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セイウンコウセイが高松宮記念(GⅠ)に5年連続で出走できる理由とは?

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
今週末の高松宮記念(GⅠ)に5年連続出走を懸けるセイウンコウセイ

獣医の父の下で育ち高校で乗馬を始める

 今週末は高松宮記念(GⅠ)が行われる。この快速王決定戦で、5年連続出走という快挙に挑む馬がいる。

 セイウンコウセイだ。

 2017年の覇者を管理するのは美浦・上原博之調教師。1957年1月生まれで現在64歳のベテラントレーナーはどうしてこのような偉業に臨めるのか。彼の半生を振り返り、セイウンコウセイ自身の現状も語っていただいた。

上原博之調教師。写真撮影の時のみマスクを外していただきました
上原博之調教師。写真撮影の時のみマスクを外していただきました

 千葉県で生まれ茨城で育った上原。幼少時は空手や剣道、野球にも興じた。

 「いわゆる“ON世代”ですからね。勉強はとくに好きでも嫌いでもなかったけど、野球は好きで皆で楽しんでいました」

 当時から好きな事がもう1つあった。父の博次は獣医師。その関係で家には様々な小動物がいた。

 「犬猫にウサギや鳥など、たくさん飼っていました。だから動物はずっと好きでした」

 そんな動物好きな性格もあって高校で馬術を始めた。するとメキメキと頭角を現した。東日本大会を優勝し、国体でも僅差の準優勝。馬術界にその名を轟かすと、大学でも同様の活躍を続けた。関東大会馬術選手権で優勝するなどし、3年生、4年生と2年連続でキャプテンを務めた。

幼少期は野球に興じたと言う(本人提供写真)
幼少期は野球に興じたと言う(本人提供写真)

競馬と出合い、調教師を目指した理由

 乗馬のトップクラスだった彼が競馬と出合ったのは「乗馬インストラクターの資格を取得しようとしてイギリスへ行った時」の事だった。現地で馬術のエキシビションに出場すると、その会場が競馬場だったのだ。

 「私の人生において初めての競馬場でした。すごく綺麗で驚きました」

上原が目を奪われたと語る緑の広がる丘陵地に建てられたグッドウッド競馬場
上原が目を奪われたと語る緑の広がる丘陵地に建てられたグッドウッド競馬場

 競馬発祥の地でも美しい事で知られるグッドウッド競馬場だった。モダンなスタンドと丘陵地の緑に広がるコースに目を奪われると、これが人生の転機となった。大学を卒業後は乗馬クラブを併設するホテルに一旦就職したが、導かれるように競馬の世界に転職。1980年の暮れから美浦トレセンでのキャリアをスタートすると、6年後にはイギリスで研修する機会を得た。そこで知った言葉が再び上原の人生を大きく変えた。

 「“ハッピーアンドフレッシュ”という考え方を教わりました。『馬を常に幸せ(ハッピー)で新鮮(フレッシュ)な状態にしなければいけない』という意味でした」

 帰国後もその信念を通そうと思った時、気付いた事があった。

 「その考えを厩舎に浸透させようと思ったら自分が調教師にならないといけないと思いました」

 そこで一念発起。調教師を目指すと93年、ついに難関を突破。翌94年3月、当時37歳の若さで開業した。

イギリス研修時、伝説の名騎手レスター・ピゴットと(本人提供写真)
イギリス研修時、伝説の名騎手レスター・ピゴットと(本人提供写真)

ダイワメジャーから8年、新たに現れた看板馬

 開業後は3年目に早くも27勝を挙げると、その後もコンスタントに成績を残しているが、なんといっても彼の名を全国区にしたのはダイワメジャーの存在だろう。この2004年の皐月賞馬はその後、06年の天皇賞(秋)や07年の安田記念を制すなど、引退するまでにGⅠを計5つも勝利。07年にはドバイへ遠征しドバイデューティーフリー(現ドバイターフ、GⅠ)でも3着に善戦してみせた。

ドバイに遠征した際のダイワメジャー
ドバイに遠征した際のダイワメジャー

 そして、そのダイワメジャーがターフを去ってから8年後。厩舎に現れた新たな看板馬がセイウンコウセイだった。

 15年にデビューした同馬は、最初の1勝を挙げるのに7戦を要した。しかし、そこからは一気に素質を開花。その1年後には高松宮記念を制覇。GⅠホースになってみせた。

 一気に頂点に上りつめた栗毛の牡馬だが、その後、先頭でゴールインしたのは18年の函館スプリントS(GⅢ)のみ。それでも高松宮記念には毎年、出走。優勝した後も6、2、7着と好勝負を繰り返している。東京競馬場では苦戦する傾向にあるのに、同じ左回りでも中京なら好走出来る要因を、指揮官は次のように分析する。

 「東京や中山は最後の急坂がこたえるのか、結果を残せません。加えて関西圏の競馬は前日輸送して一泊後にレースなのも合っているようです。当然、今回もそういう形で臨みます」

18年京王杯SC出走時のセイウンコウセイ。東京コースでの成績は今一つで、この時も12着に敗れている
18年京王杯SC出走時のセイウンコウセイ。東京コースでの成績は今一つで、この時も12着に敗れている

1度使われた後の現在の状態

 前走後の中間は西山牧場阿見分場に放牧され、帰厩後の「雰囲気は良い」と言い、更に続ける。

 「前々走のセントウルSは蒸し暑い日で、競馬もキツい形だったので少しダメージがありました。その後、間を開けて立て直したので、前走時は調教も動いて良い状態に戻りました。1度叩かれてグンと良化しているかと言われると、8歳という年齢のせいか、正直、そこまでではないです。でも、この馬なりに良くなってはいますので、是非、今年も好勝負をしてほしいです」

 また、同馬を担当する現在54歳の厩務員、矢野豊の力も大きいと語る。

 「経験豊富な矢野(豊)厩務員はもくもくと仕事をするタイプ。彼のお陰もあって馬はいつも落ち着いています。そういうのもあってセイウンコウセイは息長く活躍出来ているのだと思います」

セイウンコウセイと矢野豊厩務員(コロナ禍前に撮影)
セイウンコウセイと矢野豊厩務員(コロナ禍前に撮影)

5年連続出走できた理由と開業初期の活躍馬との関連性

 長期にわたって活躍出来ているのは、幼少期から動物が大好きだったという性格とイギリスで教わった“ハッピーアンドフレッシュ”の精神とが両輪となって上原を引っ張っているからだろう。しかし、同時に厩舎の初期の活躍馬からはこんな事も教わったと言う。

 「開業後はなかなか勝てない日が続きました。そんな時に『ハッピーアンドフレッシュにさせなければいけないのは間違いないけど、同時に、ペットではないから鍛えなくてはいけない』という事に気付かせてくれた馬がいました」

 それが厩舎に初勝利と、初重賞制覇も届けてくれたノーブルグラスだった。

厩舎に初勝利と初重賞制覇も届けてくれたノーブルグラスと。
厩舎に初勝利と初重賞制覇も届けてくれたノーブルグラスと。

 「スッと先行出来る脚があって、前で競馬をして押し切れる馬でした。レースぶりはセイウンコウセイと似たタイプですね」

 先述した通り、毎年コンスタントに数字を残している上原だが、ノーブルグラスがマークした厩舎の初勝利は、開業後、4ケ月が過ぎてからと少々苦戦をした。そして、現在、それ以来と言ってよいかもしれない苦戦をしいられている。開業29年目で重賞を28勝もしているのに、今年は珍しくまだ1勝も出来ていないのだ。ノーブルグラスと似たタイプのセイウンコウセイが、同じように扉を開いてくれるだろうか。老兵と思わせぬ活躍を期待したい。

5年連続の高松宮記念出走に臨むセイウンコウセイ
5年連続の高松宮記念出走に臨むセイウンコウセイ

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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