どこにいたの?」と言われるような芝居がしたいんです。
お声がけをいただいて、自分がやりたいお仕事をどんどんさせてもらう。これが理想ですし、そうなると、どんどん役柄的にも存在感も増していくのが普通なのかもしれませんけど、それでも「どこにいてたん?」と言われる芝居をする。僕というフィルターを取り除いて、純粋に役を味わってもらう。それが理想だなと。
ただ、変に偉そうぶるわけではなく当たり前のこととして、僕という存在があってオファーをいただくわけですし、本にしても「僕という人間が書いてますよ」ということで、周りの方々も話を進めてくださるわけです。
それは本当によく分かるし、商売としたら、どこの誰が書いたかも分からないものを本にして売っていこうとはならないのも当然です。でも、僕としたら自分の要素を消して、本当は今回の本も名前を伏せて出したかった。それが心底の思いだったくらい、今は“まぎれる”ことが自分の中で大きなテーマになっているんです。
名前をほっしゃん。から本名に戻したのも“まぎれる”ためというのが大きくて。
作品のエンドロールに「ほっしゃん。」という名前が出ると、やっぱり文字面的にも目立ちますし、その時点で「あ、芸人が出てたのか」というフィルターがかかってしまう。そうすると作品の世界観が崩れてしまうんじゃないかと。その思いもあって、役者の仕事が増えていく中で名前を変えたんです。
もう一つ奥まで考えると“まぎれる”ことは「できないこと」とどこかで分かっているから、目指しているのかもしれませんね。目標を達成したら終わってしまう。だからこそ「できないこと」を目指す。よく「夢はアメリカのアカデミー賞で助演男優賞をとることです」と言ったりもしてるんですけど、これこそ絶対にかなわないことだから口にしているのはあると思います。
とけない知恵の輪をずっとやっておく。そうじゃないとダメ。そんな感じが今なのかもしれませんね。とけない知恵の輪、これは面白くないですよ(笑)。全然スッとしないですから。
でも、それが今の自分の形なんだと思いますし、それでこそできることがあるのかもしれないし、自分として進んでいければと思っています。
(撮影・中西正男)
■星田英利(ほしだ・ひでとし)
1971年8月6日生まれ、大阪府出身。吉本興業所属。NSC大阪校9期生。91年、同期の宮川大輔とお笑いコンビ「チュパチャップス」を結成する。99年に解散後はピン芸人として活動。2005年に「R-1ぐらんぷり」で優勝。14年に芸名をほっしゃん。から本名の星田英利に改名する。現在は役者を中心に活動。初の小説「口を失くした蝶」を9月3日に上梓した。