高校時代、今宮健太と甲子園!「元球児」歌手の下松翔がヤフオクドームで始球式
今宮と出会い、プロの歌手を志した
時を経て、親友は、プロの一流選手となりショートを守っている。
道は違えども彼自身も「プロ」となり、同じグラウンドのマウンドに立つまでになった。
4月26日、ヤフオクドームでのソフトバンク×日本ハムで始球式を務めたのは、歌手の下松翔だ。
1991年生まれの下松は、長崎県の鷹島町の生まれ。離島出身のシンガーだ。少年期は毎週土日フェリーに乗って本土で野球に打ち込んだ。高校は大分県の強豪で知られる明豊高校へ進学。そこで運命の出会いがあった。
「中学のチームも先輩にプロ野球選手が出たほどのクラブチームでした。もちろん僕も将来の夢はプロ野球選手でした。だけど、高校1年生のときにそれは諦めました。当時同じ投手だったアイツを見たら、僕はもう無理だな、と思い知らされましたから」
それが、現在ソフトバンクのレギュラーとしてばりばり活躍中の今宮健太だった。
「当時から歌うことは好きでした。歌手になりたいという思いはありました」
本格的に野球をやったのは高校まで。3年生の時には志願してチームのマネージャーを務めた。
「高校野球を引退した後も、一日300球投げました。あれが最後ですかね」
夏の甲子園が終わってからも下松は、プロ入りする今宮の練習パートナーとして、打撃投手を務めるなどした。当時の新聞記事によれば、今宮は「チームの中で唯一愚痴を言える相手だった」と下松のことを語っている。
高校卒業後はアーティストの夢を叶えるために上京。そしてプロの歌手となった。
「幸せ」の始球式、その直後に今宮先制1号ソロ
迎えた始球式当日。
「昨日の夜はケンタの家に泊まって、そこからドームに来ました」
親友同士だ。特別変わったやり取りなどはない。
「しっかり投げろよとだけ言われました(笑)」
ヤフオクドームのグラウンドでは、昨年リリースした「SUMMER TIME HERO」を元気いっぱいに歌い上げた。
いよいよ始球式。ショートから今宮が見つめる中、惜しくもストライクとはならなかったが力強い一球が投じられた。
「思ったほど緊張しませんでした。とにかく幸せ。楽しかったです」
高校時代には今宮が守る中でマウンドに立ったこともあった。その懐かしさも感じていた。
「いつか、このドームで単独ライブを出来るような歌手になりたい。それが夢です。あの頃も、そして今も、ケンタからはいつも刺激ばかりもらっています」
このエールに、今宮はバットで応えてみせた。初回の第1打席で今シーズン第1号の先制本塁打を放った。