なぜ太陽節と呼ぶ? 北朝鮮きょう最大の祝日「金日成氏生誕記念日」迎える 脱北者が語る「本音」とは
きょう15日、北朝鮮が国家最大の祝日「太陽節」を迎える。
故金日成主席が1912年4月15日に誕生して、今年は110周年だ。
北朝鮮では例年「軍の創建日」「党の創建日」などの国家記念日にパレードを行い、その前後に"祝砲"あるいは"内外に存在感を示す"目的でミサイル発射などを多く行ってきた。
こういった事情から、日本のニュースでも「太陽節」の言葉を多く見聞きするのではないか。その名前の由来や脱北者による「本音」を。
由来は「お名前そのものが太陽」
北朝鮮ではもともとこの日は公休日ではなかった。
1962年の金日成主席の50歳の誕生日に臨時公休日となり、68年に正式な公休日となった。その頃まではまだ「普通の休日」といった雰囲気だったという。
その後74年に中央人民委員会で4月15日が「民族最大の名節」に制定された。「名節(ミョンジョル)」とは、旧盆や旧正月などのことだ。農村文化や先祖崇拝に由来する朝鮮半島の伝統的記念日。それよりも「金日成生誕記念日が重要」と決めてしまったのだ。
この時の委員会ではこんな議決理由が宣言されたという。
「全体の朝鮮人民の一貫した念願と忠誠の心を込めて、偉大な首領様が創始された人類解放、階級解放、民族解放に関する永生不滅の主体思想をこの地に輝かせて実現し、それが我々の革命に積み上げられた業績として道を照らすために、この日を4.15節と命名する」
その後、金日成主席は1994年に逝去。3年の喪に服した後の1997年から再び「4.15節」に変化が起きた。
この年の9月から西暦以外に「主体歴」なる年号を採用。金日成主席が生まれた1912年を元年とし、年号をカウントするようになった。西暦2022年は、主体暦111年にあたる(元年は”主体1年”と計算するため)。
これと合わせ「4.15節」は「太陽節」として格上げとなった。この時、息子たる金正日氏が「首領様のお名前はすなわち太陽だ。そのため4.15節を太陽節と命名する」としたとされる。のみならず金日成主席はもともと「太陽」とも呼ばれており、それ以前にも「太陽節」と一般的に言われていたとの説もある。
またこの「太陽節」制定について「韓国日報」は「金正日体制の正当性を付与するため、"唯一領導者"である金日成の偶像化作業の締めくくりだった」とする。亡くなった7月8日(1994年)の追悼よりも生まれた日を盛大に祝うという面もあった、と論じる韓国メディアもある。
イベント目白押し、脱北者は「正直…」
この日に向け、平壌は祝賀ムードに包まれる。全国の機関、企業所、団体には国旗が掲げられ、文化行事などが行われる。
「韓国民族文化大百科事典」には北朝鮮のこの祝日をこう説明している。
「展示会、体育大会、歌を歌うイベント、主体思想研究討論会、史跡の参観、決議大会などが行われる。例年2日間ほど休みになる。4月の春親善芸術式典をはじめとして平壌芸術祝典、金日成花展示会、切手展示会、万景台体育祝典、朝鮮人民軍青年軍人雄弁大会、国家図書展覧会、万景台賞国際マラソン大会と全国青年万景台"故郷の家を尋ねる行軍"などが行われる」
まさにイベント目白押し。現地の人たちはパレードへの参加、掃除などの奉仕活動を行うことになる。
この点について、4月9日の地上波MBC「統一展望台」に出演した脱北者チョ・チュンヒ氏(グッドパフォーマンス研究所/北朝鮮時代は農畜産系の公務員)がこんなコメントをしている。
「金日成のイメージは、日帝植民地統治から国を救い、本当に貧しい時期から初めて一定の生活水準向上という成果があったため、メインのパレードへの参加はあまり負担ではありませんでした」
筆者が取材したことのある他の平壌出身の脱北者からは「年に何度かある大型パレードのリハーサル参加は本当にキツかった。毎日のように夕方から参加させられるので」という声も多く聞いたことがある。あの"沿道の人たち"も当日を迎える準備に勤しむのだ。そういった苦痛のなかでも金日成氏は別格だった、ということか。
ただしチョ氏はこんな"本音"もオンエアで口にしていた。
「しかし最近はこの日に向けて派生する行事も多く、この点については面倒だと懐疑的に見る人もいますね」
(了)