イラク戦争開戦から15年「希望なんかどこにもない」―続く苦難、見放された避難民たち
今日、3月20日で、米国を中心とする有志連合が、国連安保理決議なしの先制攻撃をイラクに対して行った、イラク戦争の開戦から、15年となる。長く独裁体制を敷いていたサダム・フセイン政権は崩壊したが、イラク情勢は今なお混迷を続け、その未来は依然、不透明だ。
〇死者29万人近く、国内避難民230万人
「イラクのフセイン政権が大量破壊兵器の開発を続けている」-米国のブッシュ政権(当時)は、イラクや同国から大量破壊兵器を提供されたアルカイダが米国への攻撃を行う可能性があるとして、世界各国が懸念を表明、国連の大量破壊兵器査察も完了していない中、イラク攻撃を強行した。その後、イラクでの大量破壊兵器は見つからず、当の米国もその主張に重大な誤りがあったと認めたことは、本稿読者の皆さんもご存じのことだろう。
あれから、15年。イラク戦争によって、一体どれだけの人々が殺されたのか、正確な統計は今なお無い。イギリス・ロンドンに拠点を置くNGO「イラク・ボディー・カウント」が、報道された死者の数をまとめ続けているが、同団体によれば、2003年3月から現在まで、約18~20万人のイラクの民間人が犠牲となったとしている。イラク軍兵士や武装勢力など戦闘員も含めれば、犠牲者数は約28万8000人だという。しかも、これらの数字はあくまで報道されたものの統計であり、報じられていない犠牲もあること、負傷が原因での死亡を考えれば、実際の犠牲者数はさらに多いのではとの指摘もある(慶應義塾大学・延近充教授など)。
IS(いわゆる「イスラム国」)の脅威やIS掃討戦によるイラク国内の避難民は約半数が、避難前の地域に帰還したものの、国連人道問題調整事務所(OCHA)のまとめによれば、約230万人がまだ帰還できないままだという。その理由としては、IS残党の武装勢力や政府側の民兵組織の脅威や、仕掛け爆弾などが街中に残されたままであること、戦闘で街が破壊しつくされ、住居や電気・水道などの社会インフラが失われたままであること等があげられる。OCHAによれば、国内避難民および、イラク周辺の難民への支援のため、5億7,800万ドルが必要だとされているが、集まっている資金はわずか4%に過ぎない。
現地治安情勢の展望も不透明なままだ。昨年7月、イラク第二の都市がISから解放されるなど、IS掃討戦でイラク政府軍は勝利を目前としている。一方で、IS残党によるとみられる襲撃やテロは続いているのが、現状だ。また、イラクでは今年5月、総選挙の実施が予定されていることも、不安定要素だと言える。この間の実例から観ても、選挙に伴う暗殺やテロが相次ぐことは避けられないだろう。イラクでは、米軍の占領政策やフセイン政権後の新体制のイラク政府の失敗により、宗派間・民族間の対立が極めて深刻なものとなっている。ISがその支配領域を急速に広げたのも、イラク政府から迫害を受けていたり、復興から取り残されている層が強い不満を抱えていたことが、その背景にあった。今年5月の総選挙でも、宗派・民族間の融和や、汚職追放などが最大の政治課題であろうが、残忍な拷問・殺害等の人権問題を引き起こしてきた民兵組織「ハシドシャービー」をイラク政府軍に正式に編入するとするイラク政府の方針は、強い反発を招いている。
〇破壊と死、絶望の15年
筆者は、イラク開戦直前の2002年12月以降、イラクでの現場取材を9回行い、現地の情勢を注視してきた。開戦前、フセイン政権の支配下で、人々に言論の自由は無かったが、夜遅くでも出歩けるなど、治安は極めて良かった。また、米軍のイラク占領の開始直後の状況も、現在のイラクの状況から考えれば、ある意味、牧歌的ですらあったとも言える。
かつてのイラクは、少なくとも、違う宗派であっても互いに隣人として仲良く暮らし、結婚することも珍しくなかった。それが強い不信感を抱え互いにヘイトスピーチを繰り返し、実際に殺し合うようになってしまい、宗派が異なることを原因とした離婚も増えている。フセイン政権崩壊直後、筆者がイラク首都バグダッドで取材した時のことを、今、改めて思い返す。フセイン政権時の拷問で指を切断されたという男性が、その手を見せながら、こう言った。「フセインが去ったことは、もちろん嬉しいよ。でも、もっと厄介な奴ら(=米軍)が来てしまった」。
イラクで米軍がおこなってきた所業は、街ごと包囲しての無差別攻撃や、人々を不当拘束し拷問や虐待をくり返すなど、明確に戦争犯罪だった。だが、その後のイラク治安部隊や軍による人権侵害は「まだ米軍の方がマシだった」とイラクの人々に言わしめるほど、凄まじいものだった。そして、イラク政府への憤りから、急速に勢力を伸ばしたISが行ってきた人々への抑圧、拷問と処刑も、特にヤジディ教徒やキリスト教徒に対するそれは、まさにこの世の地獄と言えるようなものだった。そのISを掃討するための空爆で、ISとは関係ない民間人も殺され続けた。
この15年の間、イラクの人々は常に、殺され、拷問され、その住まいを追われる、ということに直面し続けてきた。筆者の友人の、あるイラク人男性は「希望なんか、どこにもない。そんなものを持つには、僕らが失ったものはあまりに大きすぎた」と全てに諦めきった表情で言う。その彼が再び心からの笑顔を取り戻すような日がいつか来ることを、イラクに真の平和が訪れることを、願わずにはいられない。
〇日本も無関係ではない
日本では、自衛隊の撤退以後、イラクへの人々の関心はほとんどなくなってしまったかのように、筆者には思える。ただ、イラク戦争を日本政府が支持したこと、航空自衛隊が米軍の人員や物資を輸送したこと、在日米軍がイラク戦争へと投入されたこと、その人権侵害の深刻さが指摘されていたイラク政府に経済的な支援を続けたこと等という、客観的事実から言っても、イラクの人々の15年の苦しみと、日本は無関係ではない。イラク戦争15年という節目にあたり、筆者も呼びかけ人の一人であるイラク戦争の検証を求めるネットワークは、NGO関係者やジャーナリスト、平和運動家などのメッセージを公開している(関連ページ)。一人でも多くの人々にご覧いただければ幸いだ。
(了)
*本記事での写真は、全て筆者の撮影。無断使用を厳しく禁じる。