イスラーム過激派の食卓(期待を裏切る「イスラーム国 中央アフリカ州」)
ここ数年、「イスラーム国」の活動が衰退していく中で例外的に同派に「戦果」や「成功」のネタを提供していた地域は、ナイジェリア、ニジェール、チャド、マリ、ブルキナファソの一帯からなるサヘル地域(「イスラーム国 西アフリカ州」)と、モザンビーク、コンゴ民主共和国一帯(「イスラーム国 中央アフリカ州」ただし、モザンビークとコンゴ民主共和国との間にあるタンザニアとザンビアでの戦果は不思議なことに一切ない)である。とりわけ「イスラーム国 中央アフリカ州」は、2020年後半から目覚ましい戦果を上げていることになっており、その脅威は日本企業も参加する天然資源開発事業が行われている地域にも及んでいる。(詳細は、中東調査会イスラーム過激派モニターを参照)。
そのような戦果の中には集落の制圧も含まれるのだが、これこそが「イスラーム国」が希求してやまない「イスラーム統治」を実践する場所の確保に他ならない。この種の戦果を上げることは、同派が元々活動していたアラブ諸国や、その拡散が懸念されていたアフガンや東南アジアではまず見込めなくなっているので、その戦果は「イスラーム国」とそのファンだけでなく、同派の脅威を喧伝することで飯のタネを作っている諸方面にとっても「期待」を集めるものだと思われる。となると、ラマダーン月に合わせて各地の「イスラーム国」の構成員が発信するごちそうの画像類についても、「イスラーム国 中央アフリカ州」が発信する作品は彼らの実力やこれまでの成果を反映した素晴らしいものになるはずだった。
写真1、写真2は、昨期の犠牲祭(イスラーム暦の上ではラマダーン月の3カ月後)の際に「イスラーム国 中央アフリカ州」が発信した画像群の一部である。ラマダーンのごちそうと単純な比較はできないが、犠牲祭の趣旨に沿って羊か山羊をつぶし、粗末ではあるが柱、寝台かベンチのようなものを備えた施設で食事をしている様が映し出されている。
一方、写真3は今期のラマダーンでパンのようなものを仕込んでいる場面であるが、パンを焼くための鉄板は、高価なキャンプ用品がなくては食事の支度もできない惰弱な「アウトドア趣味」がまさしく児戯であることを示すかのような「高度な」技術と経験に基づいて設置されている。
こうして支度した食品も含む食卓を囲んでいる情景が写真4なのだが、そこにはパンらしきものの他には果物が並ぶだけである。ラマダーン月の日没後の食事で焦って肉類や炭水化物を摂取すると本当に命にかかわることは別稿で触れた通りであり、日没直後の食べ物として果物と水・果汁類を摂ること自体は別に不思議なことではない。しかし、写真3と4を見る限り、「イスラーム国 中央アフリカ州」の者たちはテントも掘っ立て小屋も塹壕もない野外で、コンロも炉もかまども用いずに調理と食事をしている。このような風景は、「イスラーム国 中央アフリカ州」が集落を含む領域を占拠し、その結果そこで大人数に一挙に食事を供給できるような施設と兵站・経理・事務の組織を整備しているくらい成果を上げているかもしれないとの筆者の「期待」を見事に裏切るものである。
残念な(?)ことだが、今般の「イスラーム国 中央アフリカ州」の作品からは、彼らが肉類を収奪できるような経済基盤を制圧下においていたり、広範な地域で活動する多数の構成員に安定的に食事を供給する体制を確立したりしていることを示す材料は見られなかった。領域を占拠し、そこの住民を制圧しているのならば、彼らから物品を提供される(≒恐喝する)場面や、逆に人民になにがしかの「施し」をする場面も、広報材料としてぜひとも欲しいところだ。もちろん、「イスラーム国 中央アフリカ州」が今期の断食明けの祝祭や犠牲祭で素晴らしいごちそうや制圧下の住民への施しなどの場面を発表し、今般の作品のショボさを払拭してくれる可能性はある。また、「イスラーム国 中央アフリカ州」のうち、もっと恵まれた環境で活動する集団の画像類が発信されることも十分考えられる。いずれにせよ、ここまでの彼らの作品を見る限り、「もうちょっとましなもの喰ってくれないのかね」という気持ちは募る一方だ。